「…ギノ。先生が居ない」
2100年、春、昼休み、中庭、雨。
「土砂降りだ、当たり前だろ。狡噛、お前実は結構頭が悪くないか?パンが湿気る。戻るぞ」
ギノと仲良くなって、最近よく行動を共にしている。俺の昼飯もほぼ毎日、ギノがくれるパンになった。それでも先生の気持ちは分からない。
「よしギノ、パンを差し入れにいかないか」
多分、先生は、ここでフルーツサンドを食べるのが決まりのはずなんだ。
「誰にだ。…あの先生にか?確かにあの先生はパンを愛していらっしゃるようだが…」
今日は先生の講義がある日だったから、いつものベンチに来たのはいいが、新しい法則が加わってしまった。
「ああ。多分研究室だ。常勤じゃないんだが、なんか大事にされてるみたいで、部屋一つ持ってんだよ、あのセンセ」
ギノの後ろをついて校内に戻り、傘を畳んで、階段を上がっていく。
「研究室って、なんの研究してるんだ?あの先生」
「パンと紅茶の研究でもしてるんじゃないか」
「狡噛、お前パンと紅茶について学んでいたのか」
「ギノはパンが好きだから、きっと入室権があるはずなんだ」
「残念ながら俺は法学について学んでいる。いきなり訪ねたら何かと思われるぞ、俺は行かない」
角を曲がってしまったギノを引き留める。
「ダメだ、一緒に来てくれ。なぜならば俺一人で行ったら嫌われる可能性が高いからだ」
「ハァ?」
「先生に嫌われたら俺は生きていけない」
無言でギノに手を振り払われ、仕方がないので隣を付いて行く。
「お前、人の好意に対してそんなに繊細だったのか」
「違う。いや、ギノにも嫌われたら寂しいが、先生に嫌われたくない」
「…何をそんなにこだわっているんだ?」
「悪いかよ、仕方ないだろ。頭から離れてくれないんだ」
「…やはりそういうワケなのか?俺はやめておいた方がいいと思う。俺たちは生徒だ」
悲しいくらい雨に打たれたい気分になったので、ギノの腕を引いて、ひたすらに階段を登っていく。
「おい、どこへ行くつもりだ」
「…人として女性として好きなんだから関係ない」
「あの先生指輪してなかったか?人の幸福を壊すような真似はやめろ。俺はそういうのは嫌いだ」
はなせ、と怒りを訴えられる。そりゃそうだ、が。…ギノに嫌われても悲しい。
「あー……、誰にも秘密だぞ。あれ、ガワだけだ。先生、結婚してらっしゃらない。休みの日に街でばったり会ったときに判明した。指輪してなかったから聞いたんだ」
「ハァ?」
言ってしまった。まあ、ギノは、信用してもいいだろう、したい。
「なんか、面倒くさいんだと」
辿り着いた屋上への扉を開けようとするも、施錠されていた。
「…狡噛、お前やっぱり頭が悪いところがないか」
「うるさい」
座り込み、パンを一つ取り出して、罪悪感やむしゃくしゃする気持ち共々、食べていく。嫌なサンドだ。ギノが微妙な顔で俺を見ている。
先生に怒られたら誠心誠意謝ろう。面倒くさい事になったら俺が責任を取ろう。なんだ、問題ないじゃないか。
「…それ、結婚してらっしゃらないだけで、恋人がいないとは限らないんじゃないのか」
――思考が停止した。その線は考えていなかった。俺の手から食いかけのパンが滑り落ち、紙袋の中へ戻っていった。
「…狡噛、もう一度だけ言っていいか。お前やっぱり、周りが見えなくなると頭が良くないだろ」
「……いい、聞かないでおく。もし聞いて、居ると言われたら立ち直れない。最悪のケースとして、居たとして。そいつより好きになってもらえばいいだけだ。よし」
「諦めるという選択肢を潔く持ったらどうだ」
うるさい。俺は諦めない。でも絶対聞いたら鬱陶しがられる。既に半分鬱陶しがられている自覚はある。悲しい。紙袋の中からさっきのパンを引っ張り出して頬張った。
「ギノ、このパンしょっぱすぎる」
先生とギノを個別に知り合わせたら、俺だけハブにされるに決まってる。俺は二人ほどパンを愛することができないからだ。
「パンに恨みを押し付けるな。お前の心が泣いているせいだ」
「ロマンチックなこと言うな。お前がパンに甘すぎるだけだ」
階段に座り込みパンを頬張る俺たちは、青春を謳歌したい。
→
←