五条に前髪切られる

「前髪伸びた……」

 どういう髪型にしよう。このまま伸ばすか、切るか、厚さも、毛先も、うーん。
 談話室、前髪を指で挟んで眺めていた時だった。

「切ってやるよ」
「えっいらない」
「遠慮すんな」

 いつやってきたのか、五条がキッチンバサミを手に私の前に立っている。前髪も五条にわしっと掴まれてしまった。前髪を引き千切って逃げるか、ひどい前髪にされるかの二択、どっちも一緒かな。痛みを伴うか否かの違いかな。待って、なんで、やめて? は??

「やだ!」
「動くな目に刺さる」
「怖いこと言わないで。離して。やめて!」

 暴れたら、体が動かなくなった。椅子から動かなくなった。椅子も動かない。全部動かない。口と声と目は動く。それだけ。む、む、無限使いやがったな。嘘でしょ? ウソでしょ。ウ、ウソ……? ホント?

「いくぞ」
「や、やだ! やだ!! ホントにやだ!! 助けて硝子! アッー!!!!!」

 じょきん。
 躊躇なく切られた前髪が、足元に散らばる。

「っ……ぶ、っ、ぶははははっ」

 私の顔を見た五条の口元はにやにやもにゃもにゃとして、ついに堪えきれませんと言った風になった。それから五条は腹を抱えて笑い転げ続けている。

「どうしたの悟、すごい笑い声だけど………ぐふっ…………」

 もうちょっと早く来て欲しかった。
 五条は、本気で嫌がる私を無限で椅子にはりつけて私の前髪を切った。そりゃもう多分一直線に。思い切りよく。五条が前髪を優しく梳かして、ハサミを横に置く。
 大爆笑しながら五条が向けてきた手鏡をのぞこうとしたが動けなかったので、目線だけでのぞいてみると、こけし、座敷童。そんな風になっている自分が見えた。眉毛が完全に出ている。七五三みたい。
 ……そんなに笑わなくてもいいじゃん。笑いたくなる気持ちはとても分かった。分かったけど。嫌って言ったもん。嫌、って。

「……無限、解いて」
「あーわりー、笑いすぎて忘れてた」
「んふ、ふふふ。ストレートバング眉上、似合ってるよ。ここまでぱっつんなのは新鮮だけど、かわいいよ」

 傑が笑いながらフォローしてくれても全然響かない。
 鏡に映る眉毛より遥か上でまっすぐ切りそろえられた、修復不可能な前髪があまりにシュールで、自然と視線が下がる。

「あ……」

 散らばっている自分の髪を踏んで立ち上がると、スカートの上に乗っていた髪もハラリと落ちた。
 やば、泣きそう。
 後ろの髪を切ってくる気配はないし、前髪切られたくらいで、って思うのに。どういう前髪にしようか考えてたのに。いきなり切り落とされたのが思ったより受け入れられないらしい。鼻の奥がツンとして涙が出てきた気がする。気のせいじゃない。やばい。つらい。

「その、。悟が、ごめんね。髪は大切だよね、女の子の命とも言われるくらい……、ほら悟も謝れ」
「何泣いてんの? ――ってーな!」

 いいから謝れと、割と容赦なく、ドスッと鈍い音がした。傑が五条の脇腹を殴った。五条が呻いている。でも傑だって笑ってたよね? だから知らない。五条はもっと知らない。
 ぐす、と鼻をすすってから、私は大股で談話室を出る。前髪伸びるまで二人の事無視する。決めた。もうやだ。嫌い。

「あ、オイ」

 きらい。



 とんとん、と硝子の部屋をノックした。

「うわ……」
「しょーこ」

 あーあ……と呆れたように、同情するように硝子が私を眺めて、部屋に入れてくれる。ベッドを背に床に座って膝を抱え込む。硝子は何を言うでもなく、向こうの棚を開けて中を漁っている。
 五条のバカ。最低。前髪。夏油の前髪欲しい。私の前髪は無い。膝に顔を埋めても前髪が無い。こんなの貞子じゃん。あれ、貞子って前髪長かったかも。こけしじゃん。座敷童じゃん。
 硝子の気配が近付いてきて、アンタさ、と声をかけられる。顔を上げた。

「いい加減、ちゃんと怒りな」

 硝子は私の前髪をスッと上に折り曲げて、ピンをつけてくれた。あげるって言われた。惚れそう。天然タラシみたいなことするじゃん硝子。私は今度はおでこちゃんになっているだろう。

「やだって言ったんだよ。言ったけど、無限まで使ってやられた」
「なら、次の言葉は決まりだな。ちゃんと言ったか?」
「言ってない。嫌いって明日言う。五条嫌い。五条大嫌い」





 翌日。

「大分、……なんだ。イメチェンしたな。……あー、触れちゃダメだったか。すまん。あー、まあなんだ、とにかく、悟に組手してもらっとけ」
「やだ。五条嫌い」
「は?」

 呪具持ってくるから組手でもしてろと先生はスッ……と教室を出ていった。あれ絶対逃げたよ。持ってくるって、いつもは学生で取りに行かせるじゃん。
 先生はいつも五条と組ませようとする。傑は女相手には手加減をしてしまって使いものにならないし、五条は私を投げ飛ばしまくるので受け身の練習になる! という魂胆なのだ。みんな揃って私をいじめているのでは! 硝子以外!
 いじめの親分である五条をキッと睨みつける。今日の私は硝子がくれたヘアピンパワーで心が強いのだ。

「五条嫌い!」
「いきなり何。昨日前髪やったのなら謝っただろ」

 謝ってないよ。謝られてないよ。謝ったって私の前髪は戻ってこないよ。
 五条を睨んでいると、ぴん、と傑が五条の制服の袖を引っ張った。「本人には謝ってないよ」「え? そうだっけ」コソコソ耳打ちしてるけど聞こえてるんだけど。

「……泣くとは思わなかった」

 だから何。泣かなきゃやっていいとでも思っているのか。私だって泣くと思わなかったもん。でもなんか散らばる髪を見ていたら無性に涙が出てきたのだ。伸びるまで何ヶ月かかるだろう。

「やっていいことと悪いことの区別もつかないんだな。前髪は私でも治せないよ」
「別にほっとけば伸びてくんじゃん」
「心の傷も治せないからな」

 傑が悪そうな顔で「ごめんね」と伸ばしてきた手をはたき落とす。傑が目を丸くした。

「……ごめん。本当に怒っているみたいだね」

 私はいつも本当に怒ってるよ。
 傑がちょっと悲しそうな顔をするから、傑が切ったわけでも、共犯なわけでもないのに、と罪悪感が少し顔を出し始めてるけど。でも思いっきり笑われたの傷ついたし、前髪が伸びるまで嫌だ。嫌いとは言わないけどヤダ。

「ヒスかよ。呪霊に命取られたワケでもねーじゃん」
「うるさい。五条なんか嫌い。嫌い!」

 私は その場を 逃げ出した。



「……パッツン見たかっただけじゃん」
「やり方がクソだろ」
「カツラでもやるか」
「そういう問題じゃねーよ」
「ならどういう問題なわけ? 見てくれ気にしてるだけだろ」

 駄目だコイツ。と夏油と顔を見合わせた。

「例えば……勝手にすね毛剃られてツルツルになったらどういう気持ちになる?」
「え……スッキリした、とか?」
「いやショックだろう!」

 ショックなのか。
 夏油の小言に、五条がそれ昨日聞いた。何回も同じこと言うなジジイかよなどと言い返しているが、一応正座して夏油に叱られている辺り、反省はしてるんだろう。やったことが最悪すぎて何の擁護もできないんだが。

「……つか硝子、なにヘアピンやってんだよ。デコになってんじゃん。あれもいいけど」

 クズだな。

「同意」