噛みつく
「佐々山、靴脱いで。ちょっとあっち向いて座って」
「は?」
「ここは禁煙だからあとでにしてよ」
ポケットから煙草を一本差し出すだけで釣れるので、佐々山は非常に単純でシンプルで分かりやすくて楽でいい。まあ付き合ってくれてるだけなんだけど。
佐々山をドリンクサーバー横の二人掛けのソファに横向いて座らせて、私も靴を脱いで横に座って、彼と背中を合わせた。佐々山が靴を脱いでいた時にちらりと盗み見たあいつの靴下に穴は開いてなかった、良かった、ちょっと心配だった。爪先をソファの肘置きの底につけて、てこの原理を働かせ、ぐぐ、と背中に力を籠め奴の体を思いっきりに一気に押してやった。うお、と濁点をつけて奴の背中は丸まって、私は天井がよく見えた。佐々山は結構体が柔らかかったらしい、全然知らなかった。堅そうなイメージがあった。でも確かに捜査ではぐにゃぐにゃ動いてた気もする。
「……そーいうことかよッ!」
「わー!!!」
わーきゃー言いながら押し合う。一発目にふいをつかれた佐々山は完全に体が畳まっていたにも関わらず、その全力の反撃に、力で純粋に押し負けている私は大分丸まり気味である。しかし負けて堪るか!あっ腹筋が痛い!筋トレだこれ!?
「何やってんだ佐々山?……と、さんも」
私はアルマジロとかダンゴムシになって背骨折れて死ぬみたいなところで落ちてきた声に救われた。狡噛くんだろう。佐々山と狡噛くんが何やら話しているのが佐々山の背中越しにくぐもって聞こえる、なんて変な表現。佐々山が力を込めるのをやめた、けど重い。
顔のいかつさからいくと、佐々山の方が声が低いように思えるのに、実は狡噛くんの方が低い音をしているのだ、面白いものである。顔が見えないと聞き比べやすくていい。にしても重たい。佐々山を頑張って持ち上げて90度に戻った私は、ぜえはあ肩で息をして呼吸を整える。
「っねえ、狡噛くんと佐々山でやってみない?」
「男同士でやって何が楽しいんだアホかお前は」
えー、と佐々山の方を見ればデコピンされた。あうちゃ痛い。うええ。
「狡噛くん佐々山がいじめる」
「お前が一方的に挑んできたんだろうが」
「ぼろ負けだよ!」
「勝てると思ってたのか?」
「わんちゃん」
「ねえよ」
「お前がワンチャンだ!わんわん吠えてみろ!うわーん!いいよ次狡噛くんほら私と遊ぼう狡噛くん!」
佐々山が下りて靴を履いて立ち上がったので、彼が座っていた私の横のその席をぽんぽん叩くも「やりません」狡噛くんは突っ立っている。そんな狡噛くんを、佐々山がソファに突き落とした。うわっとドカッと腰を下ろした狡噛くん。このソファは柔らかくていいよね、よかった。佐々山はよかったなーと煙草に火をつけながらどっか行ってしまった。ありがとう、よかったよ、相手をしてくれる人間がまだいるの嬉しい。狡噛くんは、別によくない!と彼に牙をむいていた。
「狡噛くん、靴を脱いでください」
「やりませんよ」
しょうがないな。座っている彼の太腿に手を置いて彼の革靴の紐を引いたところで「っうわ!自分でやりますから!」彼の手が私を遠ざけた。彼の太腿はなんだか思ったよりかたかった。私が体重をかけても沈む肉がなかった。私の太腿は聞いてくれるな。
さっきの佐々山みたいにソファに上がってよそを向いた狡噛くんの背中があまりに無防備だったので、まず先に抱き着いてみようと思った。だってスーツの上からでも分かる、綺麗についた筋肉、綺麗な線が肩まで描かれて、腰はきゅっとしている。普通にかっこいい。まずい、私狡噛くんの肉体のファンにもなりそう。逞しいのになんだか佐々山の背中よりしゅっとしている感じはある。なんというか佐々山の方がちょっとおっさんにみえる、実際ちょっとおっさんなんだけど。狡噛くんの背中には青少年特有の発展途上の儚さ、まあもう完成系に近くかなりがっしりしているんだけど、何が言いたいかというと私はほいほいされてしまった。えいっと脇にがっと手を突っ込んで抱き着いてみる。これまた柔らかく無い。
「っさん!?何やって、離れてください、ほんとなんなんですか!?」
「うーん、佐々山より体温高いのかな低いのかな…みんなスーツだからよくわかんないね」
「あんたの柔らかさは分かりますよ、ってあ、今のは、」
「狡噛くんも佐々山も背中がかたいもんね…」
回していた腕を放して、膝立ちになって彼の肩口に手をついてみる。ビシッとしている襟から伸びている太い首だけが肌色で触りたくなったので触ってみる。きゃー、首を撫で回しながら若干薄い皮膚をたどって彼の喉へたどり着いたのでごろごろ撫でてみる。すべすべだ。狡噛くんは借りてきた猫のようにかたまっている。
「…ッ、そういう遊びはやめてください、」
「えー?初日に抱きしめられた恨み忘れてないもん。狡噛くん体温高いんだね、知らなかった」
喉仏から彼が声を出した振動が直に伝わってきてちょっと楽しかった。低音の周波数はごーろごろネコのように心地よくていい。
にしたって綺麗な生え際だな…私の目は彼の項の産毛やなんだのを捉えている。そのまま喉をまさぐっていたら、首をひねってちらりとこちらを向いた彼のもみあげからそっちが突然気になってしまった。
…狡噛くんにもヒゲとか生えるのかな、佐々山がヒゲそってそうなのは分かるんだけど狡噛くんとか宜野座くんはちょっと想像できないな。喉仏も観察してみたい。私は結構狡噛くんの声が好きだということにさっき気が付いてしまった。もはやただのファンになりつつある。どういう構造をしてればそういう声が出るのか興味もある。そしてあとで神月あたりと比べたい、あいつの声はわりかし高いから。
なんだか私、こないだから興味の赴くまま狡噛くんに手を伸ばしていることが多い気がする。多分気軽に触れるのもある、刑事課では私が一番下っ端だったので気を使うのだ。それに、狡噛くんなら安心だし。
「ねえ狡噛くん、ちょっとこっち向いて」
しかしながら、うんともすんとも言ってくれないので悪戯することにする。うなじをなぞって、耳の裏をなぞったところで、ビクッと狡噛くんの肩がはねて、手を振り払われていきなり振り向いた狡噛くんが私の上に跨っていた。さっきも言ったけどこのソファは柔らかいので大変よろしい。私の背中はめちゃんこよろしく沈んでいる。コンフォータボー。アンビリーバボーではない。
「しっかりした喉仏だね」
「さん、俺だって怒りますよ」
「狡噛くんは怒ったら口きいてくれないもん、佐々山に本気で怒ってるの数回見たことある。でも、まだ私に構ってくれてるから怒ってない、でしょ?」
はぁ、とため息をついた狡噛くんが私の首に手を伸ばした。今日の狡噛くんはやり返すデイらしい。彼の喉仏をひとしきり撫でてそれに満足した私は、彼のこめかみからもみあげにかけてを弄っている。若干ざりざりはする。彼は困惑気味にされるがままになっている。それにしてもいつも思っていたけど立派なもみあげである。
「…くすぐったいです」
「ねえ、狡噛くんもヒゲ生えるの?」
「………まあ」
「へえ、やっぱり男の子なんだね。私は生えないから、見てるの面白い」
当たり前ですよ、っていうか面白がらないでください、と呆れ返っている彼の顔を凝視しているが一切の剃り残しも見当たらない。気を付けているのかもしれない。しかし肌負けとか色々労わってほしい。そんな心配は無用か、こんなきれいな頬をしてればな。狡噛くんは赤い頬で、まだ私の喉に手を当てている。
「女の声はうるさいでしょ、さっき狡噛くんの喉は低音で響いてた」
「いえ、白くて噛み付きたくな、」
は、と口を閉じた彼はまたも、俺は何を言っているんだ、という顔をしている。狡噛くんは全く声のことなんて考えていなかったらしい。男は視界だというし。最近はあまりに私が美味しい思いをしているのも少々申し訳ないので別にそのくらい好きにしてくれても構わない、でも実際やられたら驚くだろうからしてほしくはないけど。
「噛み付いてみる?」
ちょっとした意地悪を言ったつもりだったのに、ごくりと彼の喉仏が動いたのを私は見た。私の喉を撫でて、珍しくも引き寄せられるように顔を寄せた彼の口がほどなくしてガリ、と私の喉に噛み付いて、吃驚して肩が跳ねた。…あの狡噛くんが。彼の口が熱い、噛み付いたまま離さない彼にどうしたらいいか分からない。犬とか猫ならこのまま首をめちゃくちゃに振って喉を切り裂くのだ、それはやめて。
「っ狡噛くん、冗談だったんだけど、おいしい?ねえ、もう終わり!っひゃ、」
れろり、とそこを舐めてやっと顔を上げた彼のことを、さすがに私は凝視できなくて顔を逸らした。感触と温度に吃驚して意図せず声が出てしまった。記憶から消去してほしい。
しかし。私だって彼の喉仏に興味がないわけではないしやられたままは癪であるので些か茫然と上体を起こそうとしている彼に襲い掛かって、首に腕を回して喉仏に噛み付き返してやった。「っ、」ダウンして私の上に倒れ込んできた彼は結構重たい、私はそこに噛み付いたまま若干歯を立てている。「、さん、」同じようにそこを舐めて口を放して、もぞもぞと彼の肩口から顔を出して、首に回していた腕を緩めてやる。……私たちは一体なにをやっているんだ?
変な空気になってきて、上半身を浮かせた彼と目線があってしまったので、彼の肩を押し返しながら「狡噛くん、どいて」と強く言えば、彼は素直に私の上から退いた。
「……ごめん、狡噛くん、吃驚した、あの、しばらく自重する」
靴に足を突っ込んでそのままに、さっさと退散するが吉。吃驚した、あの狡噛くんが反撃に出るなんて。
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