走り回る
ギノは監視官になると迷いもなく俺に告げた。もっときちんと、誰かを守りたいと、誰かを守る役目を果たしたいと、あれから強く思って、俺も刑事になった。長かった研修をやっと修了し、刑事課に配属された初日、局長が名乗った名前に俺とギノは内心目を剥いていたし、俺たちは確信した、彼女はここに居る。
予想通り、その日彼女と再会できて、無事が嬉しくて、堪らず抱き寄せてしまった。とにかく、彼女を腕に閉じ込めた時、俺はやっと自分の想いをはっきりと自覚した。気になっていた、とかですらない、俺はずっと彼女を気にして…焦がれていたらしい。自分でも、彼女を気にし始めた理由など忘れてしまっている。一目惚れ、というのはおざなりだし、どこが好き、というほど親しくもない。が、学生時代に彼女が居た時、そのことを、しっかりと思い出せるんだ。再会した日に、俺の腕の中でどぎまぎと頬を染めていた彼女も、とてつもなく可愛かった。少なくとも嫌われていないようで安堵した。
「さん!」
「なあに?」
「姿が見えたんで、つい」
「うん?」
何かよく分からないけど…お疲れ様またね、と歩き始める彼女をまた呼び止めて、また足を止めた彼女が不思議そうに俺を見ている。なんでもいいから彼女と話したい一心で声をかけていたが、そうだ、飯にでも誘ってみよう。
「どうしたの?」
「ええと、さん今から上がりですか?」
「狡噛くん、何か焦ってる時はちょっと早口になるんだね」
彼女が少し笑いながら踵を返して歩き始める。その横を俺がついていったら、彼女がスピードを上げた。
「別に焦ってな、ってどうして逃げるんですか」
「逃げてるわけじゃないよ、狡噛くんが言う通り今から帰るんだよ」
「俺もです、メシでもどうですか」
「捕まえられたらいいよ?」
捕まえる?伸ばした腕は、さっと彼女が廊下の角を曲がってスカった。しまった、と足を踏み出して追いかければ、彼女は前方を全力疾走していた。フォームが本気だ。エレベーターまでもう一つ曲がり角を曲がって数百メートルもなかったはずだ、捕まえなければ。一体なんのゲームなんだこれは。それにあいつ思ったより足が速い、キュキュッとコーナーを曲がる彼女の動きに無駄は無い、勝手知ったるってか。大きく足を踏み出して俺も全力で走り出し、もう2,3踏み出せば彼女の腕をつかむ、というところで彼女が突然止まって振り向いた。は!?
「ッッッ!」
俺の喉からは声にならない声が出た。彼女は身体ごと振り向いて完全に顎を引き頭を丸めていた。その下で口元が弧を描いていたのを俺は視界に捉えた。なんだ、何故なんだ、どういうことだ!? 止まりきれないと踏んだ俺は両腕を大きく広げ伸ばし全力で力を入れて背中を高くし、膝の力を抜き、衝撃に備え瞑ろうとする目を無理やりかっぴろげながら、思い切り彼女に飛びつく形になった。俺にぶつかられた彼女が床に倒れ込み、俺と床との間に挟まれて、俺は彼女の肩口に手をつくことに成功した。が、床に激突し衝撃を吸収した掌からそれが肘にじいんと沁みてきて内心悶えながら耐えているところだ。
「…あっははははははは」
「なん…ってことするんだ!」
「いつかの仕返し!」
「さんあんたって人は!体格差とか考えないのか!?」
「考えてるから振り向いたんだよ。顔面から地面に激突したくないもん」
腕、大丈夫?散々爆笑したあと、少し心配げに俺を伺う彼女は結構マイペースだ。平気です、と答えれば、「ねえ、実は昔からずっと思ってたんだけど、なんで狡噛くんはそんなに可愛い顔をしてるの?」と脈絡も無しに呑気に手を伸ばして俺の頬を撫でている。…爆弾発言だろ。…いやだが、可愛い顔?
この人はおかしい。考えなしだったらしい。それとも誰にでもこういうことをやっているんだろうか。…やっていなくもない、…やっているかもしれない。よく佐々山と所構わずハイタッチしているのを見る。昏田とイヤホンを片耳ずつつけて音楽談義をしているのも。花表に着物の帯を持ってきたとかいって巻き付けて、お代官様ごっこだとそれを引いて彼女を回して楽しそうに遊んでいたこともある。天利の髪を整えようと頑張りながら遊んでいるのは常だ。…だがギノにはそのようなちょっかいをかけているところを見たことがないし、和久さんにも彼女は礼を払っているように見える。彼女にからかわれる人間とからかわれない人間の違いはどこにある。単純に、執行官を手懐けているんだろうか。…と考えるのは難しい。俺は監視官だ。それに、とっつぁんにそういう遊びを挑んでいるのも見たことがない。
「あー楽しかった!」
彼女がやんわりと俺の肩を押し返すから、考え事をしていた俺はなされるがまま彼女の上から退いていた。捕まえていたはずになるだろう彼女が居ない、と気付いたのは、座ったままでいる俺を楽しそうに見下ろした彼女が乗ったエレベーターの扉が閉まった頃だった。
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