また彼の寝顔を見ていた。なんだかんだ綺麗な顔のつくりをしているのが癪に障る。昨日はあれからずっと、狡噛さんはリビングで私を見張っていたが、そのうちに筋トレを始めていた。私はそんな彼の筋トレを数十分見守り続けるという不毛な時間を過ごした。ちょっと手伝ってくれ、と言われ重すぎる腰を上げたにもかかわらず、待っていたのはその後数時間の肉体労働だったので、私はまだ今日に恨みを持ち越している。わりと全身が痛い。思い出したらイライラしてきた、左手は使わないほうがいい、っていうならそもそも血を流したんだから動かないほうがいいんじゃないのか、心配しているのか気遣っているのか抜けているのか脳筋なのか分からない、多分一番最後だな。むかつくので片頬をつまんで伸ばしてやるが、直ぐに彼が唸って瞼が開いた。彼の手が私の手を捕まえる。ゴリラめ、勝てない。

「…おはよう」
「おはようございます」
「…何してた」
「仕返しです。筋肉痛なんですけど」
「はあ?なんで」
「昨日筋トレ手伝わされたせいですよ」
「…あれだけでか。お前どうやって生きてるんだ」
「かっるい筆だけを持って生きてきましたね、間違っても人のつま先を支えたことも、背中に乗ってバランスを取ったことも無い」
「水とか運ばないのか」
「私にとっては結構な全身運動に属しますかね」



 起き出して、朝食を食べ少し休憩し、狡噛さんと画材を部屋から運び出し、リビングの端に置いた。キャンバスを眺めた狡噛さんは少々グロッキーな顔をしている。

「…なあ、悪いが、俺の色相が濁りそうなんだが」
「私の血液混じりアート、そんなに気に食いませんか」
「…いいか、ここは赤、こっちは青、ここは紫だ」
「ここは青、こっちも青で、ここは紫ですね。――あれ?」
「どうした」
「……狡噛さん、私後ろ向いてますから、赤と青の絵具をパレットに出してください」
「お前、見えないんじゃないのか」
「今考え中です」

 彼が後ろでカチャカチャやっている音が聞こえる。そうだ、私には見えない、両方青に見えるだろう。だけど、どっちが赤なのかという予測はできてきたのだ。

「出来たぞ」
「…いいですか、今からピンクを作ります」

 白を出して色を混ぜる。こっちは水色。もう片方の色は青からピンクに変わった。

「――なるほど、推測は出来るのか」
「こっちが赤ですか。これはピンクに見えます」
「そうだ、両方あってる」
「廃棄区画の絵具は、赤だったんですね?」
「ああ、あれは赤だった」
「私は昔、あれに白を混ぜたことがあります。それでも青に見えたんです。だから青だと疑わなかった」
「――お前の眼には、あの物質が青く見えるということか!」
「やっぱり何か入っていたんですか、あの絵具」
「ああ。…お前を信用して言うが、実はあの絵具には、シビュラに認知されていない未確認物質か何かが含まれてる」

 そういうことは早く言って欲しいものだ、私が言えたことではないかもしれないが。

「なるほど、それで…。――何故あの男はわざわざ赤が見えないと私に発言したのか、注意を逸らすためですかね」
「俺もそう思った、だが、それなら何故リスクを冒してまでお前と接触し色を確認した――墓地か、やはり墓地で誰かが聞いていた」
「そんなことがあったんですか」
「……お前が裏切ったりしたら、俺のクビが飛ぶ」
「職務規範とか守秘義務とかが大丈夫じゃないんですね、ご愁傷さまです」
「……労働基準法が守られていないからどっこいだろ」
「……狡噛さんの色相は?」
「平気だ。ほら」

 狡噛さんの色相を始めて見せてもらった気がするが、綺麗なブルーだった。名称もブルー系を指している。…けど色相も大概カラフルなくせに、私が赤系なのは嫌がらせかなんかなんだろうか。またはせめて色相だけでもというシビュラの気遣いだろうか。名称がチェリーピンクでも、私には青に見えるというのに。

「青ですか。…じゃあ、やっぱり目の色も青なのかもしれませんね。…私の眼も赤く見えたりしませんか」
「何をそんなにこだわってるんだ。例え俺の眼が何色だったとしても、俺が俺であることに変わりはないし、お前がお前であることに変わりはないだろう」
「……そっか、そうですね。ちょっと難しく考えすぎてました」

 そうだ、彼の言う通りだ。私はちゃんと自分の眼で彼を見ている、見えている。彼は不思議そうに私を見て一息ついてから、顎に手を当て考え始めた。

「――とにかく、犯人はどうして、赤が青に見えて、あの未確認物質が青に見えるお前の眼を欲しがっている?」
「そもそも、どこで私の眼のことを知ったんでしょう」
「お前、以前に色覚検査は受けたことがあるか」
「小さい頃に受けた、と祖父が言っていました」
「……やはり、お前のデータは改竄されている箇所がある…、受けたことがあるなら記録が残っているはずだが、一切無いんだ」
「だから、私が赤が青に見えること知らなかったんですか」
「ああ」
「…となると、私のデータって全部改竄されてるかもしれないってことですよね、私はどこの誰なんでしょう」
「…、お前、小さい頃の記憶はあるほうか」
「いいえ、父母の顔すら思い出せないほどです」
「親戚と会ったことは」
「覚えている範囲ではありません」

 狡噛さんは黙りこくってしまった。促そうにもあまりに深刻な顔をしている。私に話していないことがまだ沢山あるのかもしれない。彼は頭の中でおまわりさんらしく色々考えているんだろう。けれどあまりに怖い顔をしているし、私の頭の中にもあまりに怖い可能性が浮かんできている。何か覗きたくもない深淵を覗いているような気分だ。でも、祖父が大好きだったことに変わりはない、変わらない。さっき狡噛さんが言ってくれたように。私は自分の眼で見てきたのだ。
 しばらく下を向いてたら、彼が小脇に私を引き寄せて頭を撫でてきた。最近この人は優しさのバーゲンセールでも行っているらしい。

「とりあえず、和久さんに報告する。お前はもう今日休んでていい」
「正直にあっち行ってろって言ったらどうですか」
「悪い、終わったら直ぐ行くから」


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