目が覚めた。顔を上げる。頭は大分すっきりしている。枕元の時計は自分のものではない。気温、天気、日付、…もうすぐ私の誕生日じゃないか。今年は厄年かもしれない。頭がかゆい。お風呂に入りたい。お風呂がどこか分からない。早朝の散歩は諦めるほかない。さすがにそこまでのガッツも勇気も無い。隣では狡噛さんが寝息を立てている。…まあ、厄年だったとしても、最悪ではないだろう。ここまで親身にしてくれる人間は少ないんじゃないか。この家には女っ気の一つもない、私が言えたことではないが、――いや、私の家はこんなに散らかってない。とにかく、何か一つでも違っていたら私はあの悪魔のような和久和久さん宅にお世話になっていたかもしれないのだ、それだけは嫌だ。狡噛さん犠牲になってくれてありがとう。彼がしたように、彼の頭に手を伸ばした。思ったよりもわしゃわしゃしている。癖の強い髪の毛だ。
「…ん、?」
「おはようございます」
「人間、結構寝れるもんだな…」
「起きますか」
「ああ」
「私お風呂入りたいんです」
「案内する、」
狡噛さんがベッドから抜け出た。私も後に続く。ドアノブに手をかけた彼が私を振り返った。
「大丈夫ですよ、大分すっきりました」
「そうか」
彼の後ろをついて行く。リビングに点在している青は昨日ほど私を驚かさなかった。
「――ああ、ここの部屋綺麗にしておくから使え。荷物と布団も入れとくぞ」
「ありがとうございます」
「風呂はこっちだ」
*
あれから食事を摂って、私は指定された部屋に引き籠っている。現在私の唯一の私物であるリュックから、もらった画材を引っ張り出した。一般的な水性絵具だ、赤、と書いてあるそれと、青、と書いてあるそれをパレットに出す。同じ色だ。色んな色を足していく。…筆に違和感があるな、持ちにくい。それに、やっぱりあの色は出なかった。どうしたら出るんだろう、――出ないに決まってる、あの色はあの絵具にしか無い。――やめよう。もう忘れた方がいい。癖になってるんだ。もっと具体的な物でも書いたらいい。さっき食べた朝食、詰め替えられてないままのシャンプー、寝室の時計、彼の瞳には青が潜んでいる。うまく描けない。その本当の色を、私は識別する術を持たない。
「おい、入るぞ――」
「……」
「何してる!」
「っえ?狡噛さ、あ、痛い」
「当たり前だ、どうしてこんなことをした!」
狡噛さんがきつく掴み上げた私の左手の甲には、歪んだ傷がいくつか出来ていた。持っていたパレットは落としてしまった。青が流れている。彼が凄い顔をしている。そんなに怒らなくてもいいじゃないか、私だって痛い。
「ごめんなさい、意識が飛んでました」
辺りをうかがえば、脇に転がっている絵具の角にも青が付いていた。あれでやったのかもしれない。記憶がない。
「……寸前に何を考えてた」
「あんまり覚えてません」
「隠さないでくれ。怒らないから教えてくれないか。…あの絵具の色を作ろうと思ったりしたのか」
「――それは、確かにしましたが」
「あの絵具にこだわる必要はない」
「…そうです、諦めました。それから物を描いた」
「それがどうしてこうなるんだ」
「多分、あなたの眼が描きたかったからだと思います」
「……」
「色が作りたかった」
「…俺の虹彩は灰色だ」
「そうです。でも私には時々青く見える」
「光の入り方だろう」
「いいえ。本当の色が分からない。あなたの眼は赤いのかもしれない」
「何を言ってるんだ、お前はお前が見たものを感じるままに描けばいいだろ」
「…確かに、そうですが」
「ともかく消毒だ、もう変なことは考えるなよ」
→
15 (3/7)
←