「新しい絵が完成しましたよ。見て下さい、凄いでしょう」
物陰から、彼女がキャンバスを出したのを確認した。とっつぁんと天利にも既に廃棄区画に潜んでもらっている。
「あれ、絵具降ってこない、ちょっとすみません、絵具の神様仏様、お恵み下さい」
彼女の前方が揺らぐ。何かいる。ドミネーターを構えるが薄暗く認識がされない。
『やられた!こちら屋上だ、回り込まれた。結構な数だぞ』
『っ私も追われてます、屋上へ向かってマサさんと合流します!』
通信画面に声を出さずに頷いた。まずいな、あまり良くない状況だ。
「おや、騒がしくなってきたね。もう少し早くお会いするべきだったかな、さん」
「あなたが絵具をくれてたんですか」
「そうだ」
「やっぱり空から絵具が降ってきてたわけじゃなかったんですね」
「…さて。これは何色だい」
赤だ。彼女の使っていたとみられる絵具をそいつが手のひらに広げた。
「青です」
彼女がはっきりと言葉を発する。そんなわけはない。所見にもそんなことは記されていなかった。しばらく生活を共にしていて違和感を感じたこともない。
『――狡噛!ソイツ発信器を持ってる、単独犯じゃなさそうだ。今通信を追ってる、一昔前の受信機を何ヵ所か経由してるな――、辿り着いた!最終受信値は…これは、墓地か?』『僕が行きましょう。狡噛君の方は、彼女の命を優先してください』
「君の眼をくれないか」
「――どういう意味ですか」
彼女の背中越しに見える男は一歩踏み出し、彼女は後退った。ドミネーターがすんでのところで男の顔を捉え、変形を始めていく。…エリミネーターか。確保は無理だろう、距離がある。今下手に動いても、男の手が彼女にかかるほうが早いだろう。しかし執行してしまえば黒幕に辿り着くことは難しくなる――男は死ぬ。とっつぁんも天利も交戦中だ、助けは期待できそうにない。どうするべきだ。どうしたらいい。足音が近づいてくる。男の手にはナイフが見えた。彼女は動かない。あるいは動けないのか――「君には赤が見えないね?」これ以上は危険だ。撃たなければ、彼女が危ない。だがこのままでは撃てない、彼女に俺の声は届くだろうか、少しでも照準が狂えば――。しかし彼女が男に背を向けて、凛と顔を上げた。――信じているのか。
「――伏せろ!」
覚悟を持ってドミネーターの引き金を引いた。彼女の頭上を通過した青白い光線が、彼女に飛びかかろうとしていた男を捉え、赤い雨が降り注いだ。
*
「…無事か」
血だまりに座り込んでいる彼女に駆け寄り、膝をついて彼女をうかがった。俯いていた顔を上げ、俺と目を合わせた彼女の表情は読めない。
「血の色は赤いと聞いたことがあります」
「‥‥見えないのか」
「私には見えないものがあなたには見えているのかもしれません」
「何故言わなかった」
「知ってると思ってました。それに見えてますよ、私には青に、ですが」
「…お前のマグカップの色は」
「ピンクです。桜と一緒ですね」
「夕焼けの色は」
「オレンジです。キャラメルと一緒です。コーヒーは茶色いし、パスタは黄色い」
「赤だけか」
「どうなんでしょうね。口の色だって肌の色だって見えていると思います、ほら、私の方が狡噛さんより少し白い」
「ああ、そうだ」
彼女が俺の手を取って淡々と告げた。俺にもそう見えている。震えているその手を握ってやる。それから彼女は反対の手で血をすくって、べっとりと手に移ったそれを眺めた。
「どうして、私の眼を欲しがったんでしょう」
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