「先生、狡噛です」
2100年、夏、帰宅前、研究室、晴れ。
「っうわ、あっつ、」
「君、勝手に入らないというのは」
「窓閉めてエアコンつけたらどうですか?鍵はつけるならスペアをください」
クリアカラーの強引な子は、興味津々に私の隣へやって来た。
「分からないことがあったのね?」
「今できました。これなんですか?――っうわ、」
時代遅れの扇風機の首振り機能を付けられてしまい、吃驚した彼が足を引いた。知識への心を折る趣味は持ち合わせていない。
「…扇風機というものです」
「へえ」
彼が物珍しそうに四方八方から扇風機を眺めながら、デバイスを操作している。知らないものを直ぐに調べるその姿勢は評価に値する。
「わ゛れ゛わ゛れ゛は゛う゛ち゛ゅ゛う゛じ゛ん゛だ゛」
「は?」
首振り機能を止めて実践してあげたが、彼は目を丸くして私を見ていた。
「こうして遊ぶものですよ。涼を取りながらね」
彼がまたデバイスを操作した。さっきまで何をしていたのかしら。
「……何で宇宙人なんですか?」
真面目に微妙な顔の彼が、顔を上げた。私は鞄に私物を一つずつ入れて、帰る支度を始める。
「さて、宇宙人、とは何だと思います」
「どういう前提条件と定義でですか」
勉強熱心なその姿勢は評価する。されど、私は研究室に先生の応答も待たず、勝手に入る思考は持ち合わせていない。
「例えば、私が学生だった時、雑賀教授の研究室に、無断で入ったことはありません。無断欠席したこともね」
「俺から見ても、先生は宇宙人です」
「そうです。次に、健全と不健全の境と言い換えますか」
「色相ですか」
「その通りです。今日ではね」
狡噛君が色相画面を私に表明した。これ以上ないクリアカラーだ。
「俺は宇宙人なので、先生の応答を待たずに研究室にお邪魔しても、部屋の主がいらっしゃいさえすれば、変わりません」
「それが倫理と君の価値観です。宇宙人と交信を行うには、それなりの翻訳機が必要ですね」
「…先生は濁られますか」
「そこまで繊細ではありませんが、こちらは不健全です」
「俺だってそう繊細じゃありません」
ぶーたれた顔をして、彼は扇風機に声をかけ、遊んでいる。先生はどうしてパンが好きなのか、紅茶が好きなのか、どうしてこんなに蒸し暑いんだ、蒸しているのは嫌いだ。
「暑い。どうして先生みたいに冷たい風を出さないんですか、この扇風機ってやつは。持ち主に似ないんですね」
「扇風機がペットであるかどうかも、昔の人にお聞きなさい。さて、君の倫理に問いましょう」
扇風機の電源を消し、鞄を持って、部屋を後にする。大人しく私の後を付いてきた狡噛君は、何か言いたそうにしているけれど。休み明けには飽きてるでしょう。学生はそんなものだ、その方が良い。
「夏休み、健全に生きるんですよ。先生はいつも不健全に忙しいの。ではね」
デバイスをつけ、新作の試食を約束している友人にあからさまにコールをかけながら、その場を後にした。
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