先輩酒臭い

 今日をすべて終え、ベッドでうつらうつら読書をしていると、コンコン、と部屋がノックされた。こんな時間に誰だ。なんでもいいから明日にしてもらおう。
 無視しているといきなり結構な呪力を感じ――瞬間、バキィッと何かが破壊される音が聞こえた。飛び起きて見ると、おそらく破壊されたのはドアノブで、空振りしてんのかぐらいするっと回ったそれ、開く扉、向こうから入って来たのは。

「めーぐみー」

 三年の先輩だ。顔は真っ赤で、両手を伸ばしゆっくりと近付いてくる、その足取りはフラフラしている。

「めぐみ~~」
「イヤちょっと待ってください。何勝手に入ってきてるんですか」
「入っちゃだめなの?」
「当たり前でしょ。一応男の部屋なんですけど」
「めぐみだからだいじょぶ」

 へにゃへにゃ微笑む先輩の頬はこれ以上ないほど上気していて――何より酒臭い。
 ダメだこの人、早くなんとかしないと。きっと俺以上に状況が分かっていないのは間違いない筈だ。
 俺は立ち上がったが、逆に先輩がさっきまで俺が座っていたベッドの端の隣へ真っ先に腰かけた。いやなんでだよ。

「自分の部屋分かります? 分かってないから来たんでしたっけ」
「恵の部屋って分かって来てるよ???」
「は? 尚更なんで来たんだよ。水あげますから帰ってください」
「……」

 (´;ω;`)ウッ…という顔をされても俺の意見は変わらないぞ。先輩は瞳を潤ませ悲しげな表情で俺を見上げている。段々と先輩の表情に胸が痛んでくる俺はやっぱりまだ混乱しているのか。落ち着け俺。なにか滅茶苦茶なやりとりをしている筈だ。たとえ先輩が捨てられた子犬のように思えて来ても、先輩は人間だから惑わされるな。

「……だめ? おはなししようよ」
「なんで。明日起きたらならしてもいいですけど。いいから今日は帰れ」
「ヤダヤダ帰んない」
「いや帰ってください。マジで無理なんで」
「……」
「そんな顔されても無理なもんは無理です」
「……ぴぇ」

 ぴえ~~~ん。声だけは大げさに、とはいえ時間を気にする概念くらいは残っているのか、元来周りに気を遣ってしまう先輩の性格故か。小声でぴえんと言いながらぽろぽろ泣いている。なんか俺が泣かせたみたいになってんだけど。
 少し言い方がキツかったんだろうか。虎杖に“伏黒って必死になると口、ワリーね!”ってニカって笑顔で言われたのを思い出した。アイツが言うと嫌味に聞こえない不思議だ。
 普段の先輩は釘崎の正反対のような人つまり大雑把でなく口も悪くないっつーか、だからベロベロの酔っ払いになっているとはいえ、ちょっとは俺の言っていることをツラく受け取ったのかもしれない。二年の先輩方から、さんは酔うと色々と強くなると聞いていたことがあったが、心が強くなるの意味ではやはり無かった。強くなるってどういう意味ですかと聞き返したら、皆さんニヤニヤして、狗巻先輩が泣き真似しながらパンダ先輩に抱き着いていたことを今更ながら思い出す。あ~そんな感じだなと真希さんが言っていなかったか。絡み酒。まさにそんな感じだ。つーか何、この人誰にでもこんなことやってんのかよ。そういいうことだよな。
 中腰になって、言い聞かせるように先輩の名前を呼ぶ。誰にでもこんなことすんのは良くないと思うし、少なくとも俺にするな。

「……先輩」
「ぐす。やだ。やだやだ帰んない」
「なんで。いつも色んな人に同じことやってんでしょ。真希さんのところにでも行けばいい」
「めぐみがいい」

 顔を上げた先輩にしっかりとそう言われ、言葉が出なくなる。…………据え膳?
 断ろう。明日記憶が飛んでるとも限らない。そもそも酔っ払いとそういうことをする趣味がない。俺は酔っ払いの存在自体が嫌いなんだ。……そんな、つぶらな瞳で一生懸命に見上げられても決して絆されない。俯瞰している華奢な肩、女性らしい膨らみに、閉じている膝は女性の脚として形作られている。心臓がバクバクしてきたとか気のせいだし、――先輩を意識してるなんて、ウソだろ。先輩は話そうとしか言ってないのに、据え膳かと錯覚してしまうなんて。

「……めぐみがいい」
「二回言わなくていいです。聞こえてます。帰ってください」
「なんで??」
「俺が男でアンタが女だからだよ」
「??? めぐみはめぐみだよ」
「アンタ俺を聖人かなんかと勘違いしてんじゃないですか」
「してない。してないから節度を守ってるつもりだよ。まだお酒も飲めない年だし、恵お酒嫌いだし、だからひとりぼっち宅飲み会に誘わなかったもん」
「そっちの成人じゃねーよ。つーかアンタも成人してねーだろ」
「??? わけわかんない。ぐす。恵のバカ」
「アンタの方が馬鹿だよ」
「めぐみ、」

 いきなり腕を引かれて、ベッドに突き倒された。先輩が俺の腰を跨いで覆いかぶさって来る。待て、急展開に全てがついていってないんだが。うるうるした目をやめろ。何か俺が悪いような気がしてくる。いやなんで押し倒してくんだよおかしいだろ。

「わたしのこと、きらい?」

 先輩の肩に手をやってやんわり押し返そうとした時には、首筋に先輩の顔が埋められて、皮膚に湿った、ピリっとした感覚があった。……この人!!

「いい加減にし、っ、」

 先輩がレロリとそこに熱い舌を這わせたから堪ったもんじゃない。
 俺の首筋に吸い付いている先輩は頭がおかしかったらしい。くすぐったさに息を呑む俺に、彼女が楽しそうにふふっと笑う。酒臭え。
 べりっと彼女を引き剥がすと、彼女がペロリと口の端を舐めた。真っ赤な舌が目に毒だ。

「……そんなことばっかすんなら襲いますよ」
「いーよ。する?」
「は? しない。この酔っ払い」
「しないの?」
「しないに決まってんでしょ。冗談だから早く退いてもらえますか。強制わいせつでしょっぴかれますよ」
「元ヤンがなんかいってる~」
「昔の話なんですけど」
「ほんとにしてもいいよ? 私、明日になったら忘れるし。ね、めぐみ」
「しません」
「めぐみー」

 先輩は、きゅるん、という効果音が付きそうな捕食される側の顔をしている。般若心経でも唱えて煩悩を沈めたほうが良いのではないか。まあ、酒草すぎてそういう気がまじまじとは起きないが、そんなに言うならお望み通りにしなくもないというような、何よりさんをそういうように見えるようになってしまった自分の変化が一番良くない。ため息しか出ない。

「めぐみ~~」
「しねえつってんだろ。忘れられんのにヤる趣味もねーんだよ」
「じゃあ覚えてたらしてくれるの?」
「アンタそんなに俺とヤりたかったんですか???」
「怒ってる恵かーわーいーいー」

 五条先生と似たようなウザさを感じる。さすがの俺もイラッと来た。何よりしつこい。

「っん、いったぁ……」
「仕返し。次は見えるとこにやりますよ」
「……いいよ?」
「あ?」

 この人は、俺に好意を持っていたんだろうか。微塵も好意的に思っていない相手に自ら近付いていくタイプでは無い人なのは知ってる。けど、もし俺を二年の人たちと同じように扱ってるとしても、ここまでするなら責任取ってもらわないと困る。相手が俺じゃなかったら、アンタ既に襲われてるよ。
 気になるようにさせたのはアンタだ。後悔してももう遅い。
 明日から、ただの後輩からどうのし上がろうか考え始めている。本気であればあるほど、勢いで、なんていうのは敬遠されるものだ。酔っ払いに然してそういう気分が沸いてこないのもそうだし、素面の時の方が望ましい。
 先輩はどういう俺を好くか――そう考えて、やはりやめた。この人には俺を好きになってもらう。互いに変わる必要はない。酒癖は直してもらうけど。

「酔っぱらいとそういうことする趣味ないんで。水飲みます? 持ってきますよ」
「んーん。ねむたい。こっち来て、めぐみ」
「……ハア。もう勝手にどうぞ」
「めぐみ、大好きだよ。おやすみ」

 満面の笑顔から即座にスヤァした先輩の寝顔を眺める。酒臭い。先輩がこんなに酒癖が悪いと思わなかった。色々と強くなるの意味は、大胆になるって意味を含んでいるのかもしれない。普段は控えめで、謙虚で、努力家な先輩。俺も何度励ましてもらったか分からない。
 唇をふよふよ指で押しながら、今までの事をゆっくり思い出していく。夜が明けるまで、好きって自覚を繰り返してしまうんだろう。