「え、っと、あの」

 それを見たのは偶然だった。俺から見ればあからさまに困っているの前に出て、彼女を俺の後ろに隠したのは愚かだとしか言いようがない。誰だか知らないが、この男はきっとのことが好きだと言う自覚があり、それを認めたうえで彼女に言い寄っている。俺なんかウダウダ考えながら逃げ惑ってるばっかで、全然向き合ってねーのに。

「コイツに何か用」

 けど、俺に睨まれてスーっと去って行ったソイツに彼女を任せたいとは思わない。例え俺なんかよりソイツの方が彼女を幸せにできるんであってもだ。自分勝手が過ぎる。理性では分かってても折り合いが付けられない。面識のない奴を一方的に睨みつけたことも、半ば追い払うようにしたことも。のことになると、ここまで自分は自分包囲だっただろうかと己の嫌な一面を突きつけられるみたいだ。
 俺が七海さんのような大人になれる日はくるのだろうか。はぁ、と溜息が漏れる。
 そういやは、と後ろを向くと、ぼんやり俺を見上げていたようなと視線がかち合った。

「平気か」
「……っはい。ごめんなさい、ありがとうございます」

 ハッとしたが目を逸らしたのに、息が詰まった。首を傾げたり身振り素振りであのそのと振る舞うのは変わっていないのに、確かな線引きを感じる。一歩詰め寄れば手籠めにできる程なのに、この一歩の間に途方もない距離があると察さずにはいられない。
 目を合わせてもらえないのがこんなにクるとか。心臓の辺りが掴まれたように痛む。なんだよ、これ。
「最近少し困ってて」とか苦笑いをもらして彼女は頭を下げて、俺が呆然としている間に去って行こうとする。その手を取って引き留めたのはほぼ反射と言っていい。手のうちに感じる彼女の体がやけに柔らかく感じられてきて、今この背を見送っていたら金輪際話さなかった未来だってあったかもしれないと何故だか急に思えてくる。
 元来、人は自分勝手だ。呪術師なら尚更。津美紀なんかがおかしいだけで、俺の胸中なんか知ろうともせず一方的に去ろうとしただって悪いはずでと脳内で自分理論を積み上げる。俺が望む未来へ持っていくには。

「最近って、ずっと言い寄られてんの」
「い、……言い寄られてるかは、分かりませんけど」
「自覚ないとか、あの男も大変だな」

 彼女は固まって床を見ているのに、さっきとは打って変わって言葉がすらすらと出てくる自分は失笑ものだ。反応は決して良くないし、個人的なこれからがないかもしれないのに、それでももういい言ってしまえ。嫌われたなら諦めもつく。中途半端は好きじゃない、こんな距離は一番苦しい。そんな風に線を引かないでほしい。

「困ってるなら俺と付き合う」

 弾かれたように彼女が顔を上げた。吃驚したように目を瞬いて口を開けている。発言にいまいち疑問符を付いたようにできない俺の悪い癖と、漠然とした問いかけのあまり、受け取り方から迷わせている。はい、か、いいえ、か、それだけでいいのに。
 まあ、そう受け取ってもらえなかったらそれはその時か。はっきり返事が欲しいのにもう諦めモードな自分に呆れるしかない。駄目だったら無理矢理メシ食って寝て、任務授業メシ睡眠読書玉犬の散歩。他にも我を忘れるような趣味を作っておけば良かった。
 じっと見ていたのに居心地が悪かったのか、彼女は首ごと下げてまた床を眺めている。なんか一方的に子犬を虐めてるような気分になってきた。俺はそんなことしないと言い切りたいのに、事実強制して立ち塞がっているようなもんだ、一緒だろ。返事がないのにいつまで拘束してるつもりなんだ俺は。
 手を離すと、しかし彼女が今一度俺の手を取って、きゅっとしっかりと握った。……いや期待するんだけど。

「……困ってるから、とかじゃなくて。私、もうちょっと手がかからないようになります、頑張るから、……伏黒先輩の傍に、居させてほしい、です」

 彼女が慎重に言葉を選んで言った。付き合うのか、付き合わないのか、イエスかノーかで答えろって言えば良かった。が、しかし少なくとも否定系ではなかったので、久しぶりに彼女の頭に手を乗せた。ちょっと毛並みが悪くなってる。撫でると頬を一層赤くしたが上目に俺をうかがう。傍に居させてほしい、っていうのは、そういうことでいいんだろうか。

「……俺の都合の良いように受け取るけど」
「……都合、どっちですか?」

 どうしてそこで不安げに俯く。ふ、と笑みが浮かんでしまった。俺たちは案外似たもの同士なのかもしれない。ヘコむと戻ってくんのに時間がかかるところとか、ネガティブに考えをまとめるところとか、悪いように考えて勝手に諦めるところとか。俺も存外意気地なしだ。決定打を打ち込めばいいのに。嫌われるくらいならとか、また一緒に居られるんなら今じゃなくても、と、そういう曖昧さで生きようとしてしまう。
 無言のまま時だけが過ぎていくので、仕方がなく俺は彼女の手を引いていつもの談話室へと向かうことにした。今更だが、廊下で立ち話するような内容でもない。

「……あの。今日は、伏黒先輩の髪、乾かしますから」
「いい。俺がお前の髪、乾かすから早く寝ろ。風邪気味だろ」
「ひとりでできます」
「出来ないから風邪引いてんじゃないのか」
「ひ、ひとりでできるもん……」

 少し昔のように戻った会話も、直ぐに彼女を不安にさせてしまう。今の俺たちの関係が何なのか、っていうのが分からないのは彼女も同じだ。原因は大体俺の言葉足らず。面倒見たいだけ、って言うのがこんなにも難しい。
 そうだ、俺はの面倒が見たい。隣にいて笑ってて欲しいし、を構いたい。コイツを構うのは俺でありたい。他の誰にも渡さない。

「私、自立します。一歩後ろじゃなくて、隣に、その、居たいので」
「別に、充分自立してると思うけど」
「そんなことないです。いっぱい面倒見てもらってます」

 やっぱ言わなきゃ伝わらなさそうだ。俺は固く口を閉じた。
 俺が玉犬のいらねえ世話焼くの好きなの、知らねーらしい。まあ散歩は朝早いし、夕方はが風呂入ってる時間だし。公園でフリスビーしてみたりとか、いらない芸に取り組んでみたりとか、たまに風呂にも一緒に入ってるしな。知らないのも無理はないけど。
 のつむじを見ていた視線を前へ向けることで顔を逸らし、はあと息を吐いて、どうにか言葉にだけはしてみようと努力する。
 これから先、他のヤツに言い寄られることがないように、もう少しそれっぽいこともしなきゃならないし。人前でっていうのは好きじゃないけど、案外それもを独り占めしてるように感じられていいのかもしれない。別に俺だけのである必要なんかないし、好きに走り回って、元気に居てくれればいい。けど誰にもの世話だけは焼かせてやらねえ。

「俺がの面倒見たいだけ」
「で、でも!? それじゃ、その……伏黒パパになっちゃいます」
「ふざけんな。娘だと思ってねぇよ」

 繋いでる手がが足を止めたことを知らせて来て、仕方がないから立ち止まる。指が絡め合わせられて、緊張で手汗が滲んでこないだろうかと要らないところに意識が割けられたりなんかしながらも、隙間なんかないくらい繋いだ手に幸福感が募っていくのは確かだ。さっき傷ついた距離なんてもうどこかに行ってしまった。ゆっくりと彼女が俺を見上げるから、黒目がちなその瞳に吸い込まれるようになってしまう。

「それは、その……彼氏でいいんですか」
「そう俺が彼氏お前が彼女なんか問題あんのねーだろ」

 はい!って花が咲いたような笑顔に、ひどく心が満たされる。コイツはどこまで俺に、一人じゃ味わえない感情を抱かせるのだろう。
 あのね、といつものようにが言うから、俺は少し身を屈めた。身体を寄せ、耳元に顔を寄せるに心臓が早鐘を打つ。

「先輩、だいすき」