人の口の中から響くぼりぼりという音。ホラーでもなんでもなく、スナック菓子というかお煎餅というか、素直に固有名称で呼ぶならば“ほんち揚げ”。この音だけで判断できるのはいかがなものだろう。しゃがんで材料を吟味していたのにその音だけで分かっちゃうのやめたい。玉狛支部の台所、夕飯当番な私が何を作ろうか悩みながら台の上に材料を出していたところ、いつもの効果音と共に彼が入室してきた。
「迅さん。ほんち揚げ以外もちゃんと食べました?」
「今日ちゃんが夕飯当番だったでしょ。俺の好きなもの作ってもらおうと思ってさ」
いつの間にジャケットを脱いでいた迅さんは、食べ切ったのか、ほんち揚げの袋をゴミ箱に捨ててサングラスを外し、首にいつものエプロンをひっかけると手を洗っている。普通にかっこいい横顔を眺めながらぼーっと考える。今なんかサラッと言われたな。俺の好きなもの作ってもらおうと思ってさ。俺の好きなもの。
「……ほんち揚げ? 作れませんよ」
「いや、まあそうだね。ちゃんの好きなものでいいよ」
一体何がしたいのか。迅さんはにこっと笑って至近距離に寄ってきて、固まってしまった私のお尻をいつも通りの挨拶よろしくさすりと触りやがってから、ぱっぱとエプロンをつけてくれる。つけてくれなくていいからお尻触るの止めて欲しいのに。下から上に指先でやられるのぞわっとしかしない。普通にセクハラ。けど私にエプロンを装着し終えた迅さんは、それからは何事もなかったように台の上に出していた材料のうちジャガイモを手に取って洗いはじめている。もうやだこの人。意味が分からない。こっちは普通に近かったしびっくりしたのに。お尻触るのは普通に最低なんですけど全体的にはわざとやってるのか天然タラシなのかよく分からない。普段何してるのかもよく分からないからまあそういうことだな。
まあとりあえず多分今は手伝ってくれるらしい。彼は隣で手際良くジャガイモを洗って今度は包丁で芽を取っている。はやい。作業がはやい。……この人、料理もできるんだよなあ。安心して任せられるのがまたずるい。何やらせても一流っていうか、ハイスペック。普通にイケメン、背も高いし声もいいし、って、ちょっとズルくない? 俺の好きなもの作ってって言っても、普通に検討ついてて来たんだろうし。小南先輩がよく作ってるから嫌いではないんだろうけど、迅さん好きだったのかな? それは知らなかったけど。っていうかどれを作って欲しいんだろう。まだ未来何通りかあるんですけど。
「今日の夕飯が何か当ててください。サイドエフェクトで」
「未来見なくても分かるよ。カレーね」
「シチューの選択肢もあります」
「まあね。でもルーがそこに出てる」
「……どっちがいいです?」
「決めていいよ」
「えっ……」
そんなこと言われても。私の下した判断で未来が大変なことになったら困る。迅さんが決めていいって言う手前、まあ悲惨なことにはならないんだろうけど、っていうか悲惨なことになるから迅さんが手伝いに来てくれたまであったりする? 心配しないで欲しい。そこまで下手ではない。けど、決めていいよ。決めていいよ? ムリムリ、ムリです。私はさらりと笑顔を作った。
「迅さんが決めてください。より良い未来の方を」
「どっちでもダイジョブダイジョブ」
のほほんとした能天気な表情というか歯をキラリとした気の抜けた胡散臭い笑顔で返された。その回答凄く困る。
迅さんが好きなほうってどっち? って聞くのはまた何か誤解が生まれそうでなんかこう、なんか。本人がどっちでもいいと言ってるのだからどっちでもいいのかもしれない。だがしかし。
ウワーン。困って食材を見た。
……うーん、やることは一緒だから、とりあえず永遠にタマネギの皮を剥くBOTと化そう。迅さんも隣でジャガイモの皮を剥くBOTと化している。
手伝ってもらえるのは普通にありがたいけど、迅さんとの会話は疲れる。個人的かつ一方的な気疲れだ。するする続いていくというか、躱され続けるというか、誘導されているというか。勝手に自分が考えすぎてしまうというか、そんな感じ。だから、いまいち可愛い受け答えができないのもまあ仕方がないだろう。毎回お尻触ってくるし。加えて迅さんみたいなエリートとじゃ無理にも無理がある。お尻触ってくるし。
ひょんなことから玉狛支部にお世話になっているけど、皆さん面倒見がよすぎる。そんなに気にかけてもらわなくても死なないから本当に大丈夫なんですけど。
「ちゃん今度の休みヒマでしょ。俺の街歩き付いて来てくれない?」
「その方が良い未来になるなら、はい」
「そういうことじゃなくて普通にね?」
「そういうことじゃない普通?どういうことですかね?」
「俺もお年頃ってことじゃない?」
何を言っているか分からない。迅さん近界民説を考えたい程だ。やだもう逃避する。その手の質問や冗談やからかいは苦手だ。今の私はタマネギの皮を剥くBOT。隣の迅さんはジャガイモの皮を剥くBOT!
タマネギの皮をべりべりぺりぺり剥きながら考える。私は今何がしたいのかについて。陽太郎が向こうでテレビを見ながらきゃーこら言っているのが見える。傍らにはもふもふと見せかけて割とぐゎしぐゎしの毛並みを持っているカピバラが転がっている。そうだな、夕飯当番を迅さんにぶん投げして雷神丸モフりたい。全く現実的ではない。少なくとも私は隣の迅さんに私の仕事である本日の夕飯当番を丸投げして離脱するなどという勇気も度胸も持ち合わせていない。まあ一人と一匹?二人はこっちに来るとそのうちタマネギが目にしみるターンがやってくるのでそのまま教育テレビに夢中になっているのがいいだろう。
結論この状況を打破できないのだ、どうしようもない。隣から聞こえてくる音は彼の入室時のばりぼりがりぼりじゃくむしゃあではなく鼻歌になっているのが益々違和感だ。確かにこういう時には雑談に限ると思うし、気を遣ってくれたのかもしれないけど、迅さんが振ってくれた話題は訳が分からな過ぎて却下が過ぎるんだよなあ。さてどうしようか。ひたすら無心でタマネギの皮を剥き続けるのは難しそうだ。ついでにさっきの話題を蒸し返されたりしたらたまらない。どうにか別の話題を捻り出さなくては。隣で機嫌良さそうにふんふん言っている迅さんが存在を主張してくるし。してるつもりないかもしれないけど私にはそう思える。気配を消して欲しい。文句の一つでも言ってやりたい。構わないでもらって大丈夫です。デートのお誘いみたいなのやめてください。違ったらヘコむので。あとほんち揚げ送ってくるの普通に迷惑です。そうだ思い出した。文句言ってやろう。
「迅さん、いい加減ほんち揚げ送りまくってくるのやめてくれませんか」
「ちゃんもほんち揚げ好きっしょ?」
「嫌いじゃないですけど食べるなら自分で買います」
「そしたら君は買わないよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」
「そんなことにサイドエフェクトを使うな」
「使いたくなくても見えちゃうんだから仕方ないでしょ」
げんなり呆れて彼を見ると緑色の瞳とばちっと目が合った。思わず手元が止まる。迅さんはにやっと口角を持ち上げた。やばい未来を選んだ気がする。
「俺一個だけ理想があってね。ほんち揚げっぽいのが作れる女のコと結婚するって決めてる」
「あたま大丈夫ですか?」
「だからちゃんがほんち揚げ作りに目覚めないかなって下心は込みかな」
「それなら一生できないじゃないですか、結婚」
「へえ。したいみたいな口ぶりだね」
「な、」
言葉を失くしている私をにやにやと見つめながら、迅さんは蛇口をひねり適当に乱雑に手を濯ぎタオルで拭いて、あろうことかこちらに一歩距離を詰めて来る。いつの間に終わっていたのか、全ての皮が向き終えられた黄色いジャガイモがカゴに積み上がっているのが彼の後ろに見えた。おかしい次に手に取るのは私の腕じゃなくて包丁のはずですよ。ジャガイモ切ってください!
「もっかい言おうか」
「いいです。しないです。言葉の綾です」
「でも実はさ」
体を向き直されまた一歩距離を詰められて、全身が強張る。殺すか殺されるかの時ぐらいしか、こんな近くに人を入れることなんて無い。眠そうで常にやる気のないように見える目許が、普通にとっておきってくらい優し気に微笑んでてどきっとした。え、や、ちょっと雰囲気おかしくない?
「ちゃんに限ってなら、ほんち揚げ作れなくてもいいんだよね。さっきのは普段、告白断るために使ってる常套句。なんせ引っ張りだこの実力派エリートなもんで」
ちゃんに彼氏できるならそれ俺なんだけど、どうする?って小声で艶っぽく言ってくる迅さんに、もう動けっこない。物凄く目の前に、迅さんがいる。互いの呼吸が分かってしまうくらいの距離。あともうすこしで、体が触れ合ってしまうだろうし、キスだって、できるような、距離。近すぎて恥ずかしいつらいどうしてこんなことに。緊張で固く手を握りしめた。あっタマネギを握ったままだ。ねえ、って名前呼ばないで。心臓が持たない!
「た、た、タマネギメテオラ!!」
「やられたー」
高らかに手をあげてタマネギ汁をブシャアできるわけもないのに、ウワーと言って迅さんが離れていってくれた。ホントに、本当に意味が分からない。なんで、どうして、熱くなった顔がどうにもならない。
そのうちに、普通の顔した迅さんが大人しくジャガイモを切り始めてくれたのを見て、私もさっきより一歩離れて作業位置に戻ったものの。タマネギの皮むきは全くと言っていいほど進まない。だって手指が緊張で震えたまま戻らない。自分でも目にうつる自分の手先の震えように笑えてしまう。未だにばくばくうるさい心臓も治らない。
私はこんなだっていうのに、隣からはまた鼻歌が聞こえてくる。照れてる素振りも無かったし、きっとからかわれてるに違いないんだ。絶対からかわれてる! 今だってきっと飄々としてるはずだ。ちらりと隣を盗み見たつもりが、横目でちらって見られて目が合って私は一瞬で固まってしまった。固まる癖治したい。不敵に微笑まないでいただきたい。
「真剣に考えといてよ。まあ、あんまり悩んでも意味ないよ? はいって言う未来しか見えてないからさ」
みらいはひとつ