やっと見つけた。前方からやってくる今日の彼はパトロールだったのだろう、スリーピースをきっちり着こなしてニャババを連れている。目が合った。

「アッ、イョウ!家出少女が保護され!帰る場所なく採用は思春期不安定、だけど頭が良かったゼィ♪オレの頭を捏ね捏ね!オレが泣いてもやめない!オレのお腹を猫吸い!」

 ニャババがインコのリズム感を遺憾なく発揮し、くねくねダンスを披露してくれてから、私の足元をくるくる回ったかと思うと「オレは猫じゃニャイ゛!!!!!」尻尾を逆立たせてピューンと行ってしまった。猫は怖がっている時や怒っている時以外にも、感情の高ぶりで尻尾がたわしになってしまう。だから嫌われている訳ではないと思う、多分。人造人間というプライドを自爆して傷つけ挙句の果て舌まで噛んでいたのは見なかった振りをしてあげよう。
 まあ気を取り直して。いつ死ぬとも分からないのだ、毎日決意を新たに突撃する方の後悔を私はしていたい。

「時永さん。好きです!」
「あー、うん、ありがとう。僕もさんのこと、好きだよ」
「違います、そうじゃないです。私は時永さんを男性として好きです付き合ってくださいって言ってます」
「ダメだよ、君はまだ未成年なんだからもっと自分を大切にしないと」

 耳タコだ。聞き飽きた。時永さんとお話しすると増して情緒不安定な私の視床下部はすぐに刺激され、泣けとお目々に命じてしまう。じんわり視界が潤んできた。ニャババめ、一人にしやがって。
 時永さんは私の泣き顔を見ると直ぐウッて悪そうにするから、これはウッてなれ!と押し付けているみたいで好きじゃない。泣かないでとかごめんねとか慌てて寄って来た時永さんが言ってるけど私が聞きたいのはそんな言葉じゃない。あとまだ泣いてない。すん、といつもとは違う香りが鼻を衝いたのも、今日は嫌だった。
 そうですかとか言ってスタスタ行っちゃってスルーされてた頃を思い返せば(人として)好きだよまで言ってくれるようになったのは大分頑張ったのではと思うが、打ち止め感が凄い。ニャババはそんなことねーよ!って言ってくれるけど、そんなことしかないだろう。ぽろぽろ涙が伝っていくのにも慣れてしまった。心臓はきゅうってなるけど、別に、悲しいとか、そういうわけじゃない。

 時永さんはいつも、“子供”か“大人”か。倫理が無くて基本的人権を侵している課に所属している彼の頭だって等しくイカれている癖に、未成年であるか成人であるかを基準にして頑張っているの、バカみたいだ。バカみたい。口から零れ落ちた、未成年じゃなかったらいいの?という問いに時永さんが答えることは無い。
 バカみたい。こんな風に泣いてこんな風に言うなんて、私は子供ですと言っているようなものだ。それでも、溢れ出るこれを止められるのなら、人類は神に勝てただろう。

「ほんとにすきなのに…」

 はぁ、と彼がいつも通り短い溜息をつく。些か軽い吐息のような、優しい音すら混じっているようにつかないで欲しい。もっともっと重苦しく、鬱陶しいと、嫌いだ、やめろ、近づくなと、否定をして欲しい。そんなんだから諦められないのに。

「君は、僕が健やかな人体を保っている手頃な大人だからそう錯覚してるだけに過ぎない」

 冷水を頭からぶっかけるような、凍えるような酷い言葉を優しく吐く。私は“大人”を見ているんでなくて、“時永さん”を好きなのに。私の頭は冷えるどころか怒りに燃え上がった。このくらいで消えるような恋心なら拗らせていない。

 いつもは言葉が出なくなって、ここで私が諦めて終わり。何回何十回何百回やってきたやり取りだろう、存外知能指数の方は悪くはない時永さんの頭にレパートリー切れという言葉は無いらしいから。けれど今日の私の感情の方が強かった、脳味噌の方が冴えていた、ただそれだけの話だ。情緒不安定さが増しているなんてネガティブな言い方には変えないように。外から帰って来て疲れ切った色気を纏っている時永さんが悪い。誰かを助けでもしたのか、女の子っぽい香水の匂いを仄かに纏っている時永さんが悪い。

「時永さんこそ、私を子供だからってそうとしか見てくれない癖に」

 思ったよりも大きな声が出た。彼の耳になったならばビックリマークが何個かついただろう。私は彼の死角である左下から、胸元に思いっ切り頭突きをしてやって、ウワッと後ろに尻餅をついた彼の上になだれ込む。彼の腰を跨いで床に膝をつき、眼帯の奥から垂れ下がっている鞭の取っ手に手をかけて、彼の生殺与奪権ごと握った気になっている。こんなの、彼がその気になれば振り払えるに決まってるのに、まだ時永さんは余裕なのか、目をぱちくりして私を眺めている。腹立つ。そんなに可愛い顔してるとちゅーしちゃうぞ。されちゃえばいいんだ。いつも天然無自覚たらしみたいに人をたらしやがって。

 彼のはちみつ色の右目を至近距離で覗き込むと、なにか言いかけようとでもしたのか、その下の唇が薄く開くから、自分のそれをくっつけてしまって目を閉じた。時永さんはやっと固まって、目を閉じることも忘れているようだ。息をすることは覚えているみたいだが。……息、このまましてていいの?時永さんの息がかかるように私の息もかかってるんじゃ?どうしよう。息とめてた方がいいの?ていうか息していいの?ていうかどうやって離したらいいの?いつ離したらいいの?それとも先に進んだ方がいいの?大人のちゅーって舌を入れたりするんだっけ?それなら巳波さんとかはどうやって人とキスするんだ?ていうかそろそろ苦しくなってきた。もっと大きく息吸ってからすれば良かった。でもそれは必死すぎて何か嫌だ。とにかくちょっと息をしたい、そのためには離れるしかない。混乱してるのは知られたくないから、ゆっくりと。
 やわらかな時永さんの唇と離れてしまうのを名残惜しく感じていた。唇をただ押し当てるだけの、まさに子供みたいなキス、を私はした。失った酸素を忙しなく取り込んでいるのも私だけで悔しい。
 私は四方八方に視線をうろちょろ逸らしながら、時永さんの様子をうかがう。恥ずかしくて直視が出来ない。ちらりと見た時永さんは、顔を真っ赤に染めていたが、まあ時永さんの赤面は別に珍しいことでも無い。時永さんはまあまあ照れ屋だから、時々赤くなっているところは見たことがある。だからそれよりも私が困っているのは、なんにも喋ってくれないし、動きもしてくれないし、ってほうだ。そろり、と彼の目を見てみても、無反応。時永さんはただ私にされるがまま。私を膝に乗せて尻餅をついたままでいる。

「……未成年に、無抵抗でちゅーされるのは、いいんですか」

 時永さんはなお、無言で私を目に映したまま固まっている。……なんか言ってくれませんか。
 しばし見つめ合うも、だめだ。これ以上は耐えられない。顔が熱い。撤退しよう。今日も負けた。人類が神に勝てない並に負けた。
 はあ、と思わずため息をついてしまいながら腰を上げようとする。しかし、腰にぐっと力を加えられて元の体勢に戻った。間髪入れず頭の後ろを押さえつけられて吃驚して体が固まってしまう。私の顔面は時永さんの肩口に押し付けられた。え、えっ。頭を押さえている手は優しくそこを動く。私の髪はぐしゃぐしゃになっているだろう。……なでなでされている?

「…僕を、駄目な大人にしないでもらえますか」
「じ、自分からなったんでしょう…」

 むぎゅ、と更に力強く、私の顔は肩口に押し付けられ、とても息がしにくい。こんな頻脈になってる人間の酸素を制限するなんて極悪非道。女泣かせめ。せめてもの抵抗だ、と私は体の力を抜いた。

Q.E.D.