ギリギリ間に合った!?

さん! いらっしゃいませ!」
「梓さん! ごめんなさい、もう遅いです、よね?」
「まさか! って言いたいんですけど……、私今日は、もう帰らないといけなくて。でも、安室さんならきっと……」

 何とかしてくれますよね? という梓さんの期待の籠った眼差しに、安室さんが「もちろんです」と。お店に入ることを促してくれたので、半身お邪魔してみる。
 営業時間ギリギリ。悪いかな、と思いながら扉を開けてみたものの、まあやっぱり悪かったな感が拭えない。梓さんなんてもうエプロンつけてない。
 やっぱり帰ろうかな、と二の足を踏んでいると、梓さんが私をジ~っと見ていることに気が付いた。

さんお疲れですか? それとも何かありました?」
「えっ、いえ。ちょっと仕事が忙しかったんです」
「そうなんですか。無理しないでくださいね」

 そういう日もありますよね、と梓さんがバッグを持ってこちらへ来たので扉を開ける。梓さんは「あっありがとうございます。じゃあ、すみませんが失礼しますね!」と元気よく帰られた。私は手を振って、安室さんは、お疲れ様です、と梓さんの背中に声をかける。

さんも、お仕事お疲れ様でした」
「いえ、そんな、すみません」

 声に振り返ると、仕事帰りの疲れた心と体に染みる、あむぴスマイル。本日誕生日の私しかしきっかり0時からの不運フルコンボの悲しみが癒されていく。
 今日は、元々仕事が激務の予定だったから、スカートじゃ全力疾走が厳しいしでパンツスーツに低めのヒールで行った。ヒールが折れた。急遽購入した。靴擦れができた。とても痛い。時間がなくてお昼はカロリーメイドで済ませるしかなかった。ちなみに0時にメールで彼氏にフラれたところから今日が始まっている。割と悲惨。
 そんなこんなも、あむぴスマイルでもうヨシ! と思えてきたのであむぴは偉大である。

「本当に、ギリギリに来てしまってごめんなさい」
「いえいえ。来て下さって嬉しいです。今日はもう来られないかと思っていたので」

 エヘヘとニヤけまくっているだろう顔を隠すように、わざわざ後ろを向いて丁寧に、開けっ放しだった扉を閉める。やった~~!! お誕生日に安室さんのご飯が食べられる~~!!
 喜びをかみしめていると、背後にスッと影が差した。反射的に振り向くと、安室さん。今足音してた? ぐらい近くにいる。えっ、ん、んん!?

「梓さんの目は誤魔化せても、僕の目は誤魔化せませんよ?」

「探偵ですから」と、安室さんはいつもの調子でウインクした。あむぴウインクは殺傷能力が高すぎる。
 あまりにも近い距離に思いっきり後ずさったら「危ないですよ」と背中を支えられてしまうし。いやっえっなん、なに? なにこの状況。これは壁ドンじゃ、壁ドンなんじゃ。壁ドンみたいになっている。いや片手で私を支えてるんじゃ片手を扉につくようになって当たり前な気もするが。
 近すぎてびっくりしている。恥ずかしすぎて急激に顔に熱が集まって来て、ジンジン痛かった靴擦れが気にならなくなってきた。熱いところが増えたから? 一体何が起きているんだろう。
 店内は明るい。背の高くがっしりとしている安室さんの腕の中は影になる。見詰められてどきどきが止まらない。多分観察されているだけなんだろうけど。どうしよう。今日の私の一日の不幸はこのためにあった? でも安室さんの視界に映っていいような顔してないと思う。化粧直してきたっけ? きてない。動悸が大変なことになってきた。大分時間が経っているように感じるが、いつまでこうなんだろう。

「あ、あの。えっと……!!その!!」

 安室さんはカッコ良すぎるので、とりあえず離れてもらわないと頭が回らない。
 必至に態度で訴えてみると、安室さんはクスッと笑って、すっと体を引いてくれた。

「座っていて下さい」

 何がしたかったのかは全く分からないが、引き際が良い。
 逃げるように一歩店内に進んでみると、彼は扉に腕を伸ばしてかけられている看板を裏返した。あ、CLOSEになるやつ。閉店作業な気がする。……変なこと言わなくて良かった。勝手にドキドキしちゃってごめんなさいなやつ!
 さて、座っていていいと言われたものの、どうしようか。店内には誰もいない。以前はお休みの日に試食に呼んでもらってお邪魔したり、なんて顧客だったけど、最近通えてなかったし。もう、また一年頑張れるご褒美はもらったようなものだし、やっぱり帰った方がいいのでは……!? これ以上は恥を晒しそうだ。

「今日、何かあったんですか?」
「えっ。っと」

 悩んでいたら、ガチャリと鍵が回される音がした。そしてカーテンまで閉められた。逃げ道を塞がれた。閉店作業ついでに、顧客満足度を上げるためにお話を聞いてあげよう、そして食べたら早く帰ってもらおうというアレかもしれない。

「靴擦れ、痛いでしょう? 早くカウンターの方へ座ってください。絆創膏、差し上げますから」
「すみません……」

 とっても善意。
 観念して、荷物を置いて椅子に座った。靴からカカトを抜いたところで、アレいつ靴擦れのこと気付いたの安室さん?! という事実に気が付いた。

「はい、絆創膏です。貼ってあげましょうか?」
「い!? 大丈夫です! 自分で貼れます!!」
「冗談ですよ」

 安室さんはハハハと笑いながらカウンターへ入って行く。私は恥ずかしいのを、慌てているのを隠すように顔を背けて、安室さんがくださった絆創膏をぺりり…として足に張る。

「あの。靴擦れのこと、どうして気付いたんですか……」
「見慣れない靴だったので。いつもの靴が壊れてしまって、急遽買われたのかな、と思いまして」

 歩き方も変でしたよ、と付け足された。さすがの観察眼。

「お昼はちゃんと食べられましたか? ダメですよ、忙しくてもきちんと食事を摂らないと。特製メニューをお出ししてもよろしいですか?」
「もちろんです……」

 はたまた観念してご飯をいただくつもりになった私に、安室さんはニコニコニコニコしながら用意を始めてくれた。はい、なんでも頂きます。ギリギリに来てごめんなさい。そんなにフラフラに見えましたでしょうか。ご飯を恵んでくださってありがとうございます。

「今日は他に、何かありました?」
「他に、えーと。まあ、はい。色々ありました」
「僕には話せませんか?」

 う、う~ん。どうしよう。安室さんに話せないと言うより、誰も私の不幸なんか聞きたくないんじゃない? 感。しかも話さなくてもほとんどバレてるし。
 安室さんは、微笑みながら支度をしてくれている。普段なら、きゅ~んという効果音が付きそうな子犬のような顔とか、されそうなのに。なんだかさっきから、物凄く、ずっと、ニコニコされている。スマイルを零円で振りまいている。神様のお誕生日ボーナス? はたまた人の不幸を笑われている……? いや安室さんはそんなタイプじゃない。となればやはり、早く食って帰れという圧。
 私はガクブルしながら、安室さんをちょっと探ってみることにした。

「安室さんは。今日は凄くニコニコされてますね……? 何かいいことでもあったんですか?」
「そうですか? いつも通りですよ? まあ、いいことはこれからあるかもしれませんね」

 こわい。

「た、食べたら直ぐ帰りますので。ごめんなさい、本当にすみません」
「何言ってるんですか。ゆっくりしていってください。さん、今日誕生日じゃないですか。おめでとうございます」

 思わず目がパチパチなった。安室さんの脳味噌、記憶力が凄すぎる。いつ知ったのか、どこかで聞いたのか、私が話したのか、私にはおおよそ記憶が無い。

「あ、ありがとうございます」

 じわじわ嬉しくなってきた。さすが、安室さんだ。
 お客さんの悩みを聞き出して解決するのもポアロの店員である僕の仕事の一つ、だとか、僕にできること、だとか、そういう風に、一つ一つなんでもないようにやってしまう。街でトラブルに巻き込まれたりしても何でも円満に解決できちゃって、もうなんか、スーパーヒーローみたいな人。

「それで、言いたくないのならすみませんが……、僕には言えませんか? 僕は、聞きたいんですが」

 パンのトーストされる良い匂いが漂ってくる。おいしそうな匂いにお腹が鳴って来る。サーブされたカップスープを手に取ってみると、熱いから気を付けて下さいね、と優しい声で言われた。
 安室さんはどうしてそんなに私の話を聞きたいんだろう。スープの熱さを確かめながら考える。
 これだけバレているのに、全部聞いてから、慰めてくれるつもりなんだろうか。きっとそうだな。絶対なんか私の心を軽くしてあげたいみたいな感じな気がする。または、推理できていなくてスッキリしないのかもしれない。そうだとしたら、私、顔に出てないんじゃない!? ちょっと成長したかもしれない。他のところはバレバレだったけど、スカートじゃないとか、靴が違うとか、見て直ぐ分かるところがあったから、こう、ホラ。予測できなくてスッキリしない以外に安室さんが私の残りの不幸な話を聞きたがるとも思えない。残りって彼氏にフラれたことだけだけど。聞いてどうするんだろう。ってやっぱりアレだ、その先だ。慰めてくれるんだろうな。そんなに気を遣わせて申し訳ない。さくっと白状してシュババってご飯食べて早く帰らなくちゃ。

「えっと。彼氏にフラれちゃっただけです。しかも0時きっかりに。笑えますよね」

 自嘲しながら、スープを一口頂く。香りが鼻に抜けて、温かい美味しさにほっとした。
 割と、ダメージがあった。0時きっかりにフラれるのは中々に参る。

「笑いませんよ。でも、そうですね。そうでしょうね。やっとですか」

 そうでしょうね。やっとですか。

「そ、そうでしょうね!?」
「別れて正解でしたよ。良かったじゃないですか」
「よ……!?」

 安室さんはニコニコ笑顔で言いながら、ほかほかのパン、メインディッシュ、と、料理をカウンターテーブルへ手早く並べ、冷めないうちに食べてくださいね、と言って屈んだ。

「デザートも今、出してしまっていいですか? 生クリーム系のものではないですから、キンキンに冷えているよりは出しておいた方が風味が良いかと思いますし」

 足元の冷蔵庫から取り出されたらしいそれが、更にカウンターテーブルに並べられる。大きなお皿の、ケーキ。ホールだ。
 それから取り皿やカトラリーも一式出すと、安室さんはこちらへやって来た。隣の椅子が引かれ、そこへ安室さんが座る。安室さんがカウンターから料理を降ろして私の前に並べてくれる。ニッコリ。

「別れたお祝い、ということで」

 宇宙猫以外の感想がない。別れたお祝い。別れた。お祝い……。
 な、なん……? え?

「あ、あむろ、さん。あむろ、さん? ……安室さんですか?」
「はい、僕ですよ」

 テーブルに肘をついて安室さんがニッコリとほほ笑み、片手をひらひら振ってみせてくれる。か、顔がいい。安室さんは鼻歌でも歌い出しそうな感じだ。だめだ、待って欲しい。よく分からない。顔が良いことだけは分かる。

「ほら、冷めてしまいますよ。早く召し上がって下さい」
「……???」

 勧められるままにお料理に手を付ける。さくっ、もちっ、ばりっ、かりっ、おいしいことは分かる。分かるけど。味もするけど。おいしい。おいしい、けど! あ、あむろさん??
 安室さんの方を向くと、至近距離でニッコリされてしまった。ひえぇとなってしまうので、私は諦めてご飯を食べ進むことにする。ご飯を食べながら、何を言われたか思い返してみるけど、衝撃すぎて半分くらいは忘れている。ごはんおいしい。

「あの。おいしいです。ありがとうございます」
「それは良かったです」
「それで、別れたお祝い、なんですか?」
「そうです。お祝いですよ? もちろん、お誕生日もですが」

 ?????
 ごはんおいしい。

「どうもその人は、さんのことを大切にしていないように僕には見えましたので」
「そうなんですか」
「そうです。探偵でなくとも分かりますよ。それにさんのことを、もっと思っている人はいます」
「そうなんですね」

 例えば僕とか。って安室さんが立ち上がった。わけがわからなすぎて咄嗟に身構えてしまったら、安室さんはくすっと笑ってホールケーキをテーブルへ下ろした。安室さんがケーキを切り分けていく。
 あっすごく綺麗な断面。おいしそう。手の込んだケーキな気がする。作るのが手間だろうことが分かる。うまく出来たかな、みたいにケーキの断面を覗く安室さんは♪がついていそうな感じだ。――あっ思い出した。いつだか安室さんに、食べてみたいケーキ聞かれた、まんまあれだ。え、安室さんが作ってくれた気がする。ていうか絶対そうだ。ちょっと待って、えっ!!?
 大混乱している間にも、安室さんは流れるような手つきでケーキをお皿に分けて目の前に置いてくれた。わあ、おいしそう。
 こんなにスパッと、別れたことを祝う選択肢、なんて8個もないと思う。妬み、嫉み、嫉妬、ジェラシー、人の不幸は蜜の味。

「……安室さんって、私のことを好きでいてくれたりしました?」
「どう思います?」

 ありえないことを聞いてしまってごめんなさいって思います。でもそれ以上に、人の不幸を喜ぶ安室さんが想像できないので、私には安室さんが考えていることが分かない、ってことが分かります!
 私もやけっぱちの笑顔になって、ニコニコニコニコ、あと少しだけ残っているお料理を口に運んで食べ切ってしまう。安室さんはさっきみたいに、隣に座ってニコニコ、いやニヤニヤしている気がしなくもない。もう何もわからない。

「お料理、ごちそうさまでした。とってもおいしかったです。あの。このケーキって……」
「はい、僕が作りました。気に入ってもらえましたか?」

 それはもちろんなんですけど。
 この人、ただの一顧客である私の誕生日のために、わざわざケーキを焼いてくれたとでも言うのだろうか。一日の設定時間どうなってるんですか? わ、分からない。何も分からない!

「名前さんの好みを考えたつもりなんですが……」

 しゅん、とする犬耳が見えた。あ、あわわわ。顔の良さが最大限に活用されてしまっている。

「すっごく、すっごく美味しそうです。とっても嬉しいです」
「良かった。早く食べませんか?」

 はい、どうぞ、と安室さんはケーキを載せたフォークを私の口元に差し出してくる。その顔は満面の笑みで、主人に仕えるワンの如しだ。よく分からない。あーん、だっていうことは、なんとなく分かる。よく分からない。けど、ズイッと更にフォークを寄せられてしまえば仕方がないから、恥を忍んで頂くしかない。もうずっと安室さんのペースだ。

「……とっても、おいしいです」
「喜んでもらえて安心しました」

 いつだかコナン君が、安室さん彼女いないんだって、と話してきたのが思い出される。でも女子高生に見られたら絶対に刺されると思うんだよ。思うんだけど、安室さんに逆らえる人の方が少ないとも思うから。思うから許して欲しい。私から、あーんして下さいなんて言ったわけでもない。

「来年の誕生日も、僕に祝わせてくださいね」

つまりどういうことなのか