。一体お前の涙腺はどうなってるんだ」

 カレー専門店のテーブル席、呆れたように降谷さんが言う。疑問符すらついていなかった。
 テーブルにはカレーが3点、それからほくほくのジャガイモと、お水と、私が頼んだラッシーがひとつ。お二人とも中辛っていうから、私も中辛にしたのが馬鹿でした。

「っぐす。からいものを、食べると、痛みを感じて、涙が出るのは! 人体の、正常な、反応、です……」
「その通りです」

 向かいの風見さんがヒーヒーなりながら同意してくれた。優しい。

「だからと言って……この程度で」

 隣の降谷さんは涼しい顔で同意してくれない。いつも通り。鬼。
 うぐ、ぐす、と声にならない声を発しながら、気を付けて袖に涙を吸わせる。ポケットを漁ってもハンカチが入っていなかったため。今日に限ってハンカチを忘れた。ついでに卓上にナプキンも無い。こんなに辛いのに。
 口全体がピリピリする。舌はもはやビリビリする。辛いというかもう、痛いです。
 鼻をすすっていると、横からズイッとハンカチが差し出された。降谷さん。ピッとアイロンがかけられた皺一つないハンカチ。化粧つけちゃわないか、かなり躊躇するんですが。

「ありがとうございます。でも大丈夫です」
「いいから拭け」

 降谷さんはそのハンカチを私に押し付けて、自身の中辛カレーを口に運ぶ。私はハンカチを机の上に置いた。
 汚しちゃいそうだし普通に上司のハンカチとか使えないです。
 それより、何故こんなことになっているかというと。

「この店の中辛は、一般で言われる激辛レベルですよ! 辛すぎます!」
「それはそうですね」

 風見さんが遠い目をしている。
 道中聞いた話だが、どうやら前回お二人でいらっしゃった際、風見さんは激辛で大変なことになってしまったらしい。
 よって今日はみんなで同じ中辛を食べている。そしてしかし私だけが泣いている。

は泣き虫だなあ」

 驚いたような顔からの笑顔でハハハと笑う降谷さんが憎たらしい。ほら、風見さんがエッ……って顔で口をポカンと開けてるよ! 私そんなキャラじゃないんですよ!!!
 ん、どうした風見? とでも言うように、降谷さんがそんな風見さんを眺める。
 机の上のハンカチは持ち主の手に取られ、しかしポケットに戻らずに私の頬を丁寧に拭う。口の中はまだヒーヒー言いたくなるほどに辛いが、大分涙は止まってきた。辛さが怒りに変わったのかもしれない。

「……さんって、泣かれるんですか?」
「辛いものを食べたときだけです。あと玉ねぎを切るときとか。生理現象ですよ」

 風見さんと私の会話に、ハンカチを私の手元に置き直した降谷さんは目をパチパチとした。うわあさすが降谷さん、上手に拭きましたね。お化粧が一切ハンカチにうつってません。さすが降谷さん。ありがとうございます。ついでにそのハンカチいい匂いしました。さすがですね降谷さん。だからやめてください。言わないでください。いらんこと言わないでくださいよ!?

「何だお前、風見の前で泣いたことないのか」
「他の人の前でだってありませんよ!」
「僕の前では片手指を超えてるだろ」

 うるさいです。
 しかしうるさいなんて降谷さんには言えない。言ったらボコボコにされるんじゃないだろうか。勿論口頭で。
 降谷さんを無視し、私は黙ってカレーを口に運ぶ。辛くてまた涙が滲んでくる。恥ずかしくて泣いてるわけじゃないですからね。断じて。ぐす。バラすなんてひどい。降谷さんが厳しいだけですよ。申し訳ないとは思ってますけどバラす必要はないじゃないですか降谷さんのバカ野郎。

「何か失礼なことを考えてないか?」
「いいえ全く。このスパルタ鬼意地悪上司とか微塵も考えてません」
「ホォー……」

 辛さに鼻をすすりながらラッシーに手を伸ばした。すると、スッとラッシーが消えた。犯人を言う必要はないだろう。愉快犯で逮捕したい。

「どうしてそんなに私のことを、いじめるんですか?」
「聞きたいか?」
「……やっぱり遠慮しておきます」

 諦めてカレーを食べ進むと、降谷さんは、なんだつまらん、と言いながらラッシーを自分の側へ置いた。飲みたいならどうぞ、飲んでいいですよ。カレー食べ終わった時の私の分を三口くらい残しておいて頂ければ。

「風見。水を飲むのはカレーに失礼であることを説明してやれ」
「だから水じゃないじゃないですか!」

 風見さんを指名した降谷さんは、私の言葉には反応もせず、ニッコォと輝く笑顔でおいしそうにカレーを食べ進んでいる。風見さんは無反応だ。降谷さんの命令、聞こえていたんだろうか。
 だけどどうせ、どうせ! カレーに含まれている唐辛子の辛味成分であるカプサイシンは脂溶性だから水に溶けないため水を飲むと更に口全体に辛味を感じることになるとかそういううんちくを聞かされるに決まってるんだ!

「だから、だからラッシーを頼んだじゃないですか私は!」
「何故か理由を言ってみろ」
「ラッシーは辛味をマイルドにするからです!!」

 それで? と降谷さんはカレーを食べ続ける。降谷さん、とても機嫌が良さそうですね? 確かにカレーはおいしいですけど。なんなんだこの上司。なんで私のラッシーを取り上げたんですか! 私はこんなにも辛くて口の中がつらいのに!

「牛乳やヨーグルトなどの乳製品やマヨネーズなどの油脂を含むものは脂溶性であるカプサイシンを溶かして一緒に洗い流してくれる上に粘膜や胃腸を保護してくれる働きもあるためカレーにはラッシーや本場インドで必ずセットで付いてくるようなライタというヨーグルトサラダを一緒に摂るといいんでしょ!」

 っぜえ、ぜえ。どうだ!!
 私の全力の一息説明に、降谷さんは余裕で頷く。ピッカピカの笑顔だ。

「よく知っているじゃないか。勉強したのか?」
「昔降谷さんが誰かに語ってたのを聞いてただけです!」
「よく覚えていたな。えらいぞ。褒美にこれを返してやる」

 降谷さんがラッシーを返してくれた。ありがとうございます!
 必死の思いでラッシーを口に含むと、爽やかな甘さが広がった。おいしい。おいしいです。口の中の辛さが幾分マシになっていく。耐えた分だけ美味しく感じるのかもしれない。

「降谷さんでも、好きな女性をいじめてしまうものなんですねえ……」

 風見さんの声にそちらを向くと、ぽけー、という感じであった。ぽけー。
 降谷さんと揃って、いや私だけか。首を傾げるが、なんか凄いこと仰られました?

「あ、アレ。……そ、その、声に、出てましたかね? ハハハ……」
「僕はカレーを食べている最中に水を飲む行いに関する説明をにしてやれと言ったんだが? 何を聞いていたんだ。風見」
「すみません! すみませんすみません!」
「お前のその耳は飾りだったようだな。知らなかったぞ」
「降谷さんすみません、すみませんこれ以上はもう……!!」

 今度はブチギレた笑顔だ。風見さんの耳がもがれるかもしれない。降谷さんは風見さんのカレーのお皿に白いラッキョウを何個もゆっくりと入れていく。降谷さんのことだ、残すなんて言語道断、絶対許さないだろう。
 ラッキョウって聴力が落ちたりするのかな。そんなの聞いたことないけど。凄い嫌がらせだな。風見さんは卓上にある福神漬けとラッキョウのうち、ラッキョウをトッピングに選んだとはいえ。降谷さんもだけど。
 砂浜で、つかまえてごらんなさ~いハハハこいつぅ~をするが如く、降谷さんは笑っている。ブチギレ笑顔がすっごいピッカピカに輝いている。怖すぎる。風見さんは顔面蒼白だ。

「降谷さん。そろそろやめてあげてください。降谷さんが風見さんをいじめるのも趣味だってことはよく分かりましたので」
「……」

 降谷さんは無言で手を止めた。ああ。降谷さん、こういう時どういう感情なんだろう。ジト目と言っていいのだろうか。呆れてるのか、怒ってるのか。感情が読めない。降谷さんがカレーを食べた。微妙に口がへの字に曲がっているように見えなくもない。とりあえずヨイショしとこう。

「うまい」
「良かったですね。中辛の刺激を受けにくいお強い舌をお持ちですね。さすが降谷さん」
「馬鹿にしているのか?」
「いいえ滅相もないです。もしかしたら舌と涙腺は連動してるのかもしれないなあ、なんてことは思いますけど」
「またわけのわからないことを……」

 ちら、と横目で降谷さんを見ると、彼は頭に手をやってハァ……と言わんばかりだ。
 ――降谷さんって、泣くんだろうか。
 想像はできないが、泣きたいときくらいあるだろう。泣くのかな? いつか機会があったら、降谷さんの前で玉ねぎを切ってみたい。

「私は舌が刺激に弱いので涙が出やすいんじゃないですかね。涙が出やすいから舌が刺激に弱いんです。つまり涙腺と舌は連動している」
「そうかもしれないな」

 えっ。同意してもらえた!?!? ウソ!!! そのジト目はすっごい呆れてるって私にでも分かりますけどね!! もうそのお言葉頂けたのでいいです!! ありがとうございます!!

「ほら風見さん!! 私は極端に辛いものが苦手なだけで泣き虫じゃありません!!」

 ばっと風見さんを見る。ぱっとあからさまに顔を背けられた。えっなんで。あっ……汗をたくさんかいてらっしゃいますね。カレーが辛かったんだろうか。冷や汗みたいに見えるんですけど。アワアワしてるし。私の視線から逃げまくっている。降谷さんの敵になるような回答はできないと仰られる。

「ってあれ、そっか。そうすると降谷さんは味覚が鋭いのに感覚が愚鈍ということになってしまう」
「真実が知りたいか?」
「大丈夫で「君が泣き虫なのかどうかの証明をしてやると言っている」お願いします!」
「そうか。なら教えてやろう。今晩空いているな?」
「え? 空いてますけど今がいいです」
「そろそろ休憩が終わる」

 降谷さんの言葉に腕時計を見ると、確かにそうだ。この辛さに喘ぎながら食べて、ラッシーを飲み切るにはキツイかもしれない。やっぱり降谷さん三口くらい飲んでいいですよ。
 それにしても今晩ってなんだ。またサビ残かな。ツラすぎる。終電までに帰れるかな……。

「夜までお預けですかぁ」
「僕の方が散々お預けを食ってきた身だぞ」
「またわけのわからないことを仰られる~」
「真似をするな。早く食べろ」
「はあい」

 向かいの風見さんのラッキョウマシマシカレーはあと半分くらいだろうか。隣の降谷さんのカレーはもう少しでなくなりそうだ。私のカレーは四分の三は残っている。降谷さん、食べるの早すぎる。私も頑張って食べるしかない。
 意を決して口に運んだカレーはやっぱり辛かった。

もう泣き虫でいいです