向こうの車道を、スピード違反かもしれない速度で横切って行った車を横目で見ていた。そんな時だった。
 それで? と言ったんだったか。報告を促す僕の言葉にの顔が歪んで、彼女の目から涙がこぼれた。

「な、は……」

 心臓がドクンと不規則に脈打つ。衝撃を受けたのだ。そして遅い来るのは焦燥だった。

「ど、どうした? 何故泣いている」
「なんでもありません。報告は以上です」
「理由を言え、理由を」
「なんでもありません。泣いてません」
「お前、僕の目がおかしいとでも言いたいのか」

 どれだけ凄惨な事件があっても、どれほどの犠牲が出ても、果ては彼女自身が大怪我をした時もだ。彼女が泣いたことは今までに、俺が知る限りでは無い。
 それなのに今はどうだ。彼女の目からはぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちる。
 彼女は泣いているのを決して認めないとでも言わんばかりの様子で、涙を拭ったり嗚咽を上げたりはしていないが、ただただ静かに、泣いていた。固く閉じられ噛み締められている唇はそう簡単には開かなそうだ。

「黙秘か。黙っていては分からない」

 彼女には期待していた。見込みもあった。風見のように俺についてきてくれ、風見とは違い女性ならではの気遣いを感じられた。
 分からないことは聞け、自己判断の範囲も完璧。報告もうまく、俺が彼女に苛つきを感じたことは無かったように思う。つまり――……僕は何も疑わずに彼女に仕事を回しまくっていた。人間は女性や子供には心を開きやすい、そんな心理を利用して、それはもう風見のように色々な任務を押し付けて、いた。
 僕は彼女に無茶をさせすぎたのかもしれない。信頼を置いているからだ、というのは言い訳に過ぎない。
 強気で、臆することなく意見も言ってくれる。自分を責めて泣くぐらいならバネにして立ち上がり己を研磨する。君はそういうタイプだ。……そんな彼女が、泣いている。やはり非常事態だ。

「……今日はもう帰れ。また落ち着いたら言える範囲でいい。風見にでもいいから。報告してくれ」

 泣いている内容の報告を求める上司ってどうだろうな。
 そんなことを思いながら、の肩に腕を回し促し、彼女の車に押し込んでやる。普段はセクハラになるので誰に対してもこんなことしないが、こうでもしないとは動きそうになかったから。
 運転席に押し込まれても、力なく俯き、絶え間なく涙を流し続けるの様子は変わらない。この状態で運転させるのは怖いな。やっと自分が冷静になってきたように思えた。
 腰を落とし、運転席に座るを覗き込む。閉められたらたまらないから、ドアは全開にしてしまう。

「すまない。無理をさせてしまっていたようだな」
「いいえ」

 ならなんで、と言いかけて理性がストップをかけた。ただでさえ泣いている女性に声を荒げるなんて、男としてあるまじき行為だ。
 ……とはいえ出来れば今ここで解決したい。の顔が曇っているのは俺の望むところじゃない。それに、きっともしかすると、彼女は僕に認めてもらっているという自信が欲しいだけだ。何か任務でミスをしたのだろう。ミスというか、多分、もっと出来たのに、というところかな。
 彼女が直ぐに逃げ出さなかったこと、無理矢理にでも扉を閉めようとしないこと。そして、彼女は申し訳なさそうにしている。可能性は高いだろう。

「……君は事実、泣いている。僕はその理由を知りたい。それじゃダメだろうか?」
「いいえ。……いいえ」

 は緩やかに首を振った。お前それ僕だからいいけどな、普通の人にやったらどっちのいいえか分からない、って言われるぞ。
 そんなことを思いながら、うん、と優しく相槌を打って、僕は彼女の答えを待つ。

「……私が降谷さんについていけないのがダメなんです。情けなくて。こんな手間まで取らせてしまい、申し訳ありません」
「そんなことはない。君はよくやってくれている。それに部下の管理も仕事のうちだ。問題ないよ」

 気にするな、と声に出した時には既に、マズイと思っていた。口を閉じる頃、あ、と思った時には、ぶわっと彼女の涙が溢れていた。多分、色んな意味で。なんだか僕が泣かせたみたいになってるなあ。
 さて、どうしようか。

 こんなとき安室透なら、困ったように笑って、の好きな菓子でも作ったかもしれない。そうして“人それぞれ、つらい時もありますよね”なんて、個人としての感情ではないことを匂わせるだろう。
 生憎僕はまだまだやることが山積みだ。の好きな菓子の一つも買ってきてすらやれない。家まで送ってやる時間だってないし、泣き止むまでも傍にいられるかどうか。でも、出来る限りは。あとは風見くらいか、ここまで僕が個人的に付き合うのは。
 上手に丸め込むより、素直な気持ちで言った方が、この場合は信用を得やすい。そしてそれは、真っ直ぐな僕の言葉だ。

「……僕がこんなにも気にかける部下は少ないぞ」

 まだ、“女性”とは言えない。それでも、は弾かれたように顔を上げる。その目から零れていた涙を掬ってあげた。僕を見つめた彼女の瞳孔が開き、頬が赤みを帯びる。
 素直に受け取れた良い子にはご褒美をあげよう。
 こんなに時間の無駄で、どうしようもなくて、ポアロの人たちじゃなくて、自分の部下で。くだらない理由で号泣されて、心底面倒なケースだな、なんて思っているのに、見捨てない自分の行動を、仕方ないなあというような感情を、可能な限り計算に入れていたいんだ。

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