「あの状況の中、執行官を一人失う程度で済んだということは称賛に値することだ。ありがたく受け取っておきたまえ」

「…光栄です。ありがたく、拝命いたします」



ウィーンウィーン―――
エリアストレス上昇の緊急警報が鳴り響く度に飛び起きて、何度も何度も後頭部をかったい椅子にあててしまうことをいい加減にしてしまいたくて、でもそんなこと考えてる暇なんてあっていいのかなぁなんて、そもそもそんなこと考えてる時間も選んでる時間も勿体ない、寝てたい! ってこないだ偶然居合わせた慎也君に頭を抱えて悶えてる現場を目撃されてしまって、<頭の先までふかふか、ついでにマッサージ機能付き、ボタン一つでベッドにも早変わり、これぞシビュラのもたらした恩恵!>っていう感じの素晴らしいチェアをプレゼントされたのである。して、今回の目覚めはそれから初めての!痛くない!目覚め!エクササイズと血行促進を兼ねたガッツポーズを思い切りきめる。とてもうれしい!
「そんなことに感動してないできちんと睡眠時間を確保するべきだ」
何でお前はそうなんだ、と未だに本気のしかめっ面で私を叱りつけてくれる慎也君はまだ私に愛想を尽かしていないらしい。幸せだなんて。っていうか、いつ来てたの。
長い腕が左手側からにゅっと伸びてきて、私のデスクのキーボードをいじる大きな影、ほんとこの人いつ見ても真っ黒なんだよなあ。瞳だけは狼みたいに灰色なのに。じっと見つめていたらディスプレイ上に潜在犯でも捉えたんだろうそれが細まって「こいつだな」小さなつぶやきが落とされて、「オイ」その灰色がもろに振り返ったものだから慌てて反射でのけぞった。が痛くなくてまたまた嬉しくなった。まだ再起動中の脳味噌は私の目の中と一緒でぐるぐるマークをイメージ中。な~がい溜息を落としている慎也君の口が大丈夫かって次の音をつむぐ前に、彼を押し退けつつ志恩からのコールをとって立ち上がって、椅子にかけたままだったスーツを羽織る。
「慎也君こそ、今から上がりでしょ。いってきます」
しっかりしろとか、甘ったれるなとか、いくつだって厳しい言葉を吐きだせるこの口は私を気遣う事しか知らない。「、」死ぬならこの人より先に死にたいから、今日も今日だって出て行く前に顔が見られて触れられて嬉しいなと噛み締めていくのだ。手を握って指を絡めて懇願するように「もうやめてくれ。」いつだか苦虫でも噛み潰したのかって顔で”本当は死にたいんじゃないのか”なんて零されたことを覚えてる。そりゃだってあなたが追っているものはどうしようもないなんて、それじゃああなたがどうするのかなんて考えなくたって分かりきっていて、じゃあそのために私はどうしたらいいんだろうって、「大丈夫だよ、」真実を告げたら私は殺されて、告げなくたってあなたはいつかここから去っていく。未だに尻尾がつかめないあの白い悪魔をどうにかしようと思っても、出来ないような監視下に置かれている。私から動くことは出来ない、なんて。局長に監視されている監視官長という役職の私、その私は監視官たちとその手足である潜在犯の執行官を監視している。じゃあ執行官は一体誰を監視しているのだろう。この街に住む人々だろうか。この世界のカーストは一体どうなっているんだろう。まあ、シビュラが最上に据えられていることだけは確かなのか。「心配しないで。」そして、その上に縛られることのない自由な人々が少数存在することも。”いつか出口をあげる”秩序は義務だ。自由は虚無だ。
オートナビの車に一人乗り込んで脳内で情報を整理していく。最近追いかけていた連続事件、被害者は共通のものをもっていた。犯人は何かを主張するようにその人達を殺してみせる、みせつけているのだ。しかも単独ではできないようなやり方で。だからといって裏で糸を操っている人間は勿論のこと、犯人の足取りさえつかめていなくて難航中だったのだ。…さっき慎也君がいとも簡単に犯人を見抜いていたけど。今日この時この場所こそがまるで一つの舞台のように、まさにぽっと出の犯人とでもいうような。人工的に輝いていた太陽も雲行が怪しくなりはじめて、薄暗さが立ち込めてきていた。まるであの日のように。


今日はやっぱりおかしかった。白昼夢みたいな気持も、あの日をこのままやり直せるんじゃないかなんて気持ちも、だって何もかも既視感だらけで、だからそんな風に進んでいるんだって、進まされているんだって理解した。
事件の犯人はかなりのマヌケですぐさま執行されてしまって、まるで用意された傀儡のようだった。それから宜野座君達にその場での待機を命じてから、ドミネーターも置き去りにスタンバトンひとつで進んでいくぐらいには私もおかしかった。
でも何か確信があった、慎也君ならそうする。そしてその先にはアイツがいることが約束されているし、それならドミネーターなんて何の役にも立たないどころか、私の現在位置を送信してくれる親切な足手まといだ。
どこかで見たような何の変哲もないドアノブをひねったらそれは呆気なく開け放たれて、そいつは優雅にこちらを振り向いた。
「おや?君のことはよく知っているよ」
舌なめずりをする蛇のような空気に怖気づいてはいけない、ここでこいつを殺せさえすれば、私は彼とここでずっと暮らしていけるんだって、それ一つ事実でも、その先に一体何があるのか。彼の苦しみは永遠に救われないままなのではないか。
「愛する者の呪縛を解くこともできない愚かな女だと。君に出来ることはせいぜい、彼の憎しみを増幅させて、早くその旅を終えられるようにしてやるだけさ」
ミルクをティーカップに注いで、スプーンでかき混ぜて。白は茶色に溶け出て行く。染まり切った茶色は白に戻ることは無い。どれだけ薄くなったとしても、きっと永劫に。
一体誰に何を期待していたんだろう。この重責から解き放たれて彼と永遠にユートピアで過ごすこと?そんな夢はとうに消えてなくなってしまった。今ここで飼われて一定の幸福を享受することが、例えそれに明確な終焉が設定されていようとも、今だけでも、少しだけでもって、きっと私は今日まで生きてきたのかもしれない。”願わくばあなたがいつも平穏でありますように。”

憎しみを注して