やっと建物を出て、ぱき、ぱき、と霜を踏んだ。めっきり冬になってしまった。数ヶ月前、さくさく踏みつけた落ち葉は一体どこへ吹かれていったのか。土に還ったんだろうか。あそこに見える山にでも行けば、行く先が分かるかもしれない。行くことは許されていない訳だが。行ったって分からないだろうから、まあ違いも無いか。どうせ雪の下に埋もれている。
朝焼けが眩しい。向かってくる時に助手席から見たイルミネーションを思い出すと目がチカチカした。東京23区外は自然が豊かだ。澄みきった空気に冷たい風が吹き抜けていく。やっぱり、無機質なコンクリートの上で死ぬのは遠慮したいな。
「狡噛さあん。寒いんですけど」
「俺に言うな。防寒具はしっかりとしたものを揃えろ、金を惜しむな。寒さは身体のパフォーマンスを大きく低下させる」
少し先を歩く監視官が、チラリと私をうかがってくれるのが好きだった。立ち襟の、もふもふのファーの向こうから赤くなった頬と鼻先が見えた。大きな背中はグレーのモッズコートに守られていて暖かそうだが。
あのコート、異様に暖かいんだよね。狡噛さんは意外と、寒さに強い方ではない。
コートから伸びる長い足、その先にはちょっと毛玉が付き始めている厚手の靴下。それから、高そうな革靴。
「……足も痛いですー!!」
「靴にも気を使え。俺は何度言ってきた?」
「覚えてませーん」
気にかけてくれるから、私が改めないって知ってます?
狡噛監視官はじっとりとした目つきで私を振り向く。
「何にやついてんだ」
バレた。
何歩か戻って来た彼はミリタリーコートを広げ、私を懐に引き込んでくれる。これがコートの仕様を知っている所以である。初犯ではない。
「ありがとうございます」
当たり前のように肩まで抱かれて、ふわりと彼の匂いが私を包む。
狡噛監視官は子供体温だし、食べ物の好みも子供っぽいし、監視官としてもヒヨッコだ。だからこんな風に執行官に優しくしてしまう。ただそれだけ。
寄りかかってもたれると、抱かれている肩を軽くぽんぽんされたので、促されるままに歩き出した。
狡噛さんは無言で歩幅を合わせてくれる。あったかい。じんわり伝わって来る彼の体温はひどく私を安心させる。
「狡噛さんあったかい」
「まったくお前は……。ほら、車が見えてきたぞ」
彼の横顔を見上げると、さぶ、とでも言うように、ふー、と白い息を吐いている。
やっぱり、狡噛監視官はどうも、暑がりで寒がりだ。夏には一言断れど、スルーが難しいほど肌色が見えるところまでYシャツのボタンを開けてしまうし、冬は冬でスリーピースのベストまで着こんでくる。代謝がいいのか悪いのか、筋肉というものはそういうものなのか、こちらとしては全く以って困る。普段のお困り分を、私は冬にお返ししているに過ぎないわけだ。
「着いたぞ。ほら」
ドアが開けられた音がした。狡噛さんの顔に、俺の顔ばかり見ているな、と書いてある。
「乗れ」
「えー。車よりくっついてた方があったかいのに?」
「いいから早く乗れ」
有無を言わさず彼は私をコートから追い出して助手席に突っ込む。仕方がない。乗り込んで、靴を脱ぎ縮こまった。もうちょっと入ってたかったのに。寒い! 寒すぎる!
車の前を回り、さむさむと首をすくめて運転席に乗り込んで来た狡噛さんは、エンジンをかけると最高温度で最高風速の暖房を点ける。次第に暖かくなるだろう。次第に。まだ寒いけど。寒いから。
「おやすみなさーい……」
目を瞑り、頭を抱え込んでダウンする。もう働きたくない。しぬ。寒い。
何やら狡噛さんがガサゴソしている音が聞こえるが知ったことではない。早く帰りましょうよ。寒いです。暖房機能をもっとアップグレードして欲しいです。寒い時に眠ると死ぬって知ってますか? まあ暖房ついてるから死なないと思うので私は寝ます。あたまがつめたい。さむい。
「ヒャッ!!」
ひやりと首に何かが触れた。冷たっ!
イジメ!?
吃驚して飛び起きると、監視官が至極冷静な顔で私の首にくるくる何かを装着していく。ひやりとしたのは彼の指だろうか。え、な、なに? この状況。
「いや、あの」
「なんだ?」
「ええ……?」
なんだと言われても。狡噛監視官は緊張しているのか口が一文字だ。意味がわからない。い、意味わかんないんですけど。
戸惑いながらされるがままでいると、ん、と監視官が手を離した。完成したらしい。……多分なんか可愛い結び方にされてる。
「やっぱり似合うな」
狡噛監視官がフッと微笑んだ。目許を柔らかくして彼が私を見詰めている。巻かれたそれは暑いくらいだ。どきどきしている心臓が収まらない。な、なにこれ。なんだこれ。なにこの状況!!
「すっごい女を誑し込む顔してますけど!」
「悪かったな生まれつきだ。メリークリスマスってことで」
「メッ……!?」
なるほど!? だからといって私はどうしたらいいのか。どうしてクリスマスプレゼントをくれるのか。……いや、他の人にも何かあげたに違いない。きっとみんなにプレゼントあげてるんだ。この人は人との距離感を完全に間違えているんだから!
「もうやだこんな上司……」
「担当外れてやらないから覚悟しとけよ」
「なんでぇ……」
「お前、案外察しが悪かったんだな」
彼は満足気に微笑むと、指先に息を吐きだして温め始めた。ナビの画面も、ハンドルもまだ冷たいだろう。私もいつもみたいに、足元のカバンからカイロを出して彼に握らせる。触れた手の甲も指も冷たすぎたので、思い切って彼の手を、上から包み込んでみた。
私は素晴らしい部下なのでは。だって刑事課としては先輩だもんね。飴と鞭の具合が凄まじい。動悸がひどくて温まって来たからおすそ分けしてあげます。目が冴えてきた。狡噛さんの目も丸い。
「……俺もクリスマスプレゼントもらってもいいか?」
「カイロあげました」
「手厳しいな」
彼は苦笑すると、左手に私の右手を絡め取り、片手でナビをぽちぽちとやり始めた。触れ合う指と指が互いの体温を押し付け合う。カイロは脇に落ち、狡噛さんの脚を頑張って温め始めた。
「今、暖のお返ししてるじゃないですか」
恥ずかしさにたまらず顔を逸らしたが、狡噛さんはふぅん? と呟く。
何がふぅんだ。これでチャラですから。マフラーはありがたく頂いて大事にしますから。狡噛さんの指があまりに冷たいのが悪いんですよ。そんなに冷たくなるなら手袋でも買えばいい。私へのマフラーなんてものじゃなくて。
狡噛さんがナビを操作する音が鳴り止んで車が動き出す。同時に手を引かれ肩を抱き寄せられた。反射的に顔を上げる。悪ガキみたいな顔をしている狡噛さんは全く監視官らしくない。
「もっと」
えっ。掠れた声が思ったより近くに降って来て、灰色の瞳が目前に迫る。もっとって何。もっと、って!
メルティング・フロスト