「おや。君は僕のことを好きでいると思っていたのに」

 奴がそう言ったのは、私が結構狡噛君のことを好ましく思っている可愛いと思うと告げた直後のことだった。今の発言で、なんでこんな話になったのかすら忘れてしまったが。まあ僕もそうは思うよなんて言ってるのが聞こえるような聞こえないような。やっぱり狡噛君は結構可愛いよね分かってくれてありがとう。でも今彼は何て言った?
 君は僕のことを好きでいると思っていた。僕のことが好きだと、僕のことを好きでいると、僕のことを好きになると、――同じ哲学科で妙に馬が合い、大学入学当初から慣れ合いにも慣れ合っている私と彼の関係と言うのは、上から目線でも先入観からの発言でもなく、おそらく問題なく番えはするが恋慕では全くなく互いの心を奪っていない関係だ、というのは双方のよく知っているところでなかったか。
 つまりコイツは私が将来コイツに心を奪われており既にそうなのだと思っていたと言ったのだ。互いに自覚がないだけではないか、と提案してみせたのだ。

「妙な日本語の使い方はやめたら?」
「英語にしようか?」
「いらない。好きじゃないし好きにならない」
「伝わってるじゃないか」

 こういう冗談言う人だった? いつもと違う気もするが、珍しく困惑している私を楽しんでいるところは隠しきれていない。多分。無言だし。なんか無表情だし。何考えてるか分かんない怖い。そういうところで友達いなくなるんだよ。やめなよ。それは妙に苛立っているのかいきなり音をたてて立ち上がってしまった私も同じである。別に無言だからって威嚇してるわけじゃないし。別に苛立ってるわけじゃないし。動揺? してない。してない。
 私は手元の紙コップの中身を飲み乾して味がしないことにショックを受けつつ、隣に開いていた自分の本に栞を挟んでパタンと閉じた。本からぴょこんと赤いリボンが飛び出している。そういえばこの栞は、ふと目についたものを槙島に買って何の気なしにあげたら、なんでか槙島も返してくれたやつだったな。実用性と合理性に降り切っている癖に紙の本を読んでいる私たちは客観的に見れば意味不明な思考回路をしているだろう。しかし私達にとって紙の本から得られるものを考えると間違いなく紙の本が一番合理的であるのだ。よって紙の本を好んで読んでいるし、この栞は珍しく合理性に無駄なオシャンティさが付与されていたので買ったのだ。多分なんか魔法がかかっている(気のせい)。なんかお揃いみたいになってるのは魔法がかかっているせいだ(気のせい)。在庫があったリボンの色が槙島っぽかったからあげたわけだがまさか色違いを取り寄せて返してくるとは思わない。もらったあとに見に行ったら在庫が補充されていなかったのでそういうことだ。多分栞気に入ったんだろうな使い勝手いいしと思っていただけだったのにさっき何て言われたんだっけ? う~ん、とにかく逃げよう。情報が取っ散らかってる頭に追撃という新たな情報をかまされたら困る。
 色々と思い返してしまった結果更に混乱して固まっていた私にまだ槙島は追撃をしていないので脊髄反射の言い返しを求めていないことは分かったけど。とにかく荷物をまとめよう。
 私は色々全部鞄に入れて空の紙コップを手に取った。これを捨てればコンプリートだ。いれてくるのが面倒で安いペットボトルの紅茶を妥協して飲んでいた私は、槙島がわざわざ家で淹れてきているという高そうなボトルに入っている紅茶を一口もらってからというもの、図書館で二人本を読んだり(紅茶をもらいつつ)、気心知れてからは時折交わす会話のためわざわざロビーで二人本を読んだり(紅茶をもらいつつ)と完全に依存していたわけだが。こんなの今日で最後だ。まあカフェインには依存性があるからね、仕方ない。まあさっき最後に流し込んだ紅茶は味がしなかったし、槙島の腕も落ちたんだろう。
 なんで自分がこんなに動揺しているのか分からない。槙島の傍に居るのは苦痛でなくとも、私は、要約俺の事好きだろと言われて腹が立たない部類の女ではないのは確かだ。

「もうお茶会しない」
「君の自由だ。僕は待っているよ」

 腹が立たない部類の女ではない。恥ずかしくないとは言ってない。待ってるって、何。別に、普通に好きだけど、別に好きじゃないし。何!?

「……肉抜きトマトサンドイッチ男の癖に!!」
「どういう罵倒だ」

 私を鼻で笑いながらも視線を寄越さずに、なお本に目を伏せている彼は相変わらず天使のような顔をしている。それもそれで腹が立つ。顔はいいんだよな。顔は。別に性格も合うけど。顔の造形。耳でも千切って背中につけてやれば羽になって飛べるんじゃないか。天界へ帰れ。地上の肉も食べてないしいけるんじゃないかな。くだらないことを考えて思考を落ち着かせながら、私はその場を後にした。


***


「狡噛君。茶会をしませんか」
さん、俺に茶会を求めるのか」

 カフェテリア、狡噛が苦笑しながら椅子を引き座ったその仕草に、は自分の眉間にしわが寄ったのが分かった。確かに槙島とは異なるのに、なんだか重なるところがあったのだ。何故ガタイのいい男なのに妙に仕草が丁寧なのか。
 一方狡噛はそんな彼女を見て更に困惑した。何故自分に茶会を求めるのか、その感想しか彼の脳内には無かった。

「で、何が聞きたいって?」
「聞きたいことなんか別にないよ。いっぱいあるけど」
「どっちだ」

 話してみたいとは思っていたしいい機会ではある。はいはい聞きますよ、と言いながら、狡噛はメニューを開いてぱらぱらと捲っていく。目当ては決まっている。がそんな狡噛を観察していると、勿論それはハンバーガーのページで止まった。
 狡噛はハンバーガーが好きだ。茶会と誘われたのにお構いなしである。
 なにバーガーにしようか、トッピングもどうしようか、そういや茶会だから茶は頼んどくか、狡噛がそんなことを考えていると、多分狡噛はバーガーが好きなんだろう……と予測したがおもむろに口を開いた。

「……ハンバーガーに肉は入れる?」
「肉のないハンバーガーとか想像できるか?」
「出来ない。チーズも入れよう」

 二人はハイテクな注文タブレットの画面をバーガーページに切り替える。狡噛の指先がハンバーガーのトッピングを上からゆっくりとなぞっていく。が頭を抱えた。

「ってバーガー会じゃん!」
「レタス」
「勿論オニオンも入れて!」
「トマト」狡噛がトマトを追加した。
「抜き!」がすぐさま抜いた。

 今はヤツのことを思い出したくない、それが彼女の言い分だ。

「恨みでもあんのか? まあトマトが食えないやつはたまにいるが」
「肉抜きのトマトサンドイッチ食べる奴のことを脳内から追い出そうとしてる」
「ああ、哲学科の槙島ってやつだろ。こないだ講義で一緒になった。さん仲良いんじゃなかったのか」
「仲良、……仲良……く……?」

 なるほど、どうやら本当に槙島とうまくいっていないらしい。狡噛はそう判断し、悩んでいるをよそに、指先でチーズをダブルにしてトマトも入れたバーガーを注文する。の分にはトマトを入れないでおいてやったが、にしてみれば、君が目の前で食べるならそれは一緒なんだよこの空間にトマトがあるんだよ私の視界にトマトが入っているんだよ、と言いたくて仕方が無い注文の完成だ。狡噛がピッと注文ボタンを押した。

「で、どうするんだ」
「何が?」
「槙島のことで何か悩みがあるんだろ」

 狡噛は槙島のことものことも詳しくは知らないが、一度聞いたことは長期記憶する脳味噌に嫌でもそれなりの情報を積んでいた。例えば槙島とがいつも一緒に居るだとか、槙島が肉を食わないらしいだとか、哲学科の変わり者同士すぎて何も言えねえだとか。
 あ、しまった。茶会なのに茶を注文し忘れていた。狡噛は慌ててドリンクメニューを開いてタブレットをに差し出す。

「何茶を飲むんだ?」
「え、何?」
「茶会なんだろ。茶を忘れていた」
「律儀?」

 いきなり狡噛にタブレットを差し出されたは目をぱちぱちとし戸惑いながら、もういいよバーガー会で、と投げやりにコップに水を注ぎ一気に煽る。狡噛は運ばれてきたハンバーガーをドローンから受け取ると豪快にかぶりつきながら、真実を知るべく、彼女の悩みを解決すべく。親切心と少しの好奇心から話を進め始めた。

「この間、槙島が恋愛論って本を読んでたんだが。それを見た女子に……まあ色々聞かれててな。今うまくいってないんじゃないか?」

 しかし、の頭は今やトマトを追い出すことに成功し、違うことでいっぱいだった。狡噛が器用にハンバーガーの中身を揃えて食べていることに衝撃を受けているのだ。常軌を逸している程に大きな口には見えない。ということは狡噛君ハンバーガーを食べ慣れている? どれだけ食べたらそうなれるのか。食べ方がうますぎる。彼女の頭の中はそんな考えでいっぱいであった。

「聞いてんのか?」
「え? 聞いてなかった。ごめん。何だって?」
「槙島がこの間、恋愛論読んでたって話だ」
「似合わない」

 狡噛はジト目になった。好意を持っている女性にそんな本似合わないと一刀両断されている槙島を憐れまずにいられなかった。もはや、これ以上どう会話を繋げていいのかも分からない。そうだな、多分正直がいい。歯に衣着せぬ物言いのに狡噛はスンと改心する。これが哲学科の力かもしれない。狡噛は社会心理学科である。

「……二人はそういう関係だと、思ってたんだが。有名だぞ、いつもロビーで本読んでんの」
「そういう関係」
「付き合ってんだろ」
「ない。全然ない」
「槙島は“今は付き合ってない”って答えてたが」

 無言のを前に、狡噛はバーガーを食べ進む。今は付き合ってないなら前かこれからは付き合うんだろ。群がってた女子と話してた感じじゃ、この女は槙島に何か言われたんじゃないのか。少なくともさっきのに反応しても良い筈だが。何故無表情なんだ。
 狡噛がを観察しながらバーガーを食べ終わり、さっきが注いでくれた水を飲み乾しても彼女は無表情のままだ。彼女のバーガーはすっかり冷めきっているだろう。
 あまりにも反応が無いので、狡噛はとりあえず、彼女の顔を覗き込んで目の前で手を振ってやった。生きてんのか?

「……やっぱり告白されてたのかな?」

 がぽつりと呟き、脈ありだぞ良かったな槙島、と狡噛は悟った。よくよく見れば些かの顔は赤い気もしなくもない。狡噛が「そうなんじゃないか」と適当な相槌を打つと、彼の前にはトマト抜きバーガーの乗ったトレーがずいっと寄せられる。
 聞いてくれてありがとう、と彼女が一方的に席を立った。ちょっと今食べられない、とバーガーをすすめてくれた彼女の表情はよほど恋愛に悩んでいるものには見えなかった。だがまあ哲学科の意味不明案件と言われている割に、は思ったよりも女性らしくまあまあノリが良い普通の人だったなと学習した狡噛は、今度槙島とも話してみるかな、と思った。トマト抜きバーガーという報酬ももらったし。
 しかし、バーガーを頬張っている今の狡噛は、後に槙島と犬猿の仲になることを知らない。


***


 待っていると言ったのだから、いくらそこに座ってもいいかとあらゆる女子に言われたとて、席を渡すわけにも、僕が席を立つわけにもいかないだろう。僕と思考の似ている彼女のことだ、吹っ切った暁には、意外と槙島の忍耐は短い期間であった、などと鼻で笑われるに違いない。吹っ切られるのも、僕と君が知り合ってから今日ぐらいの期間は遠慮願いたいものだ。そのくらい悩むといい。
 そして僕も、嫌いな日替わりメニューのように代わる代わるやってくる女たちに内心苛つきが募っていたようで、もはや文字を追っても頭に入って来ない程になっていた。それならばと愛読書を逆さにしてみると、僕は何かの答えを探していることに気が付いたのは収穫だろう。やはり紙の本は良い。とはいえ答えが見つかるわけはない。二人でいると心地が良いのに、それを知ってしまってからは一人には戻れないようだ。なんと不便なものだろう。

「こないだ、狡噛君とお茶会したらハンバーガー会になったんだけど。トマト食べてた」

 しかし、そんな僕の元に久しぶりに現れた彼女はいつもの調子でよく分からない話を始めた。議題が僕に関連することなのは認めてもいいが、こういう時は結論から言ってくれないか。どうせ頭の整理は終わっているんだろう。
 僕が勝手に君のために席を開けておいたのに、見返りが欲しいと思う己があることが一番に面倒だ。
 無言でいても彼女は先を話そうとはしないから、仕方が無くうながしてやる。

「……それで?」
「槙島と狡噛君はマブダチになれそうだなと思った」

 だからなんだというんだ。多分顔に出ているだろう。
 目を逸らしていた彼女が僕に目を向けたため、視線が合う。無表情の彼女の瞳の中に移る僕は、やっぱり無表情で、自分的にはだからなんだという表情をしていなくもないが、他人には読み取れまい。

「それで、槙島と付き合ってないって言ったら凄い顔された」
「僕もだよ。君が茶会をボイコットし始めてから毎日日替わりで女子がやってくる。おかげで落ち着いて本の一つも読めない。君のせいだ」
「珍しく滅茶苦茶な理論なんだけど。私悪くない」
「僕に滅茶苦茶な理論を振り回させている時点で君の圧勝かな」
「もし、卒業の時まで私が槙島に幻滅せずに、槙島が私のことまだ考えてたら考える。今は返信も返品も不可」

 彼女の無表情は一見不機嫌に見えなくもないが、あの時も今も存外照れているのであっているらしい。よく見ると頬ははっきりと赤く、元から嫌いなところは無いが、可愛いところもあるものだ、と思った。僕にしては珍しいプラスの感情だ。彼女が彼女である間は、興味が尽きることは無いだろう。
 定位置に腰を下ろしている彼女は、鞄から紙コップと本を取り出している。そこに、あの日から位置の動いていない栞が見えた。そうだな。

「なら、予約しておこうか」

 本を開いて、彼女に贈った栞を手に取り、リボンを解いていく。
 生きるというのは学ぶということだ。人は一生を学び続ける生き物であるべきだ。人間には自己愛しかないし、生憎僕は一人でも超人であれるが、君もそうだろう。君が隣にいれば面倒なことも少しは愛せるかもしれない。このリボンはあるべきところに結び直してあげよう。
 きっと僕は、元からこういうつもりだった。人から物を受け取るのも、贈るのも億劫だ。そんなのは特別な人間だけでいい。

非合理性