あどけない顔で、嬉しそうにロリポップを舐めている。それが彼女のスタンダードだ。挨拶すれば留まって、話を振ればそれなりに話してくれていたし、感触は悪くなかった筈だった。しかしそれは過去のことになってしまって、もはや彼女は俺を視界に捉えた瞬間から険しい表情をするようになってしまった。彼女の態度がこうも変わってしまったのは、こないだロリポップを贈ってからだ。それまでは少なくとも、逃げられはしなかった。

。お疲れ」
「お疲れ様です。失礼します」

 やはり。

 返事をしてくれるのは、彼女の良心が咎めるだけか。昏田とそういう関係なのだろう。これまでは、ただ単に俺を警戒していなかったのか、それ即ち友好的ではあれそもそも男として見られていなかった、ということだ。てっきり昏田は花表に想いを寄せているとばかり思っていたから、完全にノーマークだった。彼女が昏田と親しくしているとも気が付かなかった。なんとも情けない。だが未だ何かが引っ掛かったままで、そもそも彼女が昏田と何て話は聞いたことなかったし、昏田のに対する態度だって――いや、だが、しかし。
 とにかく、昏田は根は真面目だし、人を不幸にするようなことはしない奴だ。だから最悪なのは、今も未練がましく諦めることが出来ず、本人に尋ねる気概も無い己だった。

 こないだ、あの日――街に捜査に赴いた時。ちょっあそこ超有名なロリポップ店ですよ寄ってきましょうよ。え?狡噛さん知らないんですか?マジダッセー。ほら色々あるでしょめっちゃキレーだし味もいいらしいっスよ。土産に買っていくべきだと思います。花表も天利も絶対喜びますって。だから一番デカいパックを5つ買うべきです。一人一箱、とは言いませんよ、まあ別に俺もロリポップ好きじゃないですし?ああでも一係執行官にっているでしょあいつロリポップ好きなんですよ知ってますよね。あいつが一番喜ぶと思うんですよ。だからうち3箱をあいつにやって、残りの2箱は三係に置いといてもいいしいらないならもう1箱あいつにやりましょう。金は後で本人から徴収しますけど今は俺が払いますから購入申請とかメンドいんで買ってもらっていいですか。あれ、意外と聞き分けいいですね。やっぱり。ありがとうございます。
 今思えば会計の時だって、だから昏田はあんなにも強く言ってきたのだろう。そういうことなら別に俺が払うぞとそのままにしようとしたが、俺が買いますから買わせてください別に払わなくていいっスよ。いいって言ってんでしょ。マジで何か企んでんですか?いやバレてるはずはない。ないですよね。まさか知りませんよね?もし知ってても黙っといてくださいよ。黙ってなかったら背中預けられても見殺しにしますからねマジで。
 何の話だ?と聞いたが、今にも昏田がブチキレそうだったので、分かったよく分からんが分かったすまん分かったからと金を受け取り。まあ話したくないことの一つや二つあるだろう、と、この時点では気付かなかったのだ。

 公安局食堂、うまいこと俺の話を聞き出している佐々山は、深刻な俺の話を聞いているのかいないのか、多分聞いてないだろうな、聞き出されてしまっている俺の目の前で、呑気に麺を啜っている。ラーメン。狡噛お前カレーうどんは頼むな許さねえ。と言われ、俺はやや虚しく日替わりランチを食している。バーガーを食う気分ではない。

「…はあ」
「お前がロリポップを何箱も抱えて刑事課に戻ってくる姿、是非見たかった。そのロリポップは一体何の捜査資料になるのか?まあ昏田な、昏田はな。よかったなぁ昏田、狡噛がアホで」
「聞いてたのか。はあ、……と昏田が周知の仲だったとは知らなかった…」
「周知の仲」

『昏田さん、呼ばれました。運搬用のドローンも引き連れて来ましたけど…?』
『よし。呼びました。。お前好きだろロリポップ。勿論この店知ってるだろ。良かったな、狡噛さんが4箱も買ってくれたぜ』
『……これは!昏田さん狡噛さん、ありがとうございます』
『いや、それは昏田からだ。俺からはこっち』
『え?』
『そんなにあっちゃと思って1本だが、良かったらもらってくれ。色がお前っぽかった』
『…あ、ありがとうございます……』

 うひゃー女性殺し。恐るべしタラシ、鯛焼きになるべき。天然、ではないと思いますよ、狡噛君もやりますね。
 目についたから買っただけだ、でも彼女のことが思い浮かんだのも本当だ。彼女のことが好きだから軽く渡そうと思ったのだ。そんなつもりはなかった、と言うのは嘘になる。とはいえ、別にそんなつもりで贈ったわけじゃなくて、ただ贈りたかった。まあ、彼女のことを思い浮かべていたのだから、そういうわけで。そういうつもりはあったのだ。それを選んで贈った理由は口にした通りだった。しかし。

、今日の夜あけとけよ』
『はい。部屋で待ってます』

 昏田の耳打ちに、顔を赤く了承する。聞こえてしまった内容に、雷でも落ちた気分だった。

「俺にもスピネルとかさぁ、ゴムとかさぁ、オンナとかさぁ、ナンカねーの?話を聞いてやってる俺への土産は?」
「このメシ奢る。デザートでも頼んでくれ」
「やりぃ」

 佐々山がラーメンを啜って替え玉をオーダーしている。あと餃子と炒飯、そんでこれとこれとこれとこれとこれ持ち帰り。ふざけんな。

「そこまで奢るとは言ってない」
「まーまー。奢っとけよ。特別な箸1本やるから。お兄さんの唾液付き」
「いらん。行儀が悪いぞ…」

 傷を抉られて更に食欲が失せる。しばらく傷心中だ。頭を抱えて机を見る。綺麗に盛り付けられたまま冷めきっている食事。箸はほとんど進んでいない。はあ。

「昏田はてっきり花表のことを、と思っていたんだが…」
「あ、ギノせんせー。夜に男が女の部屋訪ねんのってアウト?」
「なっ、どういう意味だ。いや俺に話を振るな佐々山。俺は今日のランチを決定するのに忙しい。ではな」
「冷てーなぁ。狡噛慰めてやれよ」
「ギノ…カレーうどんにしてくれ……」
「それは断る。…どうしたコウ、予想外にへこんでいるな。お前のそんな姿を見るのは初めてかもしれない。一体何があったんだ?」
「ぴよ噛が加速してんだ」
「どういうことだ。さっきの質問といい、分かるように言わないか」

 ドローンが近づいてくる音にのろのろと顔を上げたが、残念ながら、優しいが優しくないギノの元には洋食が運ばれてきていた。またパンが付いている。次いで、佐々山が先程のオーダーに凄い勢いで箸を付け始めた。持ち帰りが詰まっているだろう袋が並べられていく。アホみたいな量だ。俺は己の食事を続行する気にもなれず、いただきますと手を合わせ、俺を気にかけてくれている優しい優しい優しくないギノに口を開くことにした。

「…なあギノ、…親しくなければ、夜に女性の部屋になんか、行かないよな……」
「そ、そ、そんなのはそうに決まっているだろう。というか、つ、付き合っていないのなら、そもそも断られるんじゃないのか。それくらい常識だろう、違うのか?いずれにせよかなり親密な関係であるという前提条件は必須だろう。狡噛お前俺をおちょくっているのか?」

 頭を抱え目を閉じた。黙って首を横に振る。おちょくってない。そうだよな。俺は至って真面目だよ。ありがとうギノ。しばらくそっとしておいてくれ。

「――っふぅ、ごちそうさま。食った食った。で、お前らはちょっと待て。ギノせんせーは見当違いの止め刺してやんな。狡噛も何、童貞だったのか?お前ら純粋すぎね?男女間の友情とか無いの?俺は無えけど。毎回ヤるとも限んねーだろ。俺はヤるけど。ってそうじゃねえよ。違えんだよ。ほら狡噛立て。行くぞ。ギノせんせー残り食ってやれ。狡噛の奢り」
「は?無茶を言うな佐々山、おい!」

**

ちゃん、そのロリポップ一輪挿し、いつ食うの?」

 八握さんが疑問を持つのも当然だ。このロリポップは数日、数週間、どのくらいだろうか、とにかくずっと飾られているからだ。そして同じ日数、私の心は残念なことになっている。

「…いつ食べたらいいと思いますか?」
「今でしょ」

 確かに、今すぐにでも食べてしまって、視界に入れないほうが、目の前から消してしまったほうが、忘れられるのかもしれない。透明な袋に包まれたロリポップ、キャンディはひどく綺麗な色をしてて、私はこんなに綺麗じゃないから、食べるのは何だか悪いように思えた。

「…食べたらなくなっちゃうな、って、それでいいのに、悩んでます」
「形あるものはいつか無くなる。だから目の前にある尻には飛びつくべきだ。その乳の形は今にしか存在しない。手を伸ばさずいられようか」
「うーん…」

 佐々山さんの言葉に違いない。なんだか、素直に生きるっていうのは、あんまり後先を考えずに、瞬間的に生きること、でもあるのかもしれない、と漠然と思った。だって、佐々山さんはその都度迎撃されているし、私は最後に立ち直れない程のダメージを食らっている最中だ。

「もっと積極的になったら?俺の勘によれば狡噛はイチコロよん」
「え、………何でバレてるんですか?」
「刑事の勘。ってアニキと同意見。つーか見るからに好きでしょー」
「……」

 狡噛さん、本人には、気付かれているだろうか、いないだろうか。最近、あからさますぎるだろうか。まあ、もう、嫌われることは出来たんじゃないだろうか。はあ。

「…だって、狡噛さんは監視官です。私は執行官だから。一緒に居たらよくないです。でも、嬉しかったです。ロリポップもらったの」
「バカだなーお前」

 デスクに顔を突っ伏せば、頭をぐりぐり撫でられた。狡噛さんも、お子様扱いしてくれたら良かった。私は執行官なのに、優しくしてくれるから、話しかけてくれるから。彼が真っ直ぐくれる好意に、つい甘えてしまった。人としてのものだと思ってたから。
 残念ながら、私が彼のことを好きになってしまうのに時間はかからなかった。報われないことが胸に痛くても、話しかけてくれるのが嬉しくて、絶対に報われないことに安心感を覚えて、大丈夫だと、――彼の色相に良くないと分かっていても。交流を止められなかった。
 狡噛さんは、執行官と分け隔てなく接する人で、女性とも距離が近いほうだから、分からなかったんだ。
 でも、こないだ。さすがに目が覚めた、覚まさなきゃいけなかった。秘密のロリポップ同盟員な昏田さんにロリポップを2箱お返しした夜、彼にもニヤニヤ言われて、やっぱり、って、なってしまった。

 何だか、狡噛監視官は、潜在犯である私のことを好ましく思っているのかもしれなかった。

 ひどく嬉しくて、それから、酷い気分になった。例えば狡噛さんが濁ったら一緒になれるかな、なんて少しでも思ってしまって、やっぱり私は潜在犯だと思った。報われてはいけない。潮時だった。例え狡噛さんが私の事をどう思ってくれていたとしても、潜在犯がクリアカラーの人間と交流するなんて、彼らを濁らせるだけで、彼らには何のメリットも無い。
 狡噛さんには濁らないでいて欲しい。やっぱり潜在犯なんてロクでもないって、ううん、私がロクでもないってことに気が付いて、幸せになって欲しい。はあ。

「――。狡噛が重大な勘違いをしている。八握これ土産。狡噛の奢り。食おうぜ」

 顔を上げれば、佐々山さんが、何故だか狡噛さんを引き連れて戻って来ていた。狡噛さんと目が合ってしまって慌てて目線を佐々山さんに戻す。両手に袋を持っている。

「おー!さすがアニキ!」
「よせやい。もっと言え」

 佐々山さんが向かいのデスクに次々、ご飯、を広げていく。美味しそうな匂いが漂ってきた。けど、…宜野座さんが戻ってきたら怒られる気もする。とにかく一人になるのはまずい。音速で佐々山さんの隣の席に移動している八握さんの後について、佐々山さんの方に近づいていく。一緒に食べるんだろうか、狡噛さんが普通に入室してきているのが視界に入る。どうしようと思いつつ、とりあえず二人の後ろに隠れるようにご飯を覗き込めば、「お前はあっち」佐々山さんに突き飛ばされた。結構全力だ。

「ッ佐々山、女性をそんな風に扱うな。大丈夫か?」

 狡噛さんの声が頭の上に落ちてくる。抱き留めてくれたみたいで、無事だったけど、無事じゃない。狡噛さんの体の感触が、温かさが、肩を抱いている手が、優しい声色が私の心臓を壊している。顔が熱い。

「すみません」

 頭を下げながら慌てて離れ、「ありがとうございました」とりあえず向き直ってお礼を言って、沈黙が落ちる。目の前には狡噛さん。横にはデスク。「頑張れぴよ噛くん!」「うめえ!」後方からは野次応援感謝が飛んできている。どこへ逃げるべきか。「なんか言え!」「ロリポップ食べちゃうぞ!」それはやめて。慌てて振り向くと、もぐもぐしながら八握さんが席を立っていた。追いかけて、私のデスクのロリポップ一輪挿しを抜き取った彼に攻撃をして、何とかロリポップを奪い返す。一係の恐ろしいところは、やると言ったら本当にやるところだ。ごっめーんウソウソ、冗談冗談、あ。ってなることだ。
 とりあえず胸にぎゅっと確保して息を整えれば、もぐもぐしている佐々山さんと、立ち尽くしている狡噛さんが横目に見えた。いたたまれなくなった。

「とっつぁん呼ばね?」
「酒目当てっすか?ヤダ、アタシの体目当てだったのね~」

 …隠れよう。デスクの下に潜り込む。「さすがに分かっただろ。ほらヘタレ噛行け。体だけが目当てじゃないってキメろ」狡噛さんの休憩が終わるまで引き篭もろう。「ちゃ~ん出ておいで~ガミぴよがピーピー泣いちゃうよ~」ほっといてくれないだろうが、ほっといてほしい。ご飯に集中してて大丈夫です。しかし残念ながら、カラカラと椅子が移動してくる音がする。カツカツと鳴った靴の音、見えた靴先は彼らのものではなくて、覗き込んできたのは狡噛さんだった。距離が近すぎる。

「っひえ、~~チェ、チェンジ!佐々山さんか八握さんにチェンジ!」
「嫌だ。ロリポップでなくて薔薇でも持ってきたらいいか。昏田と付き合ってるわけじゃないんだな?」

 一体何の話をしているんだろう。可能な限り体を丸めてみても、彼の顔を見ないで済むだけだ。留まっている空気や、伝わってくる彼の匂いなんかのせいで、ひどく顔が熱くなってくる。「」名前を呼ばれて、必死にロリポップガードを行っている手の甲に触れられれば思考なんて飛んでいく。思考を失った私は首を縦に何度も頷いた。

 しかし。しばらくしても、手を離してくれる気配も、退いてくれる気配も無くて。長い沈黙に、ちら、と髪の隙間から彼をうかがえば、何とも言えない顔をしていた彼と目が合ってしまった。彼が息をついた。

「…良かった」

 はにかんだ、その表情に、口にされた言葉に、嬉しい、と思ってしまって、泣きたくなった。報われることはないし、報われてもいけないのに。

「私は潜在犯です」
「潜在犯と恋愛したらいけない法律は無い。婚姻も可能だ」
「そ、そういうこと言ってないです」
「ならどういうことだ」
「濁らせます!」
「濁らない。そんな赤い顔してるとロリポップ溶けるぞ。早く食べればいい。また贈らせてくれ」
「赤くないです。いりません」
「じゃあ勝手に贈る」

 何を言ってもダメっぽい。逃走経路を誤った。「悪いが、俺は諦めだけは悪いんだ」狡噛さんは楽しそうに、片手で器用にロリポップの包装を解くと、その綺麗なキャンディを私の唇に押し付けた。

ロリポップ