ジリ、と熱さが広がった。

「――あ、先輩、灰が」

 隣に座っている彼女が、平気な顔して、俺の膝の灰をはらうのを、煙草を咥えたまま眺めていた。少し前までは、この臭いにむせ返って、キスの時も少し苦い顔をしていたのに。慣れてしまったんだろうか。俺といることのない日常に。佐々山のいない日常に。いいや、もう俺のことなどどうとも思っていないのだろう。そうでも結論しないとやってられなかった。今更、取り戻せない。俺の膝に片手をついている彼女の頭は、俺の胸元近くにある。この頭をぶち抜いて、中身を掻き出して、俺の血肉で満たしてやりたい。そしてもう一度目を開けてくれ。お前の目には俺だけが映っていればいい。さすが、潜在犯になっちまっただけのことはある。そんなことを、ずっと、ただひたすらに考えていた。

「…そういえば。私、慎也さんが佐々山先輩の灰皿、使っているのをまだ、見たことないなと思って」

 相槌を打とうか迷ってやめて、最後の一口、煙を吸い込んだ。彼女の肺は、どれだけでも内側から汚してやりたいのに、何か言葉にしたら、彼女を濁らせてしまいそうで怖かった。煙が肺を満たして、吐き出して、臭いを認知する。俺も慣れてしまったのだろう。更生施設で取り上げられていた分、形はどうあれ、また娑婆に戻ってこられた安堵すら感じてしまう始末だ。彼女と唇をあわせることがなくなってからは、目に見えて本数も増えたが。そのままだ。もはや異常に小さくなった煙草を、携帯灰皿に突っ込んだ。もう慣れた風景だ。息苦しい。紛らわそうと、もう一本、煙草を取り出し、火を点けた。

「いつか、おめでとうって言わせてください。使ってくれたら嬉しいです」

 シンプルにラッピングされたそれを俺の膝に置き去って、彼女が車を降りて行った。あぁ、そういえば。エンジンの切れた車内はクソほど暑くなってきていて、外は照り返しがひどい。世間はやれ夏だ盆だと盛り上がっているはずで、入れもしない海辺に行っては流行や季節を楽しんで、言葉を交わして、寄り添って、幸せそうに笑って、世界なんかは俺も彼女も誰も彼も忘れたように、きっと誰かのために回っている。そうか、誕生日。
 開けて、佐々山の物とは全く異なるそれに、ふ、と笑いが漏れる。彼女は変わっていない。俺に佐々山のことを忘れて欲しいのだろう。正しくは、忘れて欲しい、のではなく、“自分を責めないで欲しい”。絶対に佐々山先輩もそんなこと望んでいないだとか、誰のせいでもないですとかいう彼女に、じゃあ何のせいなんだ、これは俺の意思だ、と当たり返したのは、そんなに昔のことじゃない。これは、彼女の意思だ。もう一緒に居られない、と、はっきりした形になってしまうのもまた、堪える。

「先輩、いつまで出てこない気ですか?」
「…悪い」
「いいえ」

 扉を開けて、俺に手を伸ばしてくれている彼女の手を借りて、軽く引っ張り上げられる。嘔吐きそうになる感情を、思いをどうにか飲み込んで、煙草で麻痺させてやる。いつまで経っても情けない。運転席に座っていた頃、俺の鞄の中にはずっと、渡したかった指輪が入っていたままだった。

「あ、コウちゃん。今日誕生日なんっしょ?おめでとー」

 あぁ、そういえば。もうそんな季節だったか。世間はやれ夏だ盆だと盛り上がっているはずで、入れもしない海辺に行っては流行や季節を楽しんで、言葉を交わして、寄り添って、幸せそうに笑って、世界なんかは俺も彼女も誰も彼も忘れたように、きっと誰かのために回っている。もう、彼女の声すら思い出せない。俺が、あの日、一緒にいたら。誰のせいでもないのだ、と思っても、結局、自分を呪った。そうする他に、どうしたらいいのか分からないままだ。これ以上傷つきたくないと、誰かを傷つけるような真似はしたくないと思い、思えど、傷つけ、裏切るのだろう。随分とまあ、嘘吐きになってしまったし。

「ありがとう」

 彼女は笑ってくれるだろうか。あの時もらった灰皿を、佐々山の部屋に置いて、煙草を吸い続けて、ずっと待っている。ずっと追いかけている。死者なんか戻ってくることは無い。生きている人間を連れて行こうとするばかりだ。どうして彼女まで。滅茶苦茶に躙ったせいで、もう思い出せもしない。

will