「私、狡噛さんのこと嫌いです」
「あんた、そういうことはっきり言うやつだったのか」
「基本的には言いませんけど、それくらい嫌いだっていうことですよ」
そうか、と彼は傷だらけの手をポケットに突っ込んだ。
この人は全く言うことを聞かないし、プロファイルを監視官権限で勝手に閲覧して納得はしたけど、どうして今の彼みたいに、こんな風になったのかは理解できないままだ。してはいけないのかもしれない、が。
「どうも思わないんですか」
「どう、ってなんだ」
「あなたが無茶して傷だらけになって、こっちがなんとも思っていないとでもいうんですか」
「ああ、なんだ。俺のことが嫌いなんじゃなかったのか」
「嫌いですよ」
近づいて、その腕を掴んでポケットから引っ張り出した。応急処置ドローンを呼びつけて、擦り傷や切り傷やなんだのを手当てしていく。こんなのは大した怪我じゃない。でも今日は幸運だっただけだ。彼の体には一体どれだけの傷がついているのかは、私が知りえることじゃない。
「別に、放っておけば治る」
「そうですかね。狡噛さんは治らないものを好き好んで一人で抱えてるように見えます」
「あんたには関係のないことだ」
彼が私の手を引き剥がそうとしたのでぐっと爪を立ててやった。頭上から呻き声が落とされた。顔なんか見たくない。
「私は、そうなんでしょう。でも宜野座さんなんて――狡噛さんは周りの人間の気持ちを考えなさすぎです」
「、お前結構暴力的――っい、って…」
爪で傷を抉ってやった。傷からはまた血が溢れてきた。狡噛さんは馬鹿だ。治らないそれを膿ませたまま放置して。そんなのいっそ腐り落ちてしまえばいいのに。
「そうやってすぐ誤魔化す。例えばこの傷を放っておいて、悪くなった後には、ここにこの手はついてないんですよ」
「…そうなる前に治療する」
「出来てないから言ってるんです。そのつもりがあるなら素直に手当てされたらどうですか。宜野座さんも、征陸さんも、秀星も、弥生も、志恩も、みんな狡噛さんのこと好きじゃないですか」
「…本人に聞いてみるまでは分からないさ。それに、お前は俺が嫌いなんだろ」
「ついに刑事としての勘まで鈍ったんですか。お得意のプロファイリングもどっかへ落としてでもきてしまったんですかね」
「…言っていいのか。主観も入ってるかもしれないが」
「別に、主観以外で語られるものなんて滅多に無いでしょう。…狡噛さんからは、今の私がどう見えてるんですか」
「…俺のことが好きでしょうがないって訴えてる、一人の女だ」
「――っ狡噛さんのことがよく分かりました。それならもう、一人で地獄まで落ちて行けばいい。あなたが望んでいくんです。周りを巻き込まないでください。嫌われるように振る舞ってください。自分さえ偽れなくて、周りに甘えてばっかりで、そんなのずるいじゃないですか、私たちは、私は、狡噛さんのこと、」
「それ以上はダメだ、監視官」
こみ上がってきていた涙が、ぼたりと彼の手の甲に落ちた。泣くな、と彼が反対の手で私の頭を撫でている。分かってたことだ、聞けば学生時代からの友人だという宜野座さんでさえ彼を救えていないのだ。――例えばこの人が本当に愛する人間がいたとして、その人ならば彼を救えたのだろうか。或いは、救えるのだろうか。
今に甘んじているくせに、過去に縛られているこの人のことなんか、一生分かってやりたくない。例えばこの思いが報われたとしても、彼は、彼の心に巣食っている何かを消してはくれないだろう。それでもどうにかそれを取り払ってしまいたいと思うのは、その手でもっと触れて欲しいと思うのは。けれど取り払えたところでその傷は癒えないままだろう。どうしたらいいのだろう。この人は、どうしたいんだろう。――愚問なんじゃないか。この人はそれを治そうともしない、治す気がないのだ。
どれだけ甘ったれた顔をしているのか見てやらないことには腹の虫がおさまらない。やっと彼の顔を見上げた。彼は苦しそうな顔をしていた。その瞳の中にはぼろぼろに泣いている私の顔が映っていた。そんな顔をするなら、やめてしまえばいいのに。狡噛さんがまだ血の滲んでいる両手で私の頬を包んだ。
「…俺は、あんたのことが嫌いじゃない。それが今の俺に許されている精一杯の言葉だ」
信じられなかった。悔しくて、彼のネクタイを引っ張って、背伸びをして唇を塞いでやった。きっと最初で最後だ。唇を離したら、目を見開いていた狡噛さんが、離れようとする私の後頭部を掴んで引き寄せて、角度を変えて何度も何度も深く口づけた。抱いて欲しいと頼んだら、彼は私を抱いてくれるんだろうか。こんなに好きなのに。けどどうしても、私が彼の心を埋められる想像が出来なくて、彼が私の手を掴む選択をするように思えなくて、私はまた自分に絶望するんだろう。
「あなたは、私の唇を奪っても、手を取ってはくれないんでしょう」
「…悪いな」
「…今日のやりとりは忘れなさい、命令です」
「ああ、ありがたくそうさせてもらうよ」
諦めたように彼が笑って護送車へと去って行く。私は彼の背中をじっと見ていた。狡噛さんが乗り込むと、重苦しい音を鳴らしながら護送車の扉が閉まりはじめる。彼は座り込んで、煙草に火をつけている。一瞬目線が合った彼は、何を考えていたんだろう。
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