3.14
朝、出勤すると、直ぐにエリアストレスの上昇が起き出動となり、かなり慌ただしくなった。…なんだって今日に限ってこうなんだ。潜在犯を見つけるのに手間取ったが、鎮圧したら直ぐに事は収まったので大事にはならずに済んだ。現場から執行官を護送車で返した後、事後処理を終えて公安に戻ってくる頃には日が沈みかけていたが、この時間ならまだ残っているはずだ。
法定速度は遵守したが、フロアを駆け抜け自分のデスクに戻り報告をして、荷物の鞄を引っ掴み三係を飛び出して彼女を探し回っている。昏田と花表の冷やかしの声と和久さんの生暖かい目線を早く忘れたい。
一体どこにいるんだ。しかし渡したとして俺はどうしたいんだろうか。彼女のことが嫌いかといわれたら、いや好きだ、と答えなければならないし、好きかと言われると、……いい加減に認めよう、…好きだ。
角を曲がったら、目の前に彼女の後ろ姿が見えたが、その隣には知らない男が突っ立って何やら彼女を引き留めていた。距離が近い。彼女の腕の中にはなんだか箱や袋が山ほど積み上がっているのが遠目からでも分かったし、あれだけあれば軽くはないだろう、抱えているのも大変そうだ。逃げられないのか。…または逃げる気が無いのか。大股で近付いていくにつれ、男が彼女の腕を掴んでいることが分かった。
「!」
「――はい、?」
大きな声を出して呼び止めると、彼女が頭を超えそうなその山の横から顔を出し、俺と目が合うと嬉しそうに笑った。
「狡噛さん」
久しぶりに俺を呼ぶ声を聴いた。隣にいる男はそんな彼女を見て手を離して、反対に持っていた袋を、積み上がっている箱の天辺に新たに積んで、渡したかっただけだから、と向こうへ去って行った。…あまりに往生際がいい、不気味だ。中に連絡先を記した物でもなにか入っているんじゃないだろうか。彼女の隣に並んだが、やはり今日はいつものように邪魔が入らない。癪だ。
ついに彼女の頭を超したそれらのバランスを維持しようとゆらゆらしている彼女の腕から持てる限りを奪い取り、行くぞ、と声をかけ彼女の係の方へと歩き始める。何か間違って怪我でもしたらどうするんだ、そもそもここまで積み上げた奴らも悪い。絶対面白がってやっただろ。
「すみません、ありがとうございます、」
「お前、こんなに配ったのか」
「はい、なんか欲しいって言ってくれる人が多かったので。先月はあれからずっとお菓子を作っていた気がします、というか、もう少し持ちます、私の配分を多くしてください、すみません」
「平気だ」
申し訳なさそうに彼女が横を付いてくる。久しぶりに話した割には普段通りにいったんじゃないだろうか、とは思うが。少しそっけなかったか。
奪い取ったこの箱の山の一番上に積まれているそれを覗き込むが、袋の中には箱しか見えやしない。先ほどの男が積んでいった、この中身は一体何だろうか。詳しくはない俺でも知っているような有名店のロゴは見える。女性が――も喜ばない筈はない。面倒だ、こんなイベントは無くして正解だろう、色相に悪い。
彼女と話せて安堵しているというのに、むしゃくしゃしている俺の機嫌を察したのか何なのか、彼女は隣で押し黙ってしまった。空気の良くない沈黙が落ちているので、何か発言しなければならない。別に俺は怒っているわけではないし、彼女とぎくしゃくしたい訳でも全くない。
「…どんなものをもらったんだ」
「えっと、まだ見てないのもありますが、メロンパンとかクッキー、和菓子もありましたね、マドレーヌとか飴とか、「っな、お前、受け取ったのか」…はい?」
「いや、なんでもない」
「――ああ!まあ、詳しくなさそうだったので」
「…ちゃんと聞いたのか」
「いえ、特には」
「本人に聞くまで分からないだろ」
「そうですか?でも特に何も言われませんでしたし、というか、私としては狡噛さんが知ってらしたのが意外ですよ」
「…和久さんに教えてもらったんだ。昨日まで知らなかった」
「和久さんって本当物知りですね」
相槌を打つ彼女に、そうじゃない、と一人胸中でごちる。俺はお前がどういう意味で贈ったか知ったと言ったんだ。返事を聞かないのか。あんなに毎回好きだなんだと俺に向かって騒いでいたくせに、…毎回俺はスルーしていたが。それに彼女も、渡したかっただけですから、とか言いそうだ。だからってお前は自分で作ったんじゃないのか、…感想を聞くとか何か、して欲しい。
「…みんな結構返してくれるのか」
「はい、見た通りです」
「あー、そうだな。まだお返しを寄越してないやつとか、いないのか」
「内藤なんかでも律義にくれたので、…うーん、特には思いつきませんね」
しかし中々思っている返答がされない。一言でいい、聞いてくれないだろうか。そしたら何も考えずに渡すことが出来るのに。…何も期待していないんだろうか。確かに彼女自身が見返りを求めないとは面と向かって宣言していたが、…どうしてなんだ。…渡したいなら渡せばいい、そんなことは分かっている、渡すさ。だが自分から切り出すよりは楽なほうを選びたかった。俺から切り出しにくいったらない。それにこいつは分かってるんだろうか、内藤なんて下心の含有量が多いんじゃないかアイツ。…そもそも彼女がこんなイベントを掘り返さなきゃ平和でいられたんだ、…いや、そうなら気付かなかったかもしれないが、…少し嫌気が差してきた。
「旧時代の人間は、面倒なイベントをやってたもんだな…」
「気にしすぎなきゃ楽しいですよ、私は沢山お返しがもらえてほくほくです」
「…他には誰からもらったんだ」
「さっき言ったように内藤とか佐々山とかの一係、二係、勿論三係も。刑事課で渡した人たちはほとんどですね、あ、真流さんも。他部署でも、くださいって言ってきた人は、あんまり交流がなかったのにちゃんと返ってきました。さっきの人とか。しばらくお菓子には困りません!」
さっきのは明らかにお前のことを好いてるだろうが。こっちはずっと心中穏やかでないというのに、当の本人は、他の奴らからこんなにもお返しをもらったと悪びれもなく言い放っている。一ヶ月話せなかったことで俺が受けたダメージと彼女のテンションが違いすぎて、正直言って俺は自信を喪失し始めている。今日はまだいつものような台詞も並べ立てられていないし、もう俺に興味が無くなったのだろうか。こちらの言いたいことも全く伝わらないしやきもきする。
「…お前、俺には聞かないのか」
「はい?何をですか」
「お前、惚けてるんじゃないよな?」
バレンタインの時にも彼女は俺に尋ねなかったが、俺が誰に何をもらったとか、あげたとか、気にならないのか。目をぱちくりして俺を見上げる彼女の頭を撫でたくなったが手が空いていない。わけが分かっていないらしい。…確かに、相手に迷惑でないと明言されている場合、自己主張として好意を表明することは自由だろう、相手に何かを求めることとは別だ。だが、それにしたって、あまりにそういう欲がなさすぎるんじゃないか。思い返してみれば、彼女は自由に希望の提示こそしたが、決定権は常に俺にあり、俺からのアクションを求めたことはなかったように思える。チョコを渡してきて、嫌じゃなければ受け取ってくださいと、彼女が俺の行動を願ったのはそれが初めてだった。受け取ったからといって何も求めない、ときちんと告げた彼女が今となっては少し憎い。当時はそうだから受け取ったというのに、とんだ逆恨みだな。あの時の俺は今の俺を信じられないだろう。
考え込んでいるといつの間にかオフィスが目の前にあって、彼女が先に自動ドアをくぐって抱えていた箱を下ろしたので俺も続き、二人、一息ついた。しかし彼女は直ぐに俺に向き直り、軽く頭を下げた。
「あの、すみません、今日はエリアストレスが上昇して三係が対応されたと聞いています、お疲れのところにも関わらずありがとうございました、狡噛さん」
「…いや」
今日を逃したら一生言えることは無いだろうし、執行官たちに笑われるどころか本気で同情されかねない。今も彼女の係がもぬけの殻なのはあいつらの協力のおかげだろう。…いや協力になるのか?まあもういい、そういうことにしておこう。とにかく俺もそこまで意気地なしではない。しかし全く気付く気配のない彼女も彼女だろう、別段鈍くはないと思っていたんだが。…実際鈍いわけではないが、こいつ人からの好意に関してはぽんこつ過ぎやしないか。「狡噛さん?」動かない俺に彼女が不思議そうに声をかけた。
「……悪い、そんなにあっちゃいらないかもしれないがもらってくれ」
鞄から出した小包を彼女に突き出すと、しばらくそれを眺めた彼女が真ん丸にした目で俺を見上げた。
「……へ?」
「だから、ホワイトデーなんだろ。ずっと邪魔されてて言えなかったが、バレンタインの菓子、うまかった。ありがとう」
「っえ、あ、っそういうことだったんですか、お返しなんてよかったのに、」
「明日返事くれ」
わたわたしている彼女の手をとってそれを持たせ押し付けて、振り返らずにオフィスを出る。「えっ返事!?」振り返れるか。無理だ。
ずかずか大股で廊下を歩いてしばらくしたが、明日顔を合わせる方が気まずいんじゃないだろうかと思え始めてきて、冷静なのか混乱しているのか自分が分からない。というか、明日になったらまたアイツらが邪魔してこないとも限らない。…まずいんじゃないか。それにちゃんと伝わるだろうか。俺、名言したか?菓子の意味とか、…いや、話は噛み合っていたし、双方理解している前提だったとは思うが…、まずい、記憶が曖昧だ。角を曲がると佐々山が待ち構えていて「どうだった」と口を開いた。そうだな、戻るか。踵を返して来た道を戻って行く。もうヤケだ。後ろから爆笑している声が聞こえてくる。佐々山、お前最近楽しそうだな。俺は全く楽しくないぞ。
アイツは俺だけを見ていればいいし、俺の名前だけを呼んで欲しいんだ。無防備に佐々山に頭を撫でられて欲しくないし、誰にも触れさせたくない。それなら、結論もとるべき行動も一つだ。もう知らん。なるようになるだろ。こんな恥ずかしい思いは一度で沢山だ、明日また同じような体験なんてしたくない。
戻ってくると、オフィスのガラス越しに、立ち尽くしている彼女が見えた。
「!」
「っはい!?」
ドアをくぐると同時に呼べば、彼女が裏返った声で振り向いた。既に真っ赤だった顔は更に赤く染まって、どこまで赤くなるんだ、と思った。机上には俺が送った小包が開封されているのが見えた。なら話は早い。
「やっぱり今聞きたい」
「えっと、あの、何を、」
「決まってるだろ、返事だ」
固まっている彼女に近づいて、菓子を一つ、半開きのその唇に押し付けてやる。彼女は慌てて口を開けて、俺は菓子を更に口の中に押し込んでやる。手を離すと、彼女はゆっくりと口を閉じ、それを咀嚼している。そんな彼女を凝視していると、彷徨っていた視線がちらりと俺を見たが、目が合うと直ぐに逸らされた。…気に食わん。彼女が口を動かし終わって、ごくりと彼女の喉が動いたのを見てから、その頬を摘まんで引っ張ってやる。
「っこーふぁひさん、!」
「お前今面白い顔してるぞ」
すぽん、と彼女の頬を離すと、手で頬を押さえながら、彼女は俺を睨みつけている。
「ひどいです!」
「すまん、からかった。でも、ここ一ヶ月ほど話せなくて戸惑ったのも、お前のことが好きだと気付いたのも本当だ」
「…あの?!なにか、都合がよすぎるんですけど、狡噛さん、正気ですか、」
「お前、何でここで引くんだ。俺のこと嫌いになったのか」
「そんなわけないです好きです大好きです、でも全然話せなかったから、どう話していたのか思い出せなくて、」
「俺もだ。…なあ、もう俺以外にチョコ送るなよ。そこに積んである、お前がもらったお返しも全部一緒に開けたい」
一歩、俺からパーソナルスペースを破って、彼女を見つめる。息をのんで足を引いた彼女の腕を掴んで、真っ赤になっている彼女とじっと目を合わせて言葉を待つ。目を合わせたまま口をぱくぱくしている彼女は可愛かった。
「~~っそんなの恋人にしか許しません!狡噛さん、好きです付き合ってください!」
「ああ。よろしくな」
彼女を抱きしめて、俺の背中に彼女の腕が回し返されると、勝手な俺は先ほど打って変わり、旧時代のイベントも悪くないと思ってしまったのだった。
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