「狡噛さんちょっと待ってくださいってば!」
廃棄区画のガラクタの山の中、道なき道を進んでいく。この人は、こちらを振り返ることも無いし、気にしてくれるわけでもない。脈なし、いや人として、もうちょっと気遣ってくれたって!狡噛さんの小走りに着いて行くのだって結構きついのに、廃材につまづいたり。ちょっと泣きたくなってきた。
「任せろと言っただろう」
「いーえ、一人で先行しないで、危険です」
「監視官を危険な目に遭わせないのが俺たち執行官の仕事だ」
「そういう監視官に、なりたいわけじゃ、ないんです」
「全く奇特なこった」
前を向いて進んだまま余裕で言葉を投げられて口が尖る。私は既に息が上がり始めているのに、というか普通の人は走っている間に余裕で話せはしないだろう、余裕では。
それに、私が尊敬している人はあなたです。けど、狡噛さんの大きな背を追いかけることしかできなくて。いつもそうだ、この人はずっと一人で先へ行ってしまう。その隣にいたいのに、と思ってしまったのはいつからだったか。
せめて私がこの人の監視官でいるうちだけでも、この人をここに繋ぎ止めておきたかった。何故だかわからないけど、この人はいつかどこかに、シビュラを越えたどこかに、行ってしまう気がするから。
ぼんやりその逞しい背中を見つめていたら、狡噛さんが振り返った。
「後ろだ!」
反射的に頭を下げた。潜在犯を追っている最中に気を散らすなんて最低だ。狡噛さんがそいつをおそらく殴り飛ばして、私は狡噛さんの背に、別の潜在犯が飛びかかってくるのをみた。腰横から抜け出て、そいつに足払いをかけ勢いよく蹴り飛ばし、後ろへ下がり間合いを取って、ドミネーターを定める。とん、と背中にいつもの感覚。ドミネーターはエリミネーターに変形を始めていく。またか、最悪だ。どうにかならないのかな、反動もひどいし。でも、私の頭のてっぺんまで合わさっているこの大きな背中が、私を支えてくれるだろう。いつも通り。
あーあ、なんで私は、この人達を救おうとしないんだろう。殺すか殺されるしかないように思えて。ゆらりと立ち上がる潜在犯。私が神だったら、この人達を救うことが出来たんだろうか。本当のところを教えてよ神様がいるならさ、――慎重に照準を定め 対象を排除して下さい――いつだって返事なんて無いのだ。
人間が出来る最大限の表情で恐怖を表した潜在犯の顔をしっかりと見ながら、狡噛さんと背中合わせに、引き金を引いた。
「お前たちまた……酷い有様だな。監視官までそうなることは無いだろう、色相が濁るぞ。執行官に任せておけばいい」
「ほんとうに。もう少しなんとかならないんですかね、エリミネーター」
言葉こそ嫌味っぽいが、少々不憫そうに言われたので、あまりいやにはならなかった。多分心配されていたんだろう。宜野座さんも宜野座さんで、分かりにくい人だ。
「ん」
宜野座さんからタオルを受け取った狡噛さんがまず私に回して。普通っちゃ普通だけれど、その普通が出来るところがまたずるい。
「ありがとうございます」
べっとりとついた返り血を拭っていくが、どれだけそうしてもこの鉄臭さはとれない。
そんな事件ばかり続いて。報告書を書くとき、潜在犯のあの顔が思い出されるようになって、しばらく経つ。最初の頃はストレスケアをしてみたり、縢くんがくれたゼリービーンズを食べてみたりとか、してみたけど、だんだんともういいやって投げやりになり始めている。あの人達にはあの人達なりの人生があったんだろうかとか、狡噛さんについて、とか。狡噛さんの部屋にあるアナログの資料、写真。白い男、槙島、佐々山、標本事件。…狡噛監視官。先月くらいに狡噛さんの部屋を訪れた時、”好きにしていい”何で私がそれを見ることを許可したんだろう。
殺した人のこと、と同時に、焦がれているただ一人の男のことを、考えている。同じ重さですら無いだろう。それもそれで、大いに自己嫌悪。
それからだ、どんどん言葉少なになって、私なら分かってくれるみたいに扱われるようになったのは。タオルだって最初は”監視官、使え”とか、数か月前は”ほら”とか言ってくれたのに。あの人相手に隠し通せてる自信はあまり無いし、バレているのではないか。うまくいけばバレてないかも。でも、狡噛さんだってそれに甘えてるところ、少しあるのに。けど監視官が潜在犯に惹かれるなんてあってはならないことで――じゃあもういっそのこと私も潜在犯になってしまえば――そうはなりたくないな、私この仕事嫌いじゃないし、自由を手放したくない。例えあんな風に人を殺していても。
エリミネーターで殺してきた、数多の潜在犯が毎夜私を追いかけ回して、彼らの手にあるのはナイフとか、銃とか、現実の通りそういうものだ。でもドミネーターだってそういうものと同じなんじゃないの、とか、私達が刑事という名を借りた、ただの殺人犯なことは変わらないんじゃないのとか、そういう気持ちでやっているんじゃないとか、けれどもやっていることは同じだとか。ぐるぐるぐるぐる考える。合間に思い出されるのは狡噛さんの背中、その感触、あたたかさ。
本当に、今直ぐにでもふってほしいぐらいだった。微塵も気持ちを残させないように。私に気なんてないのは分かってる、振り返ることも無ければ特別に扱うことも無い。その胸の内を明けてくれるわけでも無い。それでも着いて行くことを拒否されないのは。いや、気にする、それにすら値していないのかも。もう、酷く切って捨ててほしい。
そんな淡く甘い痛さを抱えて眠りに落ちて、潜在犯に追いつめられて殺される寸前に飛び起きる、日々。はーあ。
私なんで生きてたんだっけ。
そんな日々。なんだかちょっと疲れはしていたけど、まあいいやって投げ出した。結果、一晩で色相がめちゃくちゃに濁った。人間休むことは大切だ。あと適度なケア。やっちゃった。少々パニックになりながら局長に事情を添えて、休暇を申請した。
「監視官は」
「とある事情により数日休むそうだ」
「事情…ね」
「俺の口からはそれ以上言えん」
きつく眉を寄せたギノの表情が全てを物語っていた。慢性的に人手不足の刑事課でそんな自由はそうそうきくはずもない。
「……あの子、少し前からぼんやりしていたから。…心配」
「まあそのうち帰ってくんじゃねえの?まあでも、ちゃんの好きなもの何でも作ってあげるから早く帰って来てね、って伝えといてよ、コウちゃん」
「狡噛は本日宿舎で待機とする。監視官が足りん」
「さ、コウ。行って来い」
とっつぁんに背中を押される。みんなして。監視官は分かり易くは無い。
慌てて緊急セラピーを受けに来たはいいけど、今もセラピストのいうことは右から左へ流れていて、思い浮かぶのはこのまま潜在犯になったら狡噛さんに殺してもらえないかなとか、そしたら彼の記憶にずっと生きていられるかなとか、私の記憶に生きているエリミネーターを向けたときの潜在犯の顔、顔顔顔顔顔顔、にいっと上がった口角、悲痛な顔、狂ったように笑う声、歪む目、どうして助けられないの、向ける銃口、どうして愛してくれないの、神なんてもうとっくに死んでる、シビュラなんて――現実で激しい音が鳴り響く。危険値だ。
「落ち着いてください、大丈夫」
うるさいな、黙ってよ。
それでもだめだ、これじゃかえれない。ずっとここに隔離されたいわけじゃない、落ち着かなきゃ。私を待ってる人たちが居るから。私が刑事課にいるだけで、自由でいられる人がいるから。それだけのために?それだけのために。それに私は狡噛さんが好きだから。好きな人の手綱を握っていられるなんて最高のしあわせでしょ、まあ全然握れてないんだけど。私が堪えていなければいけない。クリアホワイトとかパウダーブルーなんていわないから、例えギリギリでも監視官でいられる色、数値。今まで散々耐えてきたはずだ、落ち着ける。大丈夫。何も思い出さなくていい、ただ刑事課のみんなの顔だけ思い出せればいい。確かなものだけ信じていればいい。
「よかった。今日は帰って休まれた方がいいですよ、数値も下がりましたし。まだ少し不安ですが、最初よりも随分安定しています。さすがシビュラに選ばれた公安局の方、お強いんですね」
所詮他人の事だというのに、心底安心したようにほっと微笑んだセラピスト。それでも人は強くなんてない、そんなのは嘘だ。泣き叫んでしまいたい気分だった。こんな気持ちで数値が下がったの。
――なんでもいいや、だってまだかえれるのだから。
自宅の扉を開けたら、煙草の臭い。何でこんな時に不審者、なんて思ったけど、この臭いには心当たりがあった。コートハンガーを見ると、その原因であろうスーツのジャケット。まあ、同じ煙草を吸っていて同じスーツを着てるだけの不審者って選択肢もまだ残っている。ちょっと怖いなと目線が下がれば、そこに置かれていた靴が目に入った。傷のつき方も、すり減り方も。いつもいつもこの靴のかかとを見てる。
この人が私の部屋を訪れることは、不可能ではない。出勤が面倒くさいのもあって私は宿舎に住んでいるし、一係の執行官だけは特別に出入り自由に設定しているから。しかし、どうしてここに。今までそれを使って入ってきたのは弥生ちゃんだけで、それも緊急事態が起きたのにデバイスを外していて連絡がつかなかった時だけだった。
私は未だ玄関に立ち竦んだままだ。部屋を間違えたのかもしれない。そっちの方が現実味があった。この人が何のためにここへ来たのか、本当にわからなかった。
がちゃりとリビングの扉があいて、何か言おうと口をひらきかけた狡噛さんが、そのまま口を閉じた。勝手に入って悪かったとか、なんかそういうこと言おうとしたのかもしれない。この様子からして緊急事態ではなさそうだし、ただただ疑問が増えていく。
狡噛さんは私がリビングへ行くことを待っている風だった。だがもはや何もかも疑ってしまっている私は、この美しい男を見ながら白昼夢のようだなんて外れたことを思って動けずにいた。まるで肉体と意識が分断されて、後ろから現実を眺めているような感覚さえ覚えた。
そんな私を眺めて険しい顔になった狡噛さんが、ずかずかこちらへ向かってくる。背景がうちのホロで、変な感じだった。
「おい」
その手が肩に触れて、低い声が鼓膜を震わせて。頭を垂らす。狡噛さんのシャツ、煙草臭い。肩を掴んでいた手が後頭部に回って、そっと沿えられた。視界の端で、反対の腕が持ち上がったあと、また垂れたのを見た。行き場をなくしたそれが、この人の迷いを表していた。
「……無理するな。お前が居なくなると困る」
そりゃそうでしょう、自由に動けなくなっちゃいますもんね、次の監視官がやってくるまで。
そりゃそうでしょう、その間槙島を追うことも出来なくなっちゃいますもんね、人らしい生活だって。
そりゃそうでしょう、煙草吸うことだって制限されて、毎日毎日バカみたいなセラピー聞かされて受けさせられるはめになっちゃいますもんね。そりゃそうでしょう、
――勝手だ。こんな、中途半端に。その手できつく抱きしめてくれないなら、躊躇うくらいなら、怖がるくらいならやめて。
シャツが私の涙を吸って、じんわりとぬれていく。それに気づいた狡噛さんが、私から離れて屈み、靴に手をかけた。
どうして。もうサイコパスもめちゃくちゃだし、このままこんな風に居続けていたってどこにも行けやしない、駄目だ。たった一人に焦がれてサイコパスを狂わせてしまうなんて。相手が潜在犯じゃなければクリアカラーでいられたのかなって、多分そういうことじゃない。ただこの人に、この人だけに愛して欲しかった。涙は止まってくれない。
迷惑だってわかってる。足枷だってわかってる。それでもそれならここへ来ないで、心配しないで、触れないでよ。迷わないで、離さないってきつくとめて、一緒にいかせてよ。あなたとなら何だって手に入れられるのに、望めないものなんてなにもないのに。
「ここにいて、ください」
「……お前まで、苦しむ必要はない」
靴紐を結び終えて立ち上がった狡噛さんの胸倉を強引に掴み寄せ、唇を奪う。目すら瞑らないで、その驚愕に満ちた瞳をゼロ距離で見た。かたい胸に顔をうずめて、大きな背中に縋りつく。この背にある全部、その罪ですら背負いたかった、ねえ、
「もう一人でいかないで」
思いきり肩をつかまれ離されて、ぼろぼろに泣いたまま狡噛さんを見上げた私の唇が、彼のそれで塞がれた。骨が軋むほど思いっきり抱きしめられて、ぬるりと舌が入ってきては隅から隅まで蹂躙されて。
ひどく思い詰めたような顔をした狡噛さんが「監視官、いいのか」最後の問いを発した。答えなんか決まっている。
「一緒にいきたい」
Beyond the