今日は、『刑事課一係重要指定事件“拗らせた大人”』にて私、常守朱が受けた被害を、当時の私の主観から語らせてほしい。


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 それはふとした時にじんわりと染み渡っているような愛なんだろう、と思った。時々見ているこちらが顔を覆いたくなるほど、さんと居る時の狡噛さんの視線は温かかった。任期はとうに過ぎているのにここに留まって、刑事課を統括してまとめあげるようなポジションにいるさんと、狡噛さんは恋人らしい。
 ついこの間だって。休憩時間に一係を訪れたさんが、狡噛さんのデスクに散らばっていた紙媒体の資料を片付けていて、紙で指を切ってしまったとき。狡噛さんは上がった彼女の小さな声を聞いて、大丈夫かと彼女に近寄り、さも当たり前のように彼女の指を口に含んだのだった。あれには私と縢くんは勿論のこと、六合塚さんですら見ないふりをしていた。大丈夫だよと言っていたさんの、みんないるから…といういたたまれない一言が未だに記憶に残っている。
 ある時は、オフィスでさんの頭を撫でるとき。私は最初驚いたけど、周りの誰も気にしていなかったので、長年されていることなんだろう、とだけは分かったのだった。
 またある時は、ショッピングモールで犯人を確保した後。引き上げる際、ふと立ち止まってブティックのショーウィンドウを眺めていたとき。に似合いそうだ、と呟いた彼の口角は少し上がっていて、穏やかな横顔をしていた。

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 ある日分析室を訪れれば、唐之杜さんのほかに、やっと終わった、と伸びをするさんと、非番のはずの狡噛さんがいらっしゃった。彼の手はやっぱりさんの頭に乗っていた。こちらを振り向いた彼らと挨拶を交わして、さんと狡噛さんは私と入れ替わりなる形で退出されたのだった。

「本当に、狡噛さんってさんのことが好きですよね」
「慎也くんはずっとああよ」
「正直言って、時々驚きます」
「でもの方がねぇ。あれだけ分かりやすくされても、どれだけ愛されてるか分かってるのやらないのやら」
「そうですか?さんも、狡噛さんのことを好いていらっしゃるように見えますけど…」

 間延びした声で、そうねぇ、と苦笑した唐之杜さんの意味するところは、あの時の私にはいまいち分からなかった。

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「朱ちゃん、最近は慎也、大丈夫?」
さん!はい、本当にお陰様で、理解できるようになってきました」
「よかった」
「刑事としても色んなことを勉強させてもらっていて、少しは信頼もしてもらえたような気がします」

 その調子でね、と微笑んだ彼女は、ちょっと行くところがあるからまたねと早足に行ってしまった。この間、宜野座さんと一悶着あって、狡噛さんのことでも悩んでいた私は、さんに相談に乗って頂いたのだ。でも、相談に乗って頂いた、というのは少し語弊がある。実際は半泣きで彼女の執務室の扉を叩いて話を聞いてもらったのだから。とにかく、気にして声をかけて下さったんだろう。
 こないださんに教わった通り注意深く見てみれば、難しいことは何も無くて、宜野座さんとはまだ関係性が難航しているけど、狡噛さんとは信頼関係ができてきた、と思う。私も目的の場所へ向かおう、と向き直れば、その狡噛さんが居て驚いた。

は?」
「よく分かりませんけど、行くところがあると仰られていました」

 さんが言った通り、確かに少し言葉足らずな時がある、色々と省略しがちというか。きちんと答えてから、なんか変だな、と思った。いつもなら狡噛さんと少し話してから彼女は行くはずなのに。そこまで急いでいたのなら、私に声をかけなかったはずだよね。狡噛さんも不思議に思ったようで、私たちはそろって首を傾げたのだった。まあ、たまにはそういうことだってあるのかもしれない。

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 なんだかそれから、二人の間が少なからずギクシャクしているような、していないような。狡噛さんのデスクの状態は、溢れきった灰皿に、煙草が詰まった缶まで何本も並び、乱雑に積み上げられたファイルは、征陸さんのデスクに今にも雪崩れかかりそうなほどに悪化した。

さんと何かあったんですか?」
「俺が聞きたいくらいだよ」

 いつもより数倍険しい目つきの狡噛さんが言うには、さんを訪ねたら席を立っていて毎度不在で全く話せていない、とか。こちらから見ても、狡噛さんが昼寝をしている時、見回りと称してさんがタオルケットをかけに来られるのをやめたことが挙げられる。彼女は刑事課の監視カメラを見ているだろうから、そんなことは容易いんだろう。

「逆に監視官、アンタこないだあいつに何か言われてないか、ほら、数日前廊下で話してたろ、あいつがさっさとどっか行っちまったあれだ」
「あれは…その。実は、以前相談に乗って頂いたことがあって。それで気にかけて下さったんです」
「相談?」
「はい、宜野座さんと険悪になってしまった時です。あの時は私まだ、狡噛さんのことでも、混乱、していたので…」
「気にするな。続けてくれ」
「すみません。ええと、狡噛さんに関しては、分かりにくい時は言葉ではなく行動を見ろ、と教えて下さいました。それで、その後うまくいっているのか聞いて下さったんです」
「…話が読めてきたぞ。まあいい、今日上がれば明日は久方ぶりに休みが被ってるんでな、さすがに帰ってくるだろうさ。あと数時間の辛抱だ」

 今の説明だけで何か分かったらしく、さてどう料理してやろうか、と言わんばかりに凶悪な表情で煙草を吸っている狡噛さんの色相は大丈夫なんだろうか。それに、さすがに帰ってくるだろうって、もしかしてさん、帰られてもいないのかな。大丈夫なんだろうか。助かった、と狡噛さんにお礼を言われたが、その表情で言われても怖いだけだ。

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 休み明け、血走った目で出勤してきた狡噛さんは、エリミネーターが起動してしまいそうな顔をしていた。一体どうしたんだ、と宜野座さんが苦言を呈した時、全てを無視して、「帰ってこなかった」と言った彼の声が重すぎて、しばらく誰も口を開けなかった。「あいつ自宅に帰りやがった、の部屋で一晩待っていたんだが……、帰ってこなかった」呪詛のような声で説明を付して、二度言って、少し頭を冷やしてくる、と狡噛さんは5分ともせずに、ふらふらしながらオフィスを出て行った。宜野座さんは頭を抱え、征陸さんは「コウのやつ大分やられてやがる」と可笑しそうに笑い、六合塚さんは「アイツは普段からの宿舎に入り浸ってんのよ」と教えてくれて、縢くんが「コウちゃんの部屋にはかったーいソファしかないけど、ちゃんの部屋には大きいふかふかのベッドがあるからね」と更なる情報を添えた。なんで知ってるんだろう。

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 さんはそういう事で怒るタイプではなさそうだから、本人と話すのが一番早いと思い、こないだのお礼も兼ねてランチにでも誘おうと、次の日彼女を伺うと、幸いにも今から退勤されるというので、半ば強引に連れ出す形で街へ出た。
 ゆきや佳織ともきた、お気に入りのカフェだ。

「きれいなのに可愛い感じのお店だね、こういうところにくるの久しぶり」
「私ここ気に入ってるんです」

 店内を見回して、何頼もうかなぁと嬉しそうに悩んでいるさんをみて、私も嬉しくなる。迷いながら、あれも食べたいでもこれもおいしそうと二人して決められなくなったので、2つ頼んで半分こすることにした。
 さんはそのあたりを気にしない人みたい。私もしないから、こないだ食堂で狡噛さんに飲み物を分けようとしたとき、少しは気にしろと頭を小突かれたことがあった。完全に盲点だったので、指摘して下さって助かった。翌々考えずとも非常に失礼なことに当たる、うっかりだった。
 私は全く狡噛さんのことをそういう風に思っていない。いいタッグでありたいとは思ってるけど、ここ最近の狡噛さんはひどい。物思いにふけっているのかと思えば静かに貧乏揺すりをしているし、デスクを落ち着きなく指でトントン叩いて、タバコの本数は増えて煙たいし、購入申請も凄い量だし、スパーリングドローンはほとんど壊すし、総務課に私まで怒られるし、空返事ばかりで聞いているんだかいないんだか、宜野座さんの機嫌も悪くなっていくし、正直言って凄く困っている。
 少しお話したくて、と話を切り出す。

「あの…さん、なんだか狡噛さんのことを避けてますよね…」
「うん、分かってるんだけどね、ごめんね、あの人距離が近いときがあるでしょ」

 やや的はずれな返答をする彼女はいつもの調子だった。この人の返答も、話の切り出し方も、時々怖く感じる。それが普通になってしまうくらい、監視官という職業は大変なのかもしれない、と思ったこともある。でも、さんの性格も一枚かんでいると、ようやく分かってきた。ここに関しては、狡噛さんの方が順序を踏んでくれて、優しく分かりやすい答えをくれる。
 まあ、おそらくそういうことなんだろう、と思いつつ、黙っているのが賢い選択だと知っている私に、さんが続ける。

「私、朱ちゃんのこと好きだよ」
「へっ!?あ、ありがとうございます、私も、その、さんのこと好きです、えっと、」
「ありがとう」

 はにかんだ彼女は、「だから、自分のことも少し嫌になっちゃって。朱ちゃんになら慎也を変えられるんじゃないかって、」と言葉を落として、運ばれてきた料理にフォークをとった。
 私は、唐之杜さんの言っていた意味を理解した、と思う。ちょっとした衝撃はじわじわと大きなものになって、それと同時に怒りが湧いてきた。けど結局呆れが勝ってしまって、脱力した私は、それでも少しくらい文句を言わせてもらおうと、へなへなと言葉を発する。

さんは、狡噛さんの様子を見ないふりをされてるんですか…?」
「ごめんね、大変?」
「そりゃもう…いつもイライラしてますし、さんにしかどうにかできないんですよ、あれは」
「そんなことないよ、それに、躾の勉強にもなるかなと思って」
「私はそういうつもりで言ったんじゃありません、さんだってご存知のくせにそんな…」
「ごめんなさい、でも、怒っていいんだよ、慎也、面倒でしょ」
さんもよっぽどですよ…狡噛さんがどれだけさんのこと好きなのか、全然分かってません…」

 拗ねた私に、「私が払うから心配しないでね」彼女がストロベリーパフェを食後にと追加オーダーした。なんだかさんにはよく餌付けされている気がする。頬を膨らませながら少し喜んでしまう私はやっぱり少し単純かもしれない。でも、少しの嫉妬でここまで遠回りに空回るようなら単純なままでいいかな。誤解させないために、彼女は突飛な私への告白から始めたんだろうということも。狡噛さんは、そういう関係になる時、どうやってさんを頷かせたんだろう。そちらのほうに興味が出てくるくらいだ。機会があったら聞いてみよう。

「いい歳した大人なのにね、ダメだねえ」
「私、ほんっとうに、狡噛さんにそういう気持ちないです。早く仲直りしてください、大変なんです」

 パフェはありがたく頂きます、とむくれた私に再度謝ったさんのデバイスが鳴って、ちょっとごめんね、と彼女が席を立った。荷物は置いてかれているし、ご飯も残っているから、さすがに戻ってこられるだろう。察するに緊急ではなさそうだったので、その隙に狡噛さんにショートメッセージを送信しておく。
 さんが戻ってきてから少しして運ばれてきたストロベリーパフェは、甘酸っぱくておいしかった。でもさんには甘すぎるらしい。

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 満足した私は、今夜ちゃんと慎也と話すから、と苦笑している彼女をがっちりと捕まえたまま公安局へ戻ることに成功した。今、エレベーターが刑事課のフロアへと直行している最中だ。私の先ほどのメッセージを受けて、待ち構えているだろう狡噛さんにさんをパスして、私の仕事はやっと完了する。さんには少し強引なくらいで丁度いいことも、私は今日学んだ。
 エレベーターの扉が開くと、子供が逃げ出すような恐ろしい形相をしている狡噛さんが、仁王立ちになって立ち塞がっていた。私はエレベーターから降りて、彼の脇を通り抜け、一係のオフィスに向かって歩き始める。何やらボタンスクリーンを連打している音や、ガタガタと扉が閉まるのを阻止しているんだろう音が背後に聞こえ、「、ゆっくり話し合おう」狡噛さんの地を這うような声を最後に、エレベーターが閉まる気配がして、その場が静まり返った。
 やっぱり引き渡して正解だったかもしれない。最初からこうすればよかったかな、でもさんと話ができてよかった。カフェ、喜んでもらえたみたいだし。彼に独断で半休を与えてしまったけど、宜野座さんも文句は言わないだろう。明日にはこの事件も解決している筈だ。
 この調子で、午後の仕事も頑張ろう。

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 事の顛末は、当時の私の予想通りであり、それから変わったことといえば、後日私たちが普段の狡噛さんの惚気に該当する行動をさんに伝えることで再発防止に努めたことと、狡噛さんの彼女に対する愛情表現が一層すごくなったこと、それから、何故か彼らがばつが悪そうに持ち込んだボードゲームをみんなでしたことくらいだろう。

大人