「狡噛さん、聞いて、ねえ、」

堅苦しいスーツのジャケットをキーボードの上に投げ捨てて、机に肘をついて、きっときつく握りしめられているその手に額を乗せて俯いてる。この人はずっと自分を責め続けている。そんな彼のベストを後ろから強く引っ張ってみても、私の存在などまるで無いことにされているみたいだった。彼の頭の中には失った部下のことと自分のことしか無いんだろう。そうでなくたって振り向くことなどなかったけど。でも私だって大概だ。もしあの時死んだのが狡噛さんだったなら、私はどうしたんだろう。でも、まだ狡噛さんが生きているなんてどうして言えるんだろう。
けれども、敵に背中を見せてはいけない。そのままでもいいよ、後ろから切りつけてやるから。こっち向いてよ。

「どれだけ自分を責めたって彼はもう戻ってこない、死んだ人間は生き返りません」
「…黙っていてくれないか」
「私はあなたが好きです、彼だってきっとそうでした。それに、私たち犬が一匹二匹死んだところで、監視官という人間の主人が気にする必要なんてどこにもない」
「馬鹿なことを言うな、お前たちだって俺たちと同じ人間だ!」
「それなら、自分を責めないで。私たちが人間ならば、自ら死を選んだのです」
「ふざけるな!」

机が割れてしまうような音がした。拳を叩き付けて立ち上がった彼が振り向いて私を射抜いた。凄まじい剣幕で一歩一歩大股に、私の足の間にその靴を割り込ませては侵攻を続ける。そして歪んだ顔で口火を切った。

「百歩譲って自ら判断できるのだという意味にしたとしてもだ、あんな死に方するような奴じゃなかった。事故だって予知することの出来ないものだ、だから周りが居るんだ、例えお前が犬で俺が人間だったとしても関係ない、もっと俺が注意していれば良かったんだ、あいつが死んだのは俺のせいでもある、俺のせいなんだ」
その足音に合わせて私も足を後退させる。彼の懺悔は止むことはない。
「例えばお前だったらあの時佐々山を撃てただろう、どれだけ悔やんでも死んだ人間が二度と生き返ることはない、そんなことは分かってるんだ。だがな、俺が悔やむことを忘れた瞬間それこそ永劫にあいつは死んじまうだろう、それに佐々山は真犯人の手掛かりを掴んでいた。俺はそいつを後生追いかける、追いかけなければならないんだ、あいつの無念と俺の全てに誓って」踵が壁に当たる。背中もついた。見上げ続けているせいで首は痛い、それでも彼から目を逸らさない。「もしあんたが俺に、自分を許せなどというなら、とんだ笑い種だ。俺は真犯人を、マキシマをしょっぴかなければ、いや……佐々山が味わった地獄よりどれだけでも酷いようにして殺さなければ、許すことなど到底出来ない」

クソ、と悲痛な声を落として私の肩口に彼は頭を埋めた。その頭を撫でながら私はずるいことを考える。佐々山だって、なんで死んだの。あんたが死んだせいで、私はこの先ずっとこの人の一番になんてなれなくなった。自分に失笑する。力ない狡噛さんの肩を押して距離をとって、翳りのある目をしっかりと見る。望む言葉を吐いてやろう。

「それなら私があなたを許してあげる」

私も相当なロクデナシだった。間髪入れずに彼の唇を奪って舌を入れる。抵抗もなくそれは受け入れられ、終いには彼の手が私の後頭部に据えられて、隅から隅まで激しく貪られていた。
なんで死んだの、佐々山の馬鹿野郎。あんたを許せないだけ私もきっと自分が許せない。同じだ。他人は自分の鏡でもある。それでも私は本当に狡噛さんが好きだった、好き。
私が彼を許しても、彼が私を許しても、過去は取り返せない、未来に歩き出せもしない。笑いあえてたあの頃になんて戻せるはずない。たとえマキシマを殺したって、きっと何も変わらない。マキシマを殺すことで自分が許せるなんて、そんなわけない。それに、佐々山の無念を晴らすのだって、あなたが佐々山になってまでやる必要なんてない。彼の口内から直接煙草の臭いが移ってきて咽かえりそうになる。あなたはあなたのままでよかったのに、見失ってしまったの。それでもあなたはあなたのままだから、どうしたって変わらないのに、変わってしまったの?
唇が離れて、よっぽど傷ついたような顔をした狡噛さんは、私を捕らえていた腕を解こうとした、それを伝い取って繋ぎ止める。

「狡噛さんが欲しいの」
「…こたえられない」

キスには応えてくれるのに? 佐々山との過去に生きるくらいなら私を愛してよ。あなたの目に私が映っていなくても、あなたがあなたでなくなったとしても、もういいよ。
私が嫉妬にまみれる前の自分が思い出せなくなっていくように、あなたもいつか今までのあなたが思い出せなくなっていく。擦れた自分のイメージだけが残って。何が自分を形作ってたのかなんて、濁りきったこの色の前では答えを出す意味も無い。今私が私を生きているだけでいいや。それなら、狡噛さんもまだ生きてる?
クリアカラーの人間を汚れた手で誘うなんておかしい、いけないことだね。最初と最後の死は佐々山にあげる。だから最後に向かうための死を私に頂戴。あなたもそれを待ってる。

「いいよ、一緒に佐々山の仇を討とう」

狡噛さんが私を壁に縫い付けて、唇を塞ぐ。きっとどうにもならないね、私たち。狡噛さんに必要なのはいつだって佐々山だった、私じゃない。
例えマキシマが人を殺した犯罪者であったとしても、大義名分を掲げて殺しを思案する私たちも同罪だ。シビュラが祝福するわけがない。それでも彼は望んでこちらへ落ちる。彼は今、彼より私を選ぶのだ。
私の愛した彼もあの時死んだのかもしれない、それとも今私が殺した彼なのか。
私の愛した彼は、今だ彼だと言えるのだろうか。

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