「よ」
あんのバアチャン孫のチャリごとくれたからチャリで来たわ、って、私の前に颯爽と現れた五条は、ゴクゴクぷはーっと一気にそれを飲み干した。自転車のカゴに入っていた一本のラムネを、自転車ごと、お礼にもらったらしい。この寒いのによくそんなものを、と私は若干引き気味に、彼が空になった瓶を持て余して、中に入っているビー玉をからからと転がしているのを眺めている。
「…どうするの、それ」
待ち合わせ予定だったコンビニは直ぐそこだ。瓶も捨てられるし、温かいものも買えるし、…自転車は、どうしよう。と、歩みを再開しようとしたら、引き留められた。ド田舎の街灯はやけに眩いから、ニヤリと無駄にいいドヤ顔を決めている五条をいつもより五割増しにカッコよくしていて、ついドキッとしてしまう。
「俺に考えがある」
どんな、と声に出そうとしたら、有無を言わせずボボいチャリの後ろに乗せられて、混乱している間に、窮屈そうにサドルに腰かけた五条がいきなり沿岸沿いの大きな道をかっ飛ばし始めたため、私は必死に五条に抱き着きながら早々に理解を諦めた。寒い。シンプルに不安定。お尻痛い。振り落とされそう。
五条のことは夏油にしか分からない。私に今一つ分かることは、五条が無駄な労力と体力を使っているということだけだ。
「無限で飛ばないの?」
「こっちのが青春っぽくね?」
「それはそうだけど、寒いよ!」
確かに五条の背中は大きくて、男の人だって感じに骨ばっていて、筋肉も凄くて。自転車二人乗りで抱き着くとか、青春以外の何物でもないし、さっきからずっとドキドキしてるけど。それと同時にひどく寒くって、東北の太平洋沿岸部は雪になるでしょう、なんて昨日のお天気お姉さんの声が脳内で繰り返し再生されているのも確かなのだ。
今日もこれから二人帰るだろう宿で、らしくなく二人ひとつの部屋でテレビなんか点けて寄り添って、天気予報やローカルチャンネルをぼーっと眺めてた。きっと五条は鼻の頭も手も赤くして前だけ見てる。降り始めた雪に、静かに微笑んで傘を差し出してくれた彼はもう居ない。
寒くてしょうがなくて五条の背中にしっかりしがみつくが、彼の見ている景色も前も見えない私は過ぎていく景色を横目で眺めるだけだ。でも存外、話せばしっかり聞いてくれることを私は知っている。近過ぎると分からないこともあるらしい。
「五条、どこまで行くの!」
「もうちょい!掴まってろよ」
確かあのへんに、と聞こえた瞬間、体が浮遊感に包まれて身を固くした。我が道を行っていた五条が勢いよくチャリンコを乗り捨てたのだろう。とはいえ恐怖したのも束の間、私を振り向いた五条と目が合って、手を伸ばされ引かれ肩を抱かれて、空中を、歩いている。ちゃんと私も救出して砂浜までを無限で降りて行ってくれてる、けど、結局無限なら、階段あるからって、ここに、こだわらなくたって!
後ろですっごい音をたてて堤防に激突したんだろう自転車は振り返れない。ぺしゃんこになっているだろう。哀れなのか、それとも既に半分壊れていたような彼を最後に思いきり使い切ってあげた五条を評価すべきなのか分からない。
「こ、ここまでは、青春とは言わない」
「ちょっと情熱的すぎだった?好きデショ?」
ウインクなんかしてふざけている五条、ホントに冗談じゃない。すとんと砂浜にやっと足がついて、五条に手を離された。
「後半、怖かった…」
ちょっと名残惜しく感じてしまいながら体を離してへなへなしゃがみこむと、五条も隣にしゃがみこんできた。彼の白い髪は真っ暗な中でも良く見える。波の音も綺麗で心地よい。けど、海風がひどく寒すぎる。さっきまで五条にくっついてたから余計に。
身体を丸めて唸っていると、何やらごそごそしている音が聞こえ始めた。顔を上げると、さっきのラムネの瓶が見える。
「…持ってきてたの……」
「うん。ちょっとね」
五条はふんふん鼻歌なんか歌いながら、瓶を逆さまにすることも無く、いとも簡単にビー玉を取り出した。凄い。真ん丸のビー玉が五条の手の中にある。暗い青色の中に時々きらきらと光が反射しては吸い込まれていく。
ビー玉を指先でつまんで、感嘆する私にそれを見せてくれた彼は、それからまた手の中に隠した。すると、砕けるような、粉々にするような、なんとも言えないひどい音がする。…何を。
私の頭の中には五条の手の中が血濡れになっていて、なんて、嫌な想像がなされてしまった。
「ご、五条。手…」
「ん?」
はらはらしながら彼の手に手を添えると、開かれた手のひらには、壊してからまた固めたのか、歪んだ形になったビー玉が在った。勿論、五条の手に傷一つない。さっきと違い複雑な光の入り方をしているそれが、カラン、と瓶の中に戻され、五条が瓶に蓋をする。彼に視線を戻すと、瓶の底をじっと見つめているのがサングラスの隙間から覗けた。
「…どうするの?」
「どうすると思う?」
手を引かれて立ち上がり、彼の背中を追っていく。さっきみたいに無限の内側じゃない。五条もひどく薄着の筈なのに、寒くないんだろうか。それとも、ここから、どうするの。
考えていたけど、彼は水際で止まって俯いた。一歩進んで五条を見ると、彼は水面を見つめて、瓶を持つ手を迷わせているようだった。
――あんな激しい青春をしたんだ、最後くらい劇的に済ませなくちゃ。
私は彼の手を引いた。靴が水に入る音がした。押しては引いていく波に抗うように、服が濡れても浸かることをやめない。
「冷てーんだけど」
「そうだね」
足首が、ふくらはぎが浸かる頃には、五条が私より前を歩いていた。どこまで行くのなんて、怖くて聞けなかった。彼が沈むより先に、私が沈むのは分かり切っていることだ。でも、五条ならばいいかと思える。私は彼が好きだった。
私は彼になんて言えるだろう。後悔しないように、どんなふうに居れるだろう。五条が一番欲しい言葉をあげてあげたいのに。五条のことも、夏油のことも、分からない。自分がどうしたいかしかあなたに言えない。私が五条にどうして欲しいか。夏油と一緒に居た頃の五条なら、そんなふうに慎ましくは無かったから。
「五条。流すなんてらしくないよ。投げちゃえば?思いっきり」
さっきの自転車が堤防を飛び越してくるくらいの勢いで行っちゃえ、と全力で背中を叩くと、モロに喰らった五条がふらついたのが少し笑えた。だって、もう膝まで海に浸かってる。冷たさに感覚を失くしてきているのに、私もいつか夏油を忘れて、今この瞬間も、この悲しさも、過ごした青春も、すべて忘れてしまうんじゃないかと怖くなる。彼をうかがい見ると、口を引き結んでひとつ頷いた彼が、何かを振り切るように思い切り瓶を投げ、海に任せた。ばしゃん、と音がして、少しして浮いてくる。ぷかぷかと少しずつ沖へ向かっていくあの中には、五条の呪力が籠ったビー玉が入っている。割れてもう一度作り上げられた、ビー玉が。
「すっきりした?」
「ぜーんぜん。と、ちょっとだけ、が混ざってるかな」
「きっと夏油も分かってくれるよ」
「そうだね」
夏油があれを寄越してきたなら、五条は直ぐに分かるだろう。もしも受け取れたら。もしも気が付けたら。もしもがどれだけ積み重なったって、叶わない奇跡もある。救えない人がいる。
二人、何も言わず、向こうへ流れていく瓶をぼうっと見つめた。
こんなの、なんにもならないって、彼も私も分かってる。燃やしたら、埋めて還ったら、灰を撒いたら。いつか交わることもあるだろうか。それまで、あのビー玉が覚えてくれていると信じていたい。彼の救いになれなかった自身を恨んで、今日も彼のいない青春の延長をしている。
嘘だらけのおまじない
#juju版深夜の真剣夢書き60分一本勝負 42回
から風/空き瓶/嘘だらけのおまじない