並んで歩いていたら、夏油が確かめるみたいに宙に手を出して空を見上げた。次いで、ポツポツとアスファルトが染まっていく。
「わー……降ってきた」
夏油の任務の金魚のフンした帰りなう。私は何もしていない。
私たちは今、夏油オススメのご飯屋さんに向かっている。昨日の夜、決まった。みんなで天気予報を流し見してたら、夏油に『の好きなおかずがおいしいって評判の定食屋さんが近いよ。行かない?』って言われたのだ。とても楽しみにしてきた。残念ながら任務のために長靴は装備出来てないけど、準備も天気予報もばっちりなのだ。
鞄に入れてきた折り畳み傘を取り出し開く。ばさっといい感じの小気味よい音を立てて傘が開いた。
「入ってもいいかな」
「え?」
さっきコンビニあったじゃん。寮から持って来なかったの? 夏油、いつも傘忘れなくない?
何から言ったものかと言いあぐねている間に、夏油はヌッと傘に入って来た。地味に人の話聞かないよね。強引なところあるよね。いいって言ってないんだけど。図体のデカさ認識してる? 身長差的に無理じゃない?
身を寄せてくる夏油を困惑しながら見上げると、ニコリと目を細められた。それから流れるような動作で私の手に手が重なる。えっ。
「持とうか」
「大丈夫」
「ダメ。私が持つよ、ほら」
手を重ねられビビって固まっている私が、肩をすくめて丸める程に、夏油が猫背になっていく。彼のお団子が私の傘を押し上げる。ほら無理じゃん!
「ね」
夏油が笑顔の圧を出しながら、私が傘を握っている指を丁寧に解いていく。女のものとは違う、夏油の硬い指の腹に自分の手指をゆっくりとなぞられると、妙に意識してしまう。同級生の枠を超えた、男性っていう感じに。なんか、ザラザラしてて、あったかいから、ちょっとぞわぞわして、まごついてしまう。手大きくない? 指太くない!? って、私が観念して手を離して傘を渡せばいいのでは!?!?
思わず肘を伸ばして勢いよく夏油に傘の持ち手を押し付けた。傘からはみ出た体が雨にさらされた。冷たいと思ったら向こう側の手で傘を受け取った夏油に肩を抱き寄せられた。えっ、は、はぁ!?
「濡れちゃうよ」
「…………ありがとう???」
「どういたしまして」
半ば抱き締められている。なんで。夏油の腕の中から見上げる夏油はとても良い笑顔だ。傘を持てたことがそんなに嬉しい……のかもしれない。確かに男女で歩いてて傘が一本しかないのに女性の方しかも身長差がえぐい・が傘を持ってたら大衆的には引くわ。それはそうだわ確かにね。でもなんで私がお礼を言う流れになってるの? 昨日天気予報見たじゃん? 持ってくれば良かったじゃん? ホントに一緒に入って行くつもりなの? なんで? 離れて欲しい。ちょっと近いから。ちょっとドキドキしてきちゃうから。やめて欲しい。
「……昨日天気予報見たよね?」
「だからわざわざ傘を持って来なかったんだけど」
「え?」
何言ってるか分かんない。
私は顔を下げて深呼吸をした。息を大きく吸って吐いたら、夏油の匂い100%になってしまって余計落ち着かなくなった。物凄く顔に熱が上っていくけどもうしょうがない。同級生みんな見た目が無駄に整ってるから仕方ない。それに。だって。でもでもだって。
とにかく――冷静になるべきだ。
夏油は間違いなくこのくらいは別の女子にでもやるし言う。間違いない。体勢につきましても、任務中や体術の授業中ならこのくらいはよくあるあるあるし。全然よくある大丈夫。五条とだってたまになる。無下限だから直接触らないだけでなる。夏油と五条は取っ組み合いのガチ喧嘩をすることだってある。つまりこれは夏油にとって普通。これは夏油にとって普通。私にとっても普通?
スーーハーースーーと深呼吸をしていると、しばらくして夏油は私を解放してくれた。なんか匂いを嗅ぎ続けた変態みたいに思われたかもしれない。これに懲りてもうこんな異常行動はやめて欲しい。
私はアスファルトに目を落としてハーーと深く息を吐いた。はあああ~、びっくりした。びっくりした。びっくりした。
「そういえば、この傘とても可愛いね――」
夏油は隣で、なんでもなかったように話し始める。そうそう夏油はこういうヤツ。深く考えない方がいい。すっごいドキドキしちゃったのはビックリしたからだから。夏油はこのくらい他の人にもやるから。何の気なし、女たらし、メンヘラ製造機。
でも、普通に私の好きなおかずが美味しいお店を紹介してくれる夏油、普通に優しい。そう、普通に優しい夏油。夏油は普通に優しい。何の気なし、女たらし、メンヘラ製造機。
夏油のそういうところにだけは全然慣れないけど、私は夏油を嫌いじゃないから、ご飯に釣られてやってきただけだ。そうその通りだ。だから焦ったり心臓をバクバクさせたりビックリする必要は全くない。落ち着け、落ち着くのだ。落ち着かないとご飯の味がしないかもしれない。それは避けたい。私は夏油なんて気にせずにご飯をおいしくたくさんいっぱいばくばく食べるのだ。
*
道中、夏油が何を話していたかですか? 覚えていません。なんかいつもより距離が近くて肩当たっちゃうし、夏油の優しい声も傘の中に響き渡るしで、ちょっとそれどころじゃなかったから覚えていません。いつもより数段マシの優しい物腰で『聞いてる?』なんて顔を覗き込んでしてきた夏油のせいで聞けてないに拍車がかかったんだ。そんなことする夏油のせいでもあると私は思う。
「ねえ夏油、いいよ適当で。また帰りに使うじゃん?」
「そうだね」
今、言いながらも夏油は手を止めず、とても綺麗に律儀に私の折り畳み傘を閉じようと整えている。お店の前の少し横、突き出ている屋根の下で私は一人わたわたしている。夏油の手は、びっちゃびっちゃになっている。もう早く落ち着きたいからお店入りたい。一定の距離を取りたい。相合傘、近すぎてやばかった。傘から解放されても雨がとても迷惑だ。あんまり広がるとお店の迷惑になるから夏油と距離が取れない。
夏油の大きな手が、節くれだった指先が、ひとつずつ丁寧に傘の広がっている部分をまとめていく。さっき手を重ねられたのを思い出してしまう。ツラい恥ずかしくなってきた。見てるのやめよう。
顔を逸らして、鞄からハンカチを取り出して夏油の方に差し出す。視界の隅で、くるりと紐が傘に回ったのが見えて、ぱちんとボタンがとめられる音がした。一応お礼を言っておこう。
「ありがとう」
「……どうしたの? 耳が赤いけど」
ハンカチをもらっていった夏油が、くすくす笑いながら言った。
「どうもしない。ちょっと冷えただけ。早く入ろう」
「それはごめんね。上着貸そうか?」
空いた自分の手に傘は戻ってこない。雨の中店先でうだうだやっている意味もない。
「大丈夫!」
もう! って夏油を見た。……なんか凄いニヤニヤしてるんだけど。なにその意地が悪そうな顔。でもなんかすっごい楽しそうな顔。……いじめられていた? からかわれていた?
「……???」
あっ、あれかな。夏油、制服のボタンに指さえかけてないから、私が寒がっていないことはお見通しということか。からかわれていた、多分。
よく分からないおかげで、顔の熱がちょっと冷めてきたのには感謝しておこう。私が今日夏油にドキドキしちゃっているのは寒さで熱が出てきたからに違いない。風邪かもしれない。病気かもしれない。困惑しかない。何を言ったらいいのか分からないから、お店に入るか何か言うかして欲しい。
夏油をジト……と見詰めていたら、ハンカチで拭ったのか、すっかり綺麗になっている手が私の頭に降りてきた。
「は本当に、かわいいね」
振り払う程嫌いなわけでもない。なんで撫でられているかは分からない。言葉は問題ではない。かわいいって夏油はよく言う。つまり。
「……お口がとっても優れているから、名前が傑の夏油くん」
「だから言っているんだけどなぁ」
にだけだよ、って夏油が私の手を引いて、傘をぶら下げた手でお店のドアを開ける。
もうやだ。夏油意味わかんない。
ばくばく