甘い甘い声で私の名前を呼んだ傑くんと見つめ合って、数秒。彼は目を閉じて、自然な動作で顔を近付けてくる。――どうしよう、私達付き合って、付き合って7日も経ってない……!
 恋人じゃない期間を入れるなら、それなりにあるし、そこから数えれば、デートみたいのは、5回くらいしてきた、かも? だけど。未だに、なんでこんなカッコよくてモテモテの夏油くんに告白されたのか分かってない。なんかの拍子に、じゃあ付き合う?って言われて、え、えっ、えっ?ってここまできている。確かに夏油くんはカッコいい。カッコいいけど、まだ、――まだだめ!
 ひぇ、って自分の唇に手の甲を当てて守った。彼の思ったよりずっと柔らかな唇が私の手のひらに触れた。やんわり開けられた真っ黒い睫毛の向こう、まぶたの向こう。真っ黒い瞳が私を見つめている。感情の読めないその瞳と目が合うと、ちゅぅ、と手のひらを吸われてひどく驚く。いやらしく彼の眦が歪んだ。
 硝子ちゃんの言う通りだ。やっばり。五条くんと同じく、夏油くんも。

「あの、ね。夏油くん」
「すぐる」
「す、すぐるくん」
「うん」

 なんて伝えようか悩んでいる間にも、彼は私の手首を優しく掴んで自身の首元に手をかけさせる。ぐっと距離を縮められ密着して、あたふたしている合間に今度は本当に唇同士がくっついていた。

「っん、んん……!!」

 ちゅ、ちゅ、と角度を変えながら啄まれるようなそれは、恥ずかしいけど嫌なわけじゃない。でも。傑くんの首元にかけている手を、抱きしめるのにも抵抗するのにも使えないまま。だって。

「口、開けて」

 頬を優しく包んでくれてた傑くんの手は、うなじを撫でて、背中をゆっくりと触れている。キスの合間に囁かれてだめになりそうになるのを、硝子ちゃんの言葉を思い出すことで必死で耐えた。顔を背けてあからさまな拒否をして、「いやだった?」って分かりきったこと聞かれるズルさに顔が赤くなっちゃいながらだって、耳を指でやらしく遊ばれながらだって、甘えるように名前を囁かれながらだって。くっついている恥ずかしさと、体を撫でられるくすぐったいような感覚に涙が滲んできても、絶対流されないんだから! 私は息を大きく吸った。

「傑くん。硝子ちゃんが、傑くんも遊んでるって言ってて。だから、本当に好きでいてくれてるなら、半年は待ってほしい」


**


 彼女に「本当に私のことが好きなら半年待ってほしい」と言われて、絶望しない男がいるだろうか。黒板消しが教室の扉を開けたら落ちてくるだとか、バケツの水を頭からかぶるとか、物理で雷が脳天目掛けて落ちてくるだとか、そういう衝撃を私は受けた。勿論その場ではスマートに「じゃあ半年後、楽しみにしててね」と私がどれだけ彼女を好きか分からせたつもりではあるが、顔を真っ赤に「キスならいいよ」って半端に受け入れる彼女が心底憎らしかった。退こうとする私を引き留めて、「さっき、したいって言ってたから……」って恥ずかしそうに唇を重ねてきて、不安なのか私の機嫌をうかがうように拙く舌を絡め合わせてくる彼女に、私は下半身を反応させずに済むようにひたすら脳内で慣用句やことわざや四字熟語を羅列して最終的にはあまり得意でない数学の素数までをも数えるしかなかった。

「ヒーヒーwwwww」

 以上のいきさつを聞いた同級生は隣で机をバンバン叩きながらゲラゲラ笑っている。放っておいたらいつまでも爆笑し続けているだろうしさすがの私もイラっときて、突っ伏していた顔を上げた。

「悟うるさいよ」
「ザマァwwwwwww」

 そんなに笑わなくてもいいだろ。反対側から肩をポンと一度叩かれ振り返るとニヤニヤしてる硝子が居る。滅茶苦茶笑いを堪えてるじゃないか。みんなして。なんてひどい連中なんだ。私がどれだけあの子のことを好きか察してただろう。なんなんだこの微妙な応援の仕方は。硝子は彼女と私をそれとなく二人にしてくれたり、ニヤァってしてる悟を引っ張って行ってくれたりした。したけど。くっついたら終わりじゃないんだよ。

「硝子!恨むよ!」
「身から出た錆だろ」
「もう他の子とは連絡取ってない、取る必要もないし。こんなのってないよ……」
「すぐるwくんもwあそwんでwるw」
「うるさいよ。悟にだけは何も言われたくない」
「つかンなの何律儀に守ってんの?守る必要なくね?俺律儀にまもんねーわ」
「嫌われたらどうするんだ」
「俺の顔を嫌う人類の想像ができない」と悟がキリッと顔を見せつけてくる。確かにそうだろうけど今は私の話をしているしそういうことを言ってるんじゃない。頭が痛くなってくる。
「悟……」
「硝子。傑ヘコんでんの? コレ」
「ああ。これ以上ないくらいにな」

 まー元気出せよって頭がもげるほど乱暴によしよし(なのかこれは?)をされて更に腹が立ってきた。


**




 いつもみたいにキスされて、分厚くて熱い彼の舌と、私の舌が触れ合う。でも、なんか、今日は、もう、雰囲気が。彼が部屋に入ってきた瞬間から違った。あやしいっていうか、やらしいっていうか、あまいっていうか、ピンクっていうか。どうしよう。
 傑くんは私の頭の後ろを支えて逃げられなくして、それから片手で上手に私の制服の前を開けるとシャツの間に手を滑り込ませた。背中の下着のホックがぷちりと外される。吐息の合間にしつこいくらい名前を呼んでくる余裕の無さそうな傑くんに一気に恥ずかしさが込み上げてきた。腰に添えられた手はいやらしく動いているしで、遊んでない人は、そんな器用に、片手でホックとかファスナーが開けられるわけがないと思う。思うのに、長いキスにぽやーっとしてくる。ん-ん-抗議の声を漏らしてみても傑くんはキスを止めてくれなくて、終いにはそのまま優しく押し倒されてしまった。絶対にスるという強い意思を感じる。恥ずかしくって、心の準備が出来てなくて、どうしようと思う度、息をするタイミングを逃してしまい頭がぐるぐるしてくる。顔が熱くてたまらない。どうしようどうしようと半ばパニックになって彼の胸元を叩く。やっと口を離してくれた傑くんの目は血走っていた。

「えっと、あの、その、……」

 沈黙が痛い。私を跨ぐようにして膝を付き、顔の両脇に手をついている傑くんは、無言で私を見下ろしている。そしてその目は血走っている。普通に怖くてパっと視線を逸らした。でも顔ごと逸れた先の横には、筋肉のついた逞しい腕が男の人だと主張をしてきたので、正面を見ると鎖骨が胸板が、目線を上げれば端正な顔がこちらを見ている。違うの、その、拒否じゃなくて、そうじゃないんだけど、あの、その、心の準備が出来てないっていうか。

 傑くんは今日まで、何に対しても不満の一つも言わず、私が少しでも嫌な素振りを見せたことは二度としなかった。
 手を繋いで、キスして、恋人らしく触れ合って、半年前に私が言った「半年待って」を律儀に守ってくれていた。でも今日は、半年後きっかり、だ。この気迫に加え、ぴりぴりとしたような、雰囲気。……楽しみにしてくれてたのか、体目当てなのか、正直、分からない。
 五条くんが言ってた。「男は追いかけたい生き物なんだよ」って。半年後に体を暴けるっていうのがあったから、追いかけてたわけだったり、する? ……もし今日抱かれたら、終わっちゃったり、とか。

 半年間、ずっと、好きだよって、何回何百回囁かれたかわからないけど、……ちょっと照れくさそうに、緊張なんて全くしてなさそうな余裕の笑みで。嘘だなんて、思いたくない。けれどそれと同時に彼から必死さを感じたことは一度もなかった。大人の人と付き合ってるみたいな感覚が今でさえ拭えないでいる。男の人と手を繋ぐのも、キスをするのだって私は初めてなのに、傑くんは全部知っていて、私を上手にエスコートしてくれる。いつもいつも余裕綽々って感じでどこまでも優しい傑くん。私以外の子にもおんなじくらい優しくて、本音はどうあれいつもニコニコしている。そうだねそうなんだへえふうんって話を聞いて、一応私が彼女ってポジションなのに、ボディタッチされてさえ振り払っているところも見たことがなかった。女性に対して全自動肯定BOTとでも名付けてやればいいかもしれない。

 傑くんは、ほんとに私のこと好きなのかな。その余裕が怖いって、手に入らないから追いかけてるだけなんじゃないかって、弱気な私が顔を出す。今だって真顔というべきなのか、彼の顔はちっとも赤くない。ドキドキしてるのもきっと私ばっかりだ。
 彼のことを好きな子たちの顔が大勢、浮かんでは消えていく。私なんかよりもっと彼にお似合いで、彼が必死に求めそうな女の人たちが。

「……傑、くん」
「うん」

 私は傑くんのことが好きだ。でも、付き合って、好きになればなるほど不安になった。だって、彼と私じゃ全然釣り合ってない。
 この半年でどれだけ自分が醜い人間なのか嫌ってほど思い知らされてくたくただ。そんな私を全肯定する傑くんの言葉も信じられなくなってきている。彼が何をどう言おうとも、どう思っていても、もう彼が私のことを好きじゃなくても。どうしても取られたくない。こんなに好きなのに、好きだから、彼が好きになってくれるまで。もっと綺麗になって、可愛くなって、全部を知っても追いかけてくれるくらいになれるまで。

「あと半年、待ってほしい、な」

 怖々と様子を伺いながら言った私は、傑くんが目元から鼻頭まで引き攣らせた一瞬を見逃さなかった。真顔の般若のような顔をしている。

「聞けるわけないだろ。私がどれだけ我慢したと思ってるんだ」

 間髪入れずに何か言われた。とんでもなく、普通に、怖い。今、何言われたんだろう。確か、我慢した、我慢、が? ……??

「え、が、がまんしたの??」
「したさ!君は私をなんだと思ってるんだい!こっちは早く私のものにしたくて気が狂いそうだった!」

 五条くんと喧嘩するときのような大声で、私に感情を露にしている傑くんを初めて見た。しぼんでいた気持ちが一気に熱を帯びて来て、もしかしてって期待してしまう。それって、私のこと好きで、我慢してくれてた、って……こと? 緊張と驚愕に目をぱちぱちする私にあーとかそのとか大きい声を出してごめんとか傑くんは言いにくそうに言って少し顔を逸らす。その頬は少し赤らんでいるように見えた。

「健全な男子高生なんだよ。好きな子抱きたいのは、当然じゃないか……」

 語尾がだんだん小さくなっていって、彼の頬から耳までがじんわりと熱を持っていくのが分かった。こんな傑くんを見るのは初めてだ。きゅんってして、どきどきして、好きな子って言われたのが、傑くんが感情をぶつけてくれたのが嬉しくて。彼の頬に伸ばした指先には彼の体温が移ってくる。ちらりと私に目線を寄越した傑くんが愛しい。

「傑くん。私、傑くんのことが好き」

 目を見張っている彼の首を引き寄せて、触れ合うだけのキスをする。

「初めてかな、君が言ってくれたの」

 それは、こっちにだって理由がある。ぼうっとしたまま照れくさそうしている傑くんが好きで、好きで好きで、幸福に満ちてなお早鐘を打つ私の心臓は大忙しだ。だって、と私は傑くんの手を自身の左胸に当てた。私がどれだけ傑くんのことが好きなのか、もっと知ってしまえばいいんだ。

「こんなにどきどきしてるの、好きっていうだけで。傑くんは、慣れてたもん」
「……私だって、かっこつかないから隠してただけだよ。ほら」

 彼の左胸に導かれ、くっつけたてのひらから鼓動が伝わってくる。傑くんも、私のことが好きだって、どきどきしてるって、鼓動が。

「もう、いいかい?」って彼が囁く。私はこくりと頷いた。

狼宣言