生気と殺気
「っはあ、はあ、っは…」
ピンポーン。近くのパーキングに車を止めて全力疾走で目的のマンションの扉の前に辿り着いた。フロントなんて監視官権限で開けてしまった。しょっぴかれそう。許して。私の色相は大丈夫だからきっと以下略。インターホンを押しても中々応答されない、どうしよう、居ないのかな、いや、もう寝てるのかも、いや、そもそもカラオケとかネカフェに泊まればよかったんじゃ、せめてインターホン押す前に連絡した方がよかったんじゃ、普通に迷惑なんじゃ、やっぱり来なかったことにしてどこかに行った方がいいんじゃ、
「――?!」
「…慎也くん」
「何があった、」
ドタバタした物音と出てきてくれた、おろおろしている彼に泣きついた。いや、本当に。彼が腕を回し返してくれて混乱した頭は少し落ち着いたような。暴走している感情は全然おさまらない。多分心細かったんだと思う。ちょっと涙でてきた。情けない。私慎也くんより年上だった気がする。
「バルサン焚いたの。家なき子なの。でもごめん、迷惑だったら外に泊まる、ごめん、連絡もしないで来ちゃって、」
全然落ち着けてなかった。でもとりあえず概要は伝わったと信じたい。伝わっていないかもしれない。落ち着け大丈夫だから、と彼が私をあやしてくれた。情けない。私慎也くんより年上だった気がする。でも今の私はHPMPSPありとあらゆる要素が0を突っ切ってしまったんだ、許して欲しい。慎也くんの胸元にぐりぐり顔を押し付けた。
「来てくれて良かった、そんな恰好で外に出られたら俺が嫌だ」
胸から響いた声にきゅんとした。顔面から血の気が引いたままできゅんとするという、これは一体どこに血液が集まっているんだろう。全部心臓?なら頭が回っていないのは当然なのでは。
「ちょっと散らかってるが」
彼はそう言って私を家に上げてくれた。優しすぎて泣きそう。おねえさんなきそう。慎也くんは優しい。靴を脱いだ私の頭に彼の手がのった。優しすぎて泣きそう。
「なんか飲むか?」
気遣ってくれる優しい声に無言で頭を振って、彼に抱き着く。「…上からなんか羽織ってもらってもいいか」上から羽織ったらターゲットが見えなくなっちゃうよ。犯罪係数が計測できない。どうしてドミネーターでヤツは裁けないんだろう。いつだったっけ、付き合う前、出張先でも私はヤツに遭遇した気がする。どうして? 慎也くんが離れようとしたので滅茶苦茶に抱き着いた。マイナスのHPのままでは生きられない。どうして? 私の家は綺麗なのに。実は隣室とかマンション内で何か事件でも起きてて腐乱死体があるとか? ありえなくないかもしれない。そこまで深刻だろうか。分からない。どれだけ慎也くんにぎゅうぎゅうくっついても分からない。どうしてヤツは街頭スキャナーに引っ掛からないのか。どうして?
「――さん!」
「っえ、あ、はい」
何か大きな声で名前を呼ばれて反射的に顔が上がったら、慎也くんがはちゃめちゃな顔で何かまくしたてていた。
「頼む、襲われたくなかったら服着てくれ。そんな顔してるあんたを襲いたくない。今持ってくるから離してくれ!」
服着てるよ、と自分を見返したら、…ああ……、キャミソールタイプだったのだ。恥ずかしがれる頭のキャパシティが残っていない。色々と通り越してちょっと癒された。純情純朴青少年。嘘。肉食狼青少年。
「…なんかあの、ごめん」
顔に赤みがさしている慎也くんから離れ、ソファにお邪魔して丸まった。地上が怖い。軽くトラウマである。慎也くんに襲われるのも軽くトラウマではないが軽くトラウマである。恥ずかしすぎて優しすぎてかっこよすぎて私が死ぬ。ああ、今頃犯人は死んでくれただろうか。…ああ……あの音、気配、何もかも思い出したくない。慎也くんが視界にいないだけで私のメンタルは情けないほどに死んでしまう。家では最高に会いたくなかった。廃棄区画にいるあいつは敵なのだ、敵。それはもう大丈夫なんだ。なぜなら私が生命の危機を感じればデコンポーザーがデストロイしてくれるはずなんだ。当てれる自信もある。というか真面目にそんなことを気にしていたら自分か部下の命が消し飛ぶんだ。家には命の危険性がないもん。ついでにドミネーターも無い。あとデコポン撃ったら家具も消滅してしまう。それはかなしい。下手したら風穴すらあく。なきそう。
「…ヤツに襲われたらソファで丸くなる癖でもあんのか?」
「おもいださせないで…」
多分投げつけられた、眼前に白い服を受け、…あっいい匂いがする。布の感じからいって…、広げたがやはり。これは、これは、彼シャツ…!? 彼シャツ! 慎也くんは私の癒し方をしっているのかもしれない。でもシャツより実物の頭を撫でる方が癒される。とりあえず、いそいそと彼がくれたシャツを着て、こちらへ近寄って来ていた彼に腕を広げた。
…、としばらく、ジト目になった彼が、わっと飛び込んできてくれたので私は大変満足である。彼の肩口に顔を埋めて、彼の頭を撫で繰り回して、ああ癒される癒される。やっとHPが0くらいには戻ったかもしれない。精神的ダメージはまだ抜けていない。吃驚した。とにかく吃驚したのだ。それでもバルサンを一人で焚ける強さを私は持っているので監視官が出来ているのかもしれない、多分。えらい!すごい!私すごい! …はあ。ぐすん。慎也くんの髪は少し濡れている。多分お風呂上りだろう。いいな、安全なお風呂。そういえば入れてないや。入りたい。入らなきゃ。怖い。一緒に入って欲しい。彼はTシャツを着ているのだけど、そのTシャツを犠牲にして一緒に入って欲しい。服は脱がないで欲しい。でも脱がなくても分厚い胸板の形がばっちり分かるのでかっこよくてつらい。何を言っているのか分からない。彼が離れそうな動きをしたので、腕で頭を抱き込んだ。
「もういいだろ」
「良くない。良くないよ。良くないよ…」
諦めたのか、なされるがままとなった彼は、まだ私が撫でているのを許してくれるようだ。なんていい彼氏だろう。いきなり連絡もせずに来た人を迎え入れ、飲み物を飲むかまで聞いてくれ、服までくれて、癒してくれている。癒してくれている! しかし慎也くんが結構な力で上半身を立て直してしまった。上半身離れられた。遺憾の意。
「にしても、都内で出るなんて珍しいな。バルサンなんか持ってたのも驚きだが」
どうにか彼の首に手を回して、離れて立ち上がろうとしている彼をつかまえている。重力的に私が勝っているのに全く倒れてきてくれない。泣きそう。泣きそうなので私が膝立ちになって彼の頭を胸元に抱え込んだ。簡単な話であった。しかし慎也くんはいつかと同じように両腕を上げた。何やら呻いている。聞こえない。彼のつむじはいつもかわいい。頭を撫で繰り回して頬ずりをしてやっと回復の兆しが見え始める。こころがつらい。もうなにもわからない。慎也くんはかわいい。好き。
「~~っいい加減にしろ!」
なんかえらい怒られてしまって視界が大変で天井が見えて慎也くんの顔が見えた。顔がいい。好き。彼が私に跨っている。癒しだ。慎也くんは何をどうしても私の癒しにしかならないことに気が付いた方がいいと思う。
「慎也くん。歯医者じゃないよ。犯人は浴槽に潜入していて、被害者に飛びかかったが避けられたため、そのままワンルームに逃走したんだよ」
「駄目だ。くっついてくるが悪い、待てない」
「ごめん慎也くん、私とても、とてもそういう気分じゃない、今日の夕飯すら口から出そうなの」
「…分かってるよ」
重苦しいため息をついた慎也くんが私の肩口に顔を埋めてしまった。私は彼の元気を吸ってしまったかもしれない。いつかお返しするからゆるして。
「…あのね、だから、あの、…一緒にお風呂入って……?」
「…お前俺を殺す気か?」
「服着たままで…こう…どうにかしよう…」
「どうにもならない。さっき居なかったぞ、平気だろ」
「平気じゃない…」
明日何でもするからお願い、と言った私が、翌日慎也くんに抱き殺されたのは、また別の話である。
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