「――ん?お、狡噛のこれちゃんじゃねーか!」
「………なんですかその呼び方は、女好きさん」

 せめて宜野座さんがいればよかったのに、まずい人単体と会ってしまった気がする。慎也さんはどうしているだろう、早く届けないとまずいものだと思うのに。
 今朝、彼を見送って、いつも通りだらだらと、のんびり絵を描いたり、彼が貸してくれているガリバー旅行記を読んだりしていた私は、お腹が空いたコーヒーを飲もうと思い立った時、玄関に何かが置かれたままなのに気が付いた。
 彼は堂々と玄関に忘れ物をしていったようだった。潜在意識という言葉は知っているだろうか。慎也さんは多分知っているに違いない。だからとにかく、よっぽどこのファイルを使うお仕事だか会議だか何かがしたくなかったのかもしれない。困るだろうから、慌ててリュックに詰めて届けに来たのだ。今度こそ、こないだ慎也さんが服をくれてて助かった。
 初めて部屋の外へ出て、辿り着いた刑事課は、無機質な感じで、剥き出しのコンクリートはやっぱり厳粛だ。女好きさんがその場に浮いていないので、彼の根は真面目かもしれないことを醸し出しているような、いないような。…刑事課には長いベテランさんだということは分かる、慎也さんと知り合いなことも分かっているので彼の居所を教えて欲しい。全く知らない人と会うよりは幸運だったかもしれない、かもしれない。

「俺に会いに来てくれたんだな」
「慎也さんの重大な忘れ物を届けに来たんですがどこにいるかご存じないですか」
「ほんっと可愛い顔してるな、そのワンピースも似合ってるぜ、お兄さんと遊ばない?」
「遊びません、どうも慎也さんがくれたんです、どこにいるかご存知ないですか」
「え?俺の部屋に来たいって?いいぜ、腰砕けるまで満足させてやる」

 女好きさんが何か言葉を発しながら私の顔を凝視している。多分本人も何を言っているか意識していない気がする、多分彼の意識は私の顔にしかない気がする。微妙に居心地が悪い。誰か通りかからないだろうか。

「…これちゃん、お前いくつなんだ?」
「……そういえば、慎也さんって何歳なんですか」
「は?一緒に住んでんじゃないの?あいつは去年に入ってきたから今年21になんじゃねーか」
「………知らなかったです。二つ下です」
「っは!?狡噛犯罪じゃねーの!?」

 ドンっと女好きさんが足を一歩踏み出した。吃驚した、私は一歩後退った。私の顔を凝視する女好きさんの形相が更に凄いものになった。普通に怖い。それから女好きさんは頭を抱えてヤンキー座りこんでしまった。

「ピッチピチじゃねぇかクソ狡噛がマジで最近幸せオーラも死ぬほどうっぜえ鬱陶しい全部あいつのせいだ慎也さんがくれたんですってなんだどうせ脱がせたんだろありえねえめちゃくちゃに犯したに決まってやがるふざけんなあいつマジで殴りてえそうだ殴ろう殴りに行こうついでにアレを再起不能にしてやろうこの子の心もそのうち俺に靡くように狡噛の恥ずかしい話でも延々暴露してやる信じらんねえホント可愛い顔してるこの少女いや女いたいけな少女いやでも結婚は出来る年なんだよな駄目だ混乱してきたとにかく狡噛殺すマジで殴らないと気が済まねえ」

 何かぶつぶついっている。どんよりとしたオーラだ。多分元気な人だ、多分気性が激しい人だ。

「……慎也さんか和久さんか宜野座さん、どこにいるかご存じないですか」
「お兄さんは刑事なので犯罪を見過ごしたらいけないんだ。狡噛をぶっ飛ばしに――いや、狡噛君のところへ案内してさしあげよう、お嬢さん」

 お嬢さん。…困惑だ。女好きさんが爽やかな微妙な笑顔で私をエスコートしようとしている。顔が死んでるように見える。普通に怖い。さっきまできのこ生えそうだったのに。傅いて手を差し出している。取りたくはない。どうしよう。

「……?!」

 ――振り返ったら顔からどんっとぶつかった。慎也さんの声だった。遅れて息を吸い込んだら彼のにおいもした。背中に強く腕が回される。私も彼のベストをつかむ。

「大丈夫か?何もされてないか?」
「平気です」

 顔を上げて返事をすると、よかった、と彼が私の頭を撫でながら、女好きさんに目線をやった。凄く厳しい目をしている。慎也さんが怖い顔をしている。私も慎也さんの腕の中で身をよじって女好きさんの方を見る。

「お前、こいつにちょっかいかけるな。始末書の提出を命じる」
「犯罪者のお前に言われたくねえ」
「はあ?」
「その子の年。犯罪スレスレじゃねーのか」
「何故知ってる」

 慎也さんがギロリと女好きさんを睨んだ。全く怖くないけど普通に怖い、とても怖い。

「あの、聞かれたから教えたんです、…慎也さんの年も聞いてしまったら教えて下さったので」
「…そういえば教えてなかったか。いやそんなことはいいんだ。これからは何も教えなくていい、聞きたいことがあったら俺に直接聞いてくれ」

 慎也さんが頭上でまくしたてている。仕事モードなんだろうか、ちょっとピリピリを感じる。カルシウムでも取り寄せたらいいだろうか、煮干しとかどうだろうか。というか普通に考えて教えたらまずかったのかもしれない、そういえば私の存在は極秘だったかもしれない。

「返事は」
「え、あ、はい、ごめんなさい」
「なんで謝る。というか、これからは来る日は教えて欲しい、こんなことにならないためにも。デバイスはどうした」

 そういえば。存在を忘れていた、今も忘れてきている。私はデバイスを携帯する概念から無い。通知が来れば音が鳴るので気づけば見る。けど、私は慎也さんと和久さんの連絡先しか知らない。通知は来ないのがデフォルトである。
 …にしても、ちょっと過保護じゃないだろうか。それとも、オフィスに来られたらやっぱり迷惑だっただろうか。彼の腕を外して再度彼に向きなおり、リュックを開けてファイルを渡す。

「忘れ物です、これ」
「――ああ!助かった、忘れてってたのか。探してたんだ。ありがとう」

 慎也さんがまた私を抱きしめた。…あの、ここオフィスじゃないですか。背後から何か凄いオーラも感じる。女好きさんに見られている気がする。こないだ和久さんも惚気が何とか言っていたし、慎也さんは隠すつもりがないのかもしれない。…確かに隠す必要があるかと言われたらないかもしれないけどオープンにする必要もないのではないか。何が言いたいかというと恥ずかしい。なんかこう、なんかこう、…あの。

「これからは来る前、先に連絡してくれ。あとやっぱりその服、似合ってる」
「……ありがとうございます。あの、勝手に来てごめんなさい、帰ります、離してください」
「なんで。俺はお前が来てくれて嬉しい」

 ……やけに甘やかしてくる。ぎゅっと更に腕に力がこめられた。どうしたんだろう。そわそわしてきた。恥ずかしい、胸の内側をくすぐられてるような気分だ。嬉しいけどいたたまれない。抱きしめ返したいけど少し難しい、恥ずかしい。

「狡噛あとでスパーリングの相手しろ。一方的に痛めつけてやる。執行官の色相ケアも監視官の仕事だ、な?見せつけやがって、ぶっ殺すぞ」
「佐々山、その前に始末書だ」
「ふざけんな」
「ふざけてなどいない」

 何か後ろが凄く険悪な雰囲気になっているのだけは分かる。温度差で風邪を引きそうだ。多分佐々山さんはあの佐々山さんかもしれない、というか絶対、話に出てくる佐々山さんだ、刑事としては凄いらしいのに女好きだというさささ山さんだ、なるほど確かにそうだ。…とにかく慎也さんの機嫌を直したい。

「あの、慎也さん、誕生日が知りたいです」
「………8月16日だ」
「お前ら頭イカれてんな」

 凄くドライな声だった、さささんさんにまともな突っ込みを食らってしまった。慎也さんは私を抱きしめていた手を離してデバイスをいじりはじめた。彼を見上げると、そこには虚無な表情があった。どうしたんだろう。

「つーか何、狡噛のどこがいいの、お兄さんのがよっぽどいい男さ、さあ俺の胸へおいでお嬢さん」
「…慎也さんはそんなちゃらちゃらしてません」
、相手にしないでいい。…俺のプロファイルを送っておいたから」

 慎也さんが何か言いたげに言葉を切った。大変微妙な顔をしている。なるほど。でもあまり疑わなかったというか、…疑わなかった。それに、彼がどこの誰でももう好きになってしまっているので仕方がなかった。慎也さんが慎也さんであるなら。

「ありがとうございます、帰ったら見ます。お仕事頑張ってください、慎也さん。さ山さんは頭お大事になさってください」

 頭を下げて踵を返すと、慎也さんが隣をついてきた。

「送る」
「一人で戻れます、別に大丈夫ですよ、仕事中じゃないんですか」
「いいや、送る。送らないと、お前が帰ったと連絡してくれるまでお前のことを考え続ける問題が発生する。無駄な労力と時間を割くことになるし――それならお前を送る方がよっぽど合理的だし安心だ。それに、送りつつお前を見て癒されることで、送る時間以上の業務効率改善効果が見込まれる。何の問題もない」
「………そうですか」
「ん」

 …何か小難しいように適当なことを言われたような気がしてならない。はにかむ彼の顔はいつも心臓に悪い。

「クソが!!爆発しろ!!!!!」

 大きな声に振り向くと、さささ山さんが後ろで爆発していた。爆発山さんが頭をかきむしって泣き声を上げながら向こうへ走り去って行く。やっぱり元気な人だった。

「佐々山は気性も荒いところがあってな、捜査中もたまに暴走して手が付けられないとギノが嘆いてる」
「…佐々山さん。大変ですね」
「全くだ」

 さ、は二つだったか。慎也さんが私を促して先にエレベーターに乗せてから乗り込んで、ぽちぽちとフロアを指定して扉を閉めた。…何だか私も慎也さんのことが心配になってきたかもしれない。こういうことを無意識に、自然的にやるのだこの人は。オートサーバーからご飯を運んでくるのも、自分の仕事だと認識してしまってからは、昔から文句ひとつも言わずにやってくれていたし、…実は慎也さんの知らないところで何か変な癖を付けられていないだろうか。

「見てみろ、中庭がきれいに見える」

 外を指差す彼の横顔を見つめていたら、彼の口角がやんわり上がった。ずるい、苦しい、内心のたうち回る羽目になってしまっている。慎也さんが眩しい。けど彼と同じ景色が見たかったので頑張って目線を外して、彼の目線の先の、中庭を見てみた。久しく見ていなかった外の風景が綺麗だった、でも十分に堪能する前にエレベーターが地下に入ってしまう。人工的なエレベーターの照明に目がちかちかしつつ、慎也さんに目線を戻すと、彼は何とも言えない顔で私を見ていた。この人は変なところを気にしている。

「…外も綺麗でしたけど、慎也さんの方が眩しいです」

 言うと、慎也さんが照れて、私をきつく抱きしめた。ここエレベーターですよ、なんで照れて抱きしめるんですか意味わからない、誰が乗ってくるか分かったものじゃない気がする、彼を押し返して、殊更強く抱きしめられてしまったところで、フロアが停止する音が響いた、誰か乗ってくるんじゃないか、離れようとしていたら、彼が離れてくれた。けど彼は私の手を取って、指を絡めて歩き出した。無事フロアに着いたらしい、誰も乗ってこなくてよかった、けど、…あまり部屋から外を慎也さんと歩いたことは無かったので、色々と衝撃的だ。この人は家と外の区別がないのかもしれない、もう少しした方がいいかもしれない。私が外だということで勝手に余計恥ずかしく思っているだけかもしれない、ということは慎也さんにはあまり羞恥心と言うものが無いのかもしれない。

、何考えてるんだ。変な顔してる」

 いつの間にやら私を見ていた彼が、私の顎をすくってちゅっと唇を奪っていった。信じられない、誰か、って、刑事課の関係者の人しかいないかもしれないけど、…顔が熱い。本当に、誰かに見られていたらどうするつもりなんだろう。オフィスで気まずい思いになりそうなのに。……いやこの人はさっき見せつけていたかもしれない。

「あの…外では恥ずかしいのでやめてください、そんなんだから惚気がどうとか言われるんじゃないですか」

 くくっと喉で笑った彼は機嫌良さそうに、私の隣をゆっくりと歩いている。心臓がうるさい、早く部屋に着きたい、着きたくない。けれどゆっくりでも歩みを止めてはならないので、そのうちに着いてしまった。…おかしい、自分が分からない。別に慎也さんは夜にも帰ってくるじゃないか。誰にも会わないよう見られないよう速足で帰るべきだったことは分かっているけれど、おかしい足が言うことを聞いてくれなかった。
 慎也さんは私と玄関の内側へ入ってきて、私をじっと見たまま止まって何か言いたそうにしている。背後で扉が閉められた。いい加減にそろそろ仕事に戻った方がいい気がする、大丈夫だろうか。しゃがんでリュックを下ろし、靴に手をかける。

「……なあ、さっきの。俺のどこを好きになってくれたのか、聞いてもいいか」
「えっ、…と、………そうですね、優しくて頼りになるところですかね」

 掘り起こされてしまった。俯いて、靴を脱ぎながら答えていたら、慎也さんが更に詰め寄って来た。本当なのに、ご納得いただけなかったらしい。今日は大分お腹いっぱいだ、もう解放してほしい。ちょっと寿命がすり減り始めている。靴を脱ぎ終わり、立ち上がって家に上がったら、ぐっと抱き寄せられた。段差のせいで、毎朝毎夕も、この時ばかりは顔が近くてかなり恥ずかしいのだ。

「…俺はお前の全部が好きだ」
「……私だってそうですもん、気付いたら慎也さん抜きで睡眠もとれなくなってたんだから仕方ないじゃないですか、多分いないと生きられないんです」
「多分じゃない」

 困ったようにと言うのもへんだけど、なんだかくしゃっと笑った慎也さんが名残惜しそうに私の頭を撫でた。私は半ば開き直っている。その手に頭をすりつけかえすと、彼がはにかんで、いつものように私をゆるく抱きしめた。少し上を向いて、彼の顔が近づいてきて、目を閉じる。唇が押し当てられて、柔らかなそれがゆっくりと離れていった。…恥ずかしいなもう、今日の朝だってそうやって送ったじゃないですか。

「…仕事に戻ってください」
「ん」

 少し照れくさそうにはにかんだ彼が、私の頭をひと撫でして背を向けた。その無防備な背中が、なんだかやけに可愛くて、ちょっと耐えきれなかったので手が伸びてしまった。体が動いてしまった。後ろからぎゅっと抱き着いて、彼の逞しい背中に顔をぐりぐりすりつける。慎也さんはそのままかたまっている。

「っなんだ、いきなり、」
「ごめんなさい、すきだらけでした」
「…~~仕事に戻れなくなる、五分だけだぞ」

 彼は私を振り払わない。私は結構、慎也さんのこういう可愛いところも好きなことは、彼には内緒だ。