「――噛君、狡噛君」
「っはい、」

 ばっと後ろを振り向くと、和久さんが呆れ切った目で俺を見ていた。

「…休憩という形にしましょうか。ふふ、一時間後には公安に戻ってきてくださいね」

 …やっちまった。和久さんが笑っている。
 ショッピングモールで規定値を超えた犯罪係数が計測され、複数名に渡ったために三係総出で対応にあたったのだ。和久さんの巧みな采配で、一般人に知られることなく迅速に犯人たちを確保することもでき、サイコハザードも起こさずに済んだ。昏田が何かミスっていたが、和久さんがカバーして下さってどうにかなった。相変わらず頭が下がる。昏田も充分に反省していたし、誰に怪我もなく良かった。それから執行官を帰し、俺と和久さんだけが残って後処理を終え、車に戻っている途中だったはずだ。モール内を移動していたから、目の前に飛び込んできたワンピースに彼女の顔が思い出され、…たところでおそらく空想に飛んでいた。

「……すみません」

 頭を下げて和久さんを見送った。和久さんの姿が人混みに飲まれて見えなくなった頃、目の前の店に入って、その真っ白なワンピースについて店員に尋ねた。ギノにはよくからかわれるが、服くらいなら見分けがつく。だから、やはりホロデータではない、本物の綿で作られた上等なものだという説明を受けた。綿なら多分着てくれるだろう。贈り物ですか、と、なんだかんだラッピングまでしてもらっている。
 あいつは全くそういうのに無頓着がすぎて、外出着の一枚も持っていない。外出しないからいいじゃないですかとか言いそうだ。…確かにそうなんだが。一枚くらいあってもいいだろ。ありがとうございました、という声に顔を上げると、店員が店の入り口まで送ってくれており、促されるままに歩いていたことに気が付く。
 …気が抜けすぎている。気を取り直してフロアマップを手に取り、しかしまたも思考を泳がせる。折角だから他にも何か見て行こう、スポーツ店、本屋もあるな、あとで行ってみるか。雑貨、化粧品…あいつが何に興味あるのか分からん。同棲から始まったので、変なところが抜けている。連絡先すらやっとこないだ交換したほどだ。犬事件の時に困ったからな。和久さんの連絡先も、許可をもらって教えておいた。だから、こういうのは本人に聞くのが一番早い。彼女に用件を送る。

“今このショッピングセンターにいるんだが、結構色々そろってる。何か欲しいものとかあるか”

“慎也さん”

 …話にならん。珍しく直ぐ既読がついたな、と思ったらこれだ。ハァ、…可愛いだろ、やめてくれ。画面を閉じる。が、ダメだ。顔のにやけは収まらん。いくらでもやる。好きなだけ好きなようにしたらいい。俺のだ。彼女が好きなのも俺だ。
 ……そうじゃなくて、彼女が好きなこと。絵を描くこと、本を読むのも嫌いじゃない、犬も好きだろう、あとはごろごろできるところ、ソファ、ベッド、ああ、パジャマだな。昔から彼女はパジャマの引きこもり族だった。パジャマは無理だから、本屋の方にでも行くか。途中に雑貨屋があるから物色していこう。
 正直いうと、俺が彼女の生活を送れと言われたら直ぐに発狂すると思う。俺は外に出ないと死ぬ。いつか彼女を狙っている奴を裁いたら、彼女を後ろに乗せてツーリングに行きたい、が、…あいつ吹っ飛びそうだな。
 で、だ。彼女は支給品のパジャマを着ているかといわれるとそうではなく、初めの頃に、パジャマや下着だけは何着か注文していた。スクリーンを覗き込んで金額に目が飛び出た記憶がある。またも桁がおかしかった。俺の年収が吹っ飛んでいた。そのうちに届いたパジャマには見覚えがあり、というかそっくりそのままで、気に入ってるのかと尋ねたら、手触りがいいので、とか満足気に言っていた記憶がある。聞いたらシルクだと返された。やっぱりなとは思ったが、その割にはあいつ、扱いがぞんざいというか、平気でそのまま絵を描くし、汚しても気にしないというか…。
 彼女の家にはどんだけの財産が置き去りにされているんだろう。ひとまず現状維持ということで、誰も手を付けていないし、親戚たちも事件に巻き込まれたくないんだろう、特に何も言ってこない。彼女の家にも公安のセキュリティは可能な限り施したが――被害者が亡くなっていようがいまいが、未解決事件なのでその辺りの対応は問題ないんだが。…まあ、特に異常も異変もないから、埃をかぶっているくらいだろうが、なにか勿体ない。別に、そこまで金についてどうこう考える方じゃないが、パジャマを数着持ってこれただけで俺の年収だったと考えると、ちょっとばかし惜しくは思う。
 あいつはゆうに一生生きても有り余るほどの金を持っている。ほとんど親御さんの金だとかなんだとか言っていたが、普段、質素で簡素なタイプだから気にしていないと、ふとした時にあいつの金銭感覚が狂いにくるっていることを思い知ることがある。あるのだ。なんてやつだろう。
 といっても、彼女の金は減っていくばかりなのだから、生活費なんて俺が全部出すと言ったが、なんでですかと彼女が譲らなかったので折半になっている。私が住んでるんだから家賃は全部出します、と彼女は断固として譲らなかったが、そちらは俺も譲らなかったので、兎にも角にも折半になった。執行官フロアだから家賃なんぞ大したことないしな――だが上がそれを課してくる時点で、彼女の金が尽きたら何と言ってくるか分かったものではない。社会奉仕活動とか内職とか何か、と、いうのは希望的観測だ。
 こないだご丁寧にも彼女に送られてきていた試験的な職業適性には、分析官の項目が出ていた、しかもA判定で。それが答えだろう。俺は断固反対だ。…まあ、彼女の財産はアホみたいにあるので、いらない心配かもしれないが。他には芸術家もA判定だったな、って既にそうだったのだから当たり前か。B判定にはデザイン系とかが羅列されていた覚えがある。
 なんというか、幸運だ。彼女のご両親や祖父さん、彼女の才能とか、そういうのに俺は全く頭が上がらない。もし一つでも欠けていたら彼女は生きていなかったかもしれないし、今も少し苦労していたかもしれない。まあ、彼女一人くらいなら十分俺の収入で養っていけるんだが。…いや、シルクのパジャマはほいそれと買ってはやれないな。
 ――とにかくそういうわけで、パジャマをやる線は諦めている。ワンピースは毎日着るもんでもないし、綿でも文句は言わないだろう。
 と、雑貨屋だ。変なもんが売っている。触ってみるワン、とポップが付いていたので触ってしまった。手が沈んだ。離れられなくなったので三匹ほど購入する。いぬもちクッション。あいつをこれで埋めよう。いいものが手に入った。
 それから隣の本屋に入ると、欲しかった本のデータも何冊か揃っていて、まとめ買いすることも出来た。今度の週末は彼女と読書で決定だ。
 そろそろ時間がまずいので公安に戻ろう、いつか彼女とこういう外出もできたらいい。あいつはどんな顔をするだろうか、花のように笑った顔が見たい。いやでもあいつが居るだけで、周りに花が咲いてるように見えるんだよな。



 公安に着くころ、やっと俺の頭は切り替わった。正気ではなかったかも分からん、一体俺は何を考えていたんだ。時間には間に合ったのでいいんだが。…彼女のことしか考えていなかったように思う。もう少ししゃきっとしよう。するべきだ。三係の扉をくぐる。

「あ、狡噛さん、今狡噛さんの話をしてたんですよ!」
「ヒナ、言わなくていい」
「…なんだって」
「いやなコウ、お前が幸せそうだって話をな」
「……そんなにか」
「被害者囲ってる自覚持った方がいいっスよ」
「昏田君、それは間違いです。彼女も狡噛君のことを好いていますから」
「いいなあ、私も彼女さんとお話ししたいです、あわふけばサインと絵も欲しいです。ねー翼ちゃん」
「あわよくば、だよ、ヒナ。私も興味はあります」
「俺も。どんな金持ちの馬の骨が狡噛さんをここまでにしたのか見てはみたいっスね」
「昏田君、それじゃ君が狡噛君のことを好きみたいですよ」
「っな別にそういうわけじゃ――」
「はっはっは」

 …カオスだ。荷物を下ろしディスプレイの電源を付ける。別にあいつを連れてくるのは構わないんだが、あいつが来るかといわれると…。一回くらい無理矢理引っ張ってこないと来なそうではある。たまには外でも見て気分転換した方がいいんじゃないかとも思う、少し考えておこう。

「それにしても、さんが元気そうで何よりでした」
「…和久さん、やっぱりあの時、知ってらしたんですね。出勤時間前だったのにギノ達が来たんで驚きました」
「おや、何の話でしょう。いずれにせよ、デバイスを見られずに済んだんじゃありませんか」
「っ何で知って――!?」
「ふふ、当たりですか。宜野座君に報告を受けただけですよ、さんが狡噛君のデバイスで僕らに連絡を取ろうとするのを邪魔したそうだと」
「何々、何の話ですか~?」
「狡噛君が彼女さんの隠し撮「あーーーー!」隠そうとしたという話です」
「…コウ、大好きなんだなあ。大事にしろよ」
「………はい」
「聞こえなかったです!教えてくださいマサさん!」

 察してしまったんだろうとっつぁんの、人生の大先輩としての言葉に頷いたが、天利の好奇心が。とっつぁんが困った顔で俺を見ている。頼む言わないでくれ、というか知られたくなかった。非難の目で和久さんを見る。笑ってらっしゃる。
 …これはやはり、心ここにあらず、ということが多いことを非難されているんだろうか。多分俺は今いじめられている。さっき和久さんが昏田をいじめていたのも今日の奴の不始末のせいだろう。いや、からかってらっしゃるだけなんだが、…からかわれている。

「いえ――狡噛君がこの間、犬になったという話です」
「えー、違う話だった気がします」
「あー、コウが薬被ってた時あったな、あん時か?」
「そうです、征陸さん。宜野座君が犬が好きだと聞いていたので様子を見に行ってもらいまして。後から僕も行ったんですが、柔らかい毛並みの大型犬になっていましたよ」
「ワン、少し見たかったです」

 うまく誘導して下さったし、とっつぁんも乗っかってくれたが、写真を撮っておけばよかったですね、と続けた和久さんはやはり楽しんでもらっしゃっただろう。…和久さん。彼女を気にかけて下さっていたということは分かる、が、…和久さん。

「佐々山がギノに付いてきてて大変だったんだ…」
「ふーん、今度佐々山さんに聞いてみます」
「やめろ昏田、聞かんでいい」
「狡噛さん、マジラブですね」
「っそれでそれで、どこがどう好きなんですか!?」
「そりゃ――……いや、なんでそんなこと答えねばならない」

 花表の冷たい目線と天利のテンションが対照的だ。天利が机を叩いて立ち上がったもんだから、つられて言いかけてしまったが、なんとか口を閉ざすことに成功した。
 …そんなの、あいつがあいつだったからだけだが、具体的に羅列できるところなら、…可愛いところだろ、俺が好きなところ、いぬもちクッションで埋めたら嬉しがるだろうところも、いや、嬉しがってくれなくたっていい、ただ俺がやりたいからやるんだ。彼女がいぬもちクッションで怒ったとしても、俺はそんな彼女も好きだと思ってしまうだろう。そうだな、事実なら、朝起きてすり寄ってくるところも、いってらっしゃいのキスもおかえりなさいのキスも、抱きしめると抱きしめ返してくれるところも、ダメだ考え出したらきりがないし、やはり言い尽くせるものではない。彼女の存在が好きなんだから仕方ないだろ。…こんなこと言えたもんじゃないし言いたくもない。やめよう、仕事に身が入らなくなりそうだ。
 思考を戻して、結局和久さんに助けを求める。

「――天利さん、狡噛君が困っています。このあたりで雑談は終了にしましょう」



「ただいま」
「おかえりなさい」

 出迎えた彼女にいぬもちクッションを投げつけた。一匹、「っわ、」二匹、「なんですか、」三匹、「っちょ、」彼女が抱えきれずに尻もちをついた。荷物を置いて靴を脱ぐ。彼女が目をぱちくりさせながら、いぬもちクッションをつついて嬉しそうにしている。俺も膝をついて上になだれ込む。彼女を抱きしめながら体重をかけると、耐え切れなくなった彼女が床に背中をついた。

「……なんですかこのもちもち、なんですかこれは」
「いいだろ」
「…とても」

 彼女にキスをして、起き上がって起き上がらせると、彼女が嬉しそうに二匹ソファに連行した。残された一匹をそちらに放り投げる。丁度彼女が振り返って、顔面でそれを受け止めた。彼女は恨めしそうに嬉しそうに俺を見てから、背に二匹置いて、一匹を抱きしめた。埋まっている。…可愛い。
 俺も今日買ってきた袋を持って行き、それを机に置いて隣に座る。彼女が、抱いていた一匹を俺の背中に差し込んだ。中々良い具合だ、もちっとしている。

「他にも何か買ったんですか?」

 俺を観察している彼女を横目に、ラッピングされている袋を取り出して押し付けた。

「外出着、持ってないだろ」
「だって外に出ません。いくらだったんですか」
「似合いそうだと思って勝手に買ってきただけだ。いらない」
「…や、でも、なんでいきなり服を」
「…一着くらい持ってて困りはしないとは思った」
「まあ、そうかもしれませんが、何もお返しできないというか…でもその、開けていいですか」

 言葉と裏腹、嬉しそうにしている彼女が俺に袋を突っ返して来たので、ラッピングリボンの端を持たせた。彼女がそれを引いた。それからそわそわと待っている。…とにかく開けてやる。多分こいつは世界で一番お姫様だとでも思っているに違いない。全く。いいよ、俺にとってはそうだ。俺だけの、だ。

「いい感じのワンピースですね」
「着てくれ、見たい。それがお返しがいい」
「……えっと」
「ダメか?」

 ダメじゃないですけど、とじわじわ赤くなっている彼女の手を引いて寝室に押し込んだ。俺が出て行くと、戸惑ったような顔をした彼女が扉を閉めて、鍵が閉められた音がした。ソファに戻ってしばらく。

「……あの」

 ガチャリと扉が開いてそちらを見やった。彼女がこちらを見てはにかんでいた。…天使かと思った。最近の俺は頭が沸いている。自覚はある。近寄って俺も寝室へ入って、後ろ手で扉を閉めると、彼女が眉間に皺を寄せた。笑ってくれ。でもそんな顔も好きだ。

「似合ってる」
「…ありがとうございます。でもなんで入ってくるんですか、リビングに戻りましょう、お腹空きませんか」
「ああ、すいたさ」

 彼女を無理矢理ベッドに押し倒した。着てもらったのにすぐさま脱がしたくなるとは。いや、脱がせたい訳じゃない、はだけているくらいが丁度いいだろう。…そうじゃない。新品の服だし、そういうことをしたら彼女はもう一生着てくれないだろう。だからとりあえず脱がそう。――いや、この真っ白な彼女を汚すのは如何なものか。頬は真っ赤だが。…とにかくもうあと少しだけ堪能しよう。

「てっきり知ってると思ってたが。男が女に服を贈るって言うのは、脱がせたいって意味がくっつく」
「だ、だってそんな顔してませんでした…」
「……バレてたか。そうだ、お前に似合いそうだと思っただけだ」
「…そっちの方がよっぽど恥ずかしいですよ」
「…ならいいだろ。…今日はショッピングモールで事件があったから、その時に目についたんだ。…和久さんにもまた笑われた」
「…もしかしていつもそんなんなんですか?怪我しないでくださいよ。でもその、…ありがとうございます、慎也さんの癖に私の趣味を分かっているじゃないですか、肌触りも悪くないです」
「久しぶりの照れ隠しだな」

 照れ隠しと言うには駄々洩れだし、だから脱がさないでくれと言うには俺はもっと脱がせたい。彼女の頭を撫でつけて額にキスをする。襟のボタンに手をかけると、彼女が恥ずかしそうに俺の手を制した。

「…もう少し着てたいです」

 言いかたの問題なのに、そう言われては退くしかない。今すぐ脱がせたいのも、もう少し着ているところを見ていたいのも本当だった。だがもし、脱がさないでと言われていたら、脱がせたくなっただろうし、絶対に脱がしていた。

「……お前こそ、大分俺の扱いが上手くなってきたんじゃないか」

 欲をため息で逃がして諦めて、彼女の手を引いてまた起き上がらせる。彼女が小さく微笑んだ。たまらず抱きしめた。彼女が俺の名前を呼んで、腕の中で困ったように俺を見ている。愛しい。腹は減ったが心は一杯だし腹はすいたままだ。好きすぎてどうかしている。