「……慎也さん?」
「ワウ―――ッバウ?!」
昨日、隣で寝ていたはずの彼が、犬になっている。…真っ黒だ。大型犬だ。大混乱している彼の頭に手を伸ばす。彼が目を細めた。手を下ろす。っもふ。
「どうしよう、慎也さん、朝からお仕事じゃありませんでしたか…」
「ワウン」
…ワンちゃんだ。もふもふする。わしゃわしゃする。
「…連絡、した方がいいですよね。いいですか?」
枕元に置かれている彼のデバイスに手を伸ばしたら、彼の前足がそれを叩き落とした。
「何するんですか、他の画面なんて見ませんから。連絡しないとまずいでしょう」
「ウー!」
唸られた。怖い顔。犬歯が大きい。それを拾い上げようとしたら、慎也さんが横から全力でタックルしてきて無理だった。どうしよう。
*
あれからしばらく慎也さんを撫で回して、もふもふして、ごろごろして、お腹に顔を埋めてこすりつけて、ごろごろして、ごろごろしたら、お腹が空いたので、とりあえず寝室から這い出た。私の後を慎也さんがたたたたと付いてきて、オートサーバーの番号を決めたら、あんよがぬっと伸びてきて、決定のボタンを押した。慎也さんのお仕事らしい。…慎也さんは私に甘すぎるというか、多分、ほっといたら死ぬくらいに思ってるところがあるかもしれない。今は自分のことの方を心配してほしい。とりあえずご飯を食べたら刑事課に行ってみなくちゃ、ご飯を食べないと力は出ないのでしょうがない。
体がワンちゃんだと人間用のご飯を食べたらあんまりよくない気がしたので、とりあえず慎也さんには取り寄せていたジャーキーをあけて、私もご飯を食べていたら、インターフォンが鳴った。腰を上げようとしたら、慎也さんが半立ちになって私の膝に手を置いて引き留めた。けれど、がちゃり、と扉があいた音が聞こえた。
どうしよう、少し怖い、誰だろう、けれど慎也さんが凄く嫌そうな顔をしているし、彼は落ち着いているので多分変な人ではないかもしれない。玄関にはメガネさんと短髪さんが入室された。ばっちり目が合った。慎也さんが私の前に立ち塞がった。なんだろう、わんこのはずなのに、凄く頼りになる。まだご飯途中なのに。それにまだ出勤時間じゃないはずだ。
「さん、いつも狡噛が世話になってます、いきなりすみません。俺は一係監視官の宜野座伸元で――っは?」
「どうしたよギノせんせー、……お」
大男二人が近づいてきて、目を丸くした。初めて慎也さんのお仕事関係の人と関わる。和久和久さんは別だ。それにしてもこの人が多分、慎也さんの話によく出てくる、学生時代からの友人だという宜野座さんらしい。背が高い。
「……犬を飼ってらしたんですか?…そんな話は聞いていない」
「いやー、ギノせんせー、どう見ても、この、犬、だろ、っふ、っふ、ふっふふ」
「…すみません、連絡しようとはしたんですが、どうしても邪魔されました」
宜野座さんが頭を押さえて家から出て行った。それから再度入室してきた。こちらへ来た。彼の顔色が一段と悪くなった。
「……やはり狡噛なのか…和久さんが仰られた通り…」
私はやっぱり和久さんをとっちめたい。何かあったんだろう。もう一人の人はひたすらにお腹を抱えて笑っている。こらえきれなかったらしい。大爆笑している。そんなに笑わなくてもいいのに。可愛いじゃないですか。
「狡噛、お前なんで犬になってんの?チョー面白いんですけど、お前が飼われる側になってどうすんだ、っていうかお前のコレ、かっわいい顔してんなぁ」
ぐっと顔を近づけられて、仰け反ったら、椅子がガタンと鳴った。慎也さんがその人に飛びかかった。なんて頼りになるんだろう。しかしそんな慎也さんを宜野座さんがぎゅっと抱きしめた。だきしめ、だきしめた。口元がにやついている。とにかく私は席を立って避難する。
「…中々いい毛並みだぞ、狡噛。ダイムには劣るがな」
「いやー、狡噛が直帰するのも分かるわ。狡噛なんかやめて俺としない?」
よし分かった、宜野座さんは犬好きだ、もう一人の人は女好きだ。宜野座さんが慎也さんを取り押さえ、慎也さんが女好きさんを取り押さえ、女好きさんがこちらを見ている。…私はどうしたらいいんだろう。慎也さんがサンドイッチされている。何か奇妙な図をみている気分だ。私も慎也さんをもふもふしたいのにずるい。
「――狡噛君の様子はどうですか」
悪魔の声がした。更にがちゃりと開け放たれたプライバシーも何もないらしい私の家のドアから悪魔さんが入室してきた。数か月ぶりに顔を見た、元気そうで何よりだった。でもこの人が元気じゃないところを全く想像できないのでそういうことだと思う。この人たちが出勤時間前にやってきたのは和久和久さんの指示に違いないし、和久和久さんは何か知っていたんだろうし、とにかく和久さんはやっぱり私にとって悪魔のような人である。
「……また隠し事ですか」
「お元気そうで何よりです。狡噛くんとの生活はどうですか。いえ、犬じゃ大変かもしれませんね」
「知ってらしたんじゃないんですか、…起きたらああなってました」
「やはりそうですか」
「何で本人に伝えておいてくれなかったんですか」
「狡噛君は仕事中にも惚気が凄くて下に示しが付かない程です。昨日の捜査中にある薬品をかぶってしまったそうで、その影響です。明日には戻ります。副作用なんかも無いですから、心配されずとも大丈夫です」
「騙されませんよちょっと、楽しんでませんか――」
「今日は狡噛君はお休みにしましょう。お二人とも、戻りますよ」
「くっ…コウ、中々いいキックだったぞ」
「クソ狡噛人間に戻ったら覚えてろよこんな可愛い女独り占めしやがって」
和久さんが、もふっと慎也さんの頭をひと撫でして抱きしめてから、二人をずるずると引き摺って行った。みんなワンちゃんが好きらしい。嵐が去った。やっと部屋に静寂が戻ってきた。また和久さんにうまいこと誤魔化された。遺憾の意だ。この場を収束させたのだから責められる覚えがないだろう。やられた。けれど目の前で疲れ切っている慎也さんを見る限り、やっぱり私は和久さんを責められない。けれど元はといえば和久さんが彼らを差し向けたりしなければ。けれどけれどけれど。…とにかく。
「慎也さん、大丈夫ですか…」
「クゥン…」
…可愛い。彼の背を優しく撫でて労わる。慎也さんがぺろりと私の頬をなめた。ぎゅっと抱きしめて、慎也さんが顔をぐりぐりと私にすりつけてくれる。かわいい。彼の手を取って、手をひっくり返して、真っ黒な肉球をぷにぷにする。堪能して、手を離して、首に手を入れて押し上げて、もふっとなって、彼の頭に額をつける。すーぱーもふもふタイムの始まりだ。
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